2011年08月13日

合歓山越嶺古道−1

Kodou-741.jpg
【写真説明】奇莱主山南峰(標高3,358メートル、台湾百岳40号)から中部横貫公路(略称「中横」)霧社支線、省道14号甲線、を望む。写真最右翼の最高点が合歓山(ごうかんさん)東峰(同3,417メートル、34号)、その左側最高点が合歓山主峰(同3,421メートル、33号)、それら二つの峰の鞍部が台湾自動車道の最高点、武嶺、嘗ての佐久間峠である。写真に写る中横は、ほぼ日本時代の「合歓越道路」を踏襲した部分。写真最後方の稜線は雪山(次高山、3,886メートル、2号)を盟主とする雪山山脈。

<中部横貫公路と合歓山越嶺古道>
関山越嶺古道」ブログ記事の冒頭の部分で、台湾の脊梁、雪山山脈と中央山脈を東西に横断する山岳自動車道路は「横貫公路」と呼ばれ、以下の三本があることを紹介した(註1):

「北部横貫公路(通称「北横」)」=省道7号線(雪山山脈横断、区間:桃園県大渓−宜蘭市)
「中部横貫公路(通称「中横」)」=省道8号線(中央山脈横断、区間:台中県東勢−花蓮県新城)
「南部横貫公路(通称「南横」)」=省道20号線(中央山脈横断、区間:台南市−台東県海端)

以上の三本の自動車道路建設の際ベースになったのは、日本時代の原住民族に対する警備道(「理蕃道」)で、これら元警備道は今は北から順に、角板山古道、合歓山越嶺古道、関山越嶺古道と通称されている。

今回紹介する「合歓山越嶺古道」イコール「中横」は実は非常にざっくりした言い方だ。中横本線、即ち省道8号線は、上述のように台中県東勢を起点にし、大甲渓沿いに北上、同県梨山から東上、中央山脈を横断し、8号線の最高地点、大禹嶺(標高2,565メートル)に至り、その後、タロコ(大魯閣)渓谷に向かって急激に高度を落としながら、最後は花蓮県新城、太平洋岸に至る。

最高点で8号線を東西両段に分けると、大甲渓に沿った西段の大部分が嘗ての「大甲渓警備道」、東段が最初は「合歓連絡道」と呼称され後に「合歓越道路」と改められた現在の合歓山越嶺古道に相当する段になる。つまり現在の中横本線は日本時代の二本の主要警備道がベースになっているというのが正確な言い方だ。

更に、本線以外に二本の中横支線がある。一本は梨山からそのまま北上、中央山脈と雪山山脈の鞍部に沿い、やがて、北横と合流、最後は蘭陽渓沿いに宜蘭市に至る省道7号甲線、通称中横宜蘭支線である。もう一本は、南投県霧社から北上、台湾のスイスの愛称のある清境農場を経由し、台湾自動車道最高所の武嶺(標高3,275メートル)を越え、大禹嶺で本線に出会う区間で、省道14号甲線、通称中横霧社支線だ。(2011年4月29日「台湾の声」掲載分を一部改編。続く。。。)


(註1)「省道」:本来は「国道」と称すべきものだが、行政院交通部は未だに変更していないので現在の呼称に従った。現在の台湾で「国道」とは高速公路(道路)に対する呼称である。
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 合歓山越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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