2006年08月24日

『水の古道』美濃水橋(1)

Kodou-9.JPG【写真説明】美濃市街地の中に残る「水橋」。日本人岡田安久次郎の設計に拠る。昭和二年(1927年)竣工。写真奥の水橋の袂にはこの設計者の名を刻んだ「水橋改築記念碑」が当時のまま残る。現在市街地内にはこの水橋を含む日本時代に開設された灌漑水路を辿る「水[土川]の旅」と称されるサイクリング道も整備されている。
私が竹子門発電所を最初に訪ねた五年程前も外部からの参観者に対する構内の整備がきちんと成されているのには感心したが、最近は案内板の設置等で更に充実している。現在の発電量は美濃鎮で必要な電力量の十分の一程度だそうで、この百年間の美濃一帯の発展指数だとも言えよう。当時美濃一帯の水不足を解消する為に[艸/老]濃渓から引いてきた水で発電、その後放流される水を人工の水路を通して美濃一帯約五千ヘクタールの田畑に配水、これらの水は灌漑用水としてばかりでなく生活用水としても利用されてきた。

今でも美濃市街には「獅仔頭水[土川][サイアタウすいしん]」と呼ばれるこの水路と共に幅1メートル、長さ50メートル程の水橋(川の上に水路を確保したもの)が残され、こちらも現役のまま利用されている。水橋の袂にはこの水橋の設計・監督者である「技手 岡田安久次郎」の名が刻まれた「水橋改築記念碑」が保存されているが、大正十四年起工、昭和二年竣工の年は稚拙にセメントが塗り込まれ中華民国年号に書き換えられている。

余談になるが、竹子門発電所のバロック様式に関して。鹿児島県で一番大きな河川である川内川上流に「東洋のナイアガラ」と呼ばれる曽木の滝が掛かっているが、先日鹿児島の私の友人にこの滝の近くに嘗て敷設されていた曽木発電所遺構の写真を見せられ、この遺構と竹子門発電所の建物がそっくりなのに驚いたことがある。曽木発電所は下流に鶴田ダムが出来た為に水没し、ダムの水を放流する五月から七月の三ヶ月だけ姿を現すのだそうだが、水位が下がった時に遺構に溜まった土砂を取り除き保存に努めているという珍しい遺蹟である。

この曽木発電所は竹子門発電所より僅か四年程早く完工(明治三十八年)している。片や日本ものはあえなく水没の目に遭いながら特異な遺蹟としてその光明いまだに衰えず、他方台湾の同志はいまだに現役として活躍、興味深い対照の妙と云えよう。

もし忙しい日本人の観光客の方に「時間が余りないのですが、高雄市・高雄県地区で必見の価値ありと言えるような場所を紹介してくれませんか?」と聞かれたら、私は迷うことなく高雄市街から車で約一時間半の距離にあるこの発電所を紹介する。尚、日本時代の灌漑関連設備、遺構に関しての概要は遠足文化出版の「台湾地理百科」シリーズ20「台湾的古[土川]道」で簡便に知ることが出来る。>(メルマガ「台湾の声」2006年7月5日掲載分の一部を改編)


posted by 玉山 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 『水の古道』美濃水橋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック