2011年09月03日

合歓山越嶺古道−4

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【写真説明】三枚の写真は、当時豪華な宿泊施設を擁していた旧「カラバオ」社関連。畢緑神木サービス・エリア下中横脇に入口のある産業道路を辿るとカラバオ農場管理人住居とその横にしつらえられた左写真のケーブルカーに行き当たる。この軌道は農場へ必要資材を運ぶ為の物で、一応人は運んでくれない。中央写真は谷越しはるか下に見えている旧カラバオ跡地の農場。歩けば相当な距離に思えたが、このケーブルカー上部起点横に付いている登山道を辿ること二時間程度で付いた場所が右写真のキャベツ畑。同写真左の最高点は屏風山(標高メートル3,250メートル、百岳64号)、その左側は奇莱主山北峰(同3,607メートル、百岳16号)。てっきりカラバオまで着いたと小躍りしていたが、実はこの農場は旧カラバオ上部に開かれた別農場であることに、戻り着いてから気付き非常に悔しい思いをした。つまり中央写真と右写真は異なる場所ということだ。

<中部横貫公路と合歓山越嶺古道>−4
2) 畢緑から、タロコ峡谷内最大の宿泊・サービスエリアがある天祥(日本時代はタビト社)までの区間は、中横と古道が大きく乖離している部分で、中横建設時、現在は林務局が立霧渓掘鑿曲流古道(註4)と呼ぶこの部分の古道の崩壊が激しく、古道を大きく迂回して中横は建設された。この段の古道沿線にはタロコ戦役時、犠牲になった日本人軍人・警官の集合墳墓(台湾側では「日軍墓葬群」)等、当時の遺跡がいまだに残存している。(2011年4月29日メルマガ「台湾の声」掲載分を一部改編。続く。。。)

(註4)「掘鑿曲流古道」:主線は(畢緑)→カラバオ→セラオカ(フニ)→見晴→クバヤン→シキリヤン→タビト(天祥)。以下は幾つかの旧地に関するコメント。

カラバオ跡地は現在は農場、キャベツを代表とする高山野菜が広く栽培されており、日本時代は豪華な宿泊所も合わせ持っていたが、今はその残骸はすっかり消失してしまった。農場と言っても、車で行き来出来るような場所にはなく、農場に必要な物資は畢緑神木下方から深い谷に渡したケーブルカーで運搬、人はケーブルカー起点横の登山口から山の稜線に入り大きく迂回しながら二時間程度掛けてその農場に至る。このカラバオ農場までは一般のハイカーが入るのは可能。

セカオカフニ、略してセラオカ付近にもタロコ戦役の際に、軍司令部が設置された。筆者は現地に「佐久間台湾総督露営之地」碑が倒壊はしているが完全な姿で残っていることを最近になり知った。佐久間は戦況視察中に崖から転落、負傷するが、タロコ族の間では佐久間はこの時落命したと信じられてきた。尚、現代台湾で佐久間の名が冠され残っているのは、佐久間山(標高2,809メートル)と研海林道(「研海」は佐久間の号)がある。

日軍墓葬群は見晴付近にあり、カラバオから入ると相当な時間が掛かっていたが、最近の山行記録を閲覧すると、中横脇から見晴へのショートカット・コースが開かれ、山中一泊で墳墓を往復出来るようである。

クバヤンは、当時合歓山越嶺古道中で最大の部落。今は古白楊の字が当てられ、これに対し、現在の居住地は新白楊と呼ばれ、中横上にサービスエリアがある。佐久間山の絶好の展望所。当時はカラバオとタビト間が一日コース、その為にこの二か所に宿泊施設が存在したが、今この区間を踏査しようと思えば一週間近く掛かる様だ。下掲写真は、その新白楊越しに望んだ中央部最高嶺、立霧主山(同3,070メートル、百岳93号)とその左隣りの尖り帽子状の峰の佐久間山である。

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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 合歓山越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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