2011年10月15日

合歓山越嶺古道−10

Kodou-766.jpg Kodou-765.jpg
【写真説明】「合歓山越嶺古道−2」で掲載した中央写真は武嶺から昆陽冬季派出所方面を望んだ写真だ。今回掲載した左写真も同地点から同方向を望んだものだが、もう少し武嶺寄りの合歓山主峰へ至る稜線斜面とそこを走る中横の様子である。掲載した写真では判然としないが、この中横の少し上に中横と平行して延びる踏み跡(今は登山道)があり、タロコ戦役時の軍用道跡である。同写真右に中横から分岐して稜線側に延びる道路が写っているが、合歓山主峰へ至る登山道。右写真は、やはり同じ斜面を合歓山主峰頂上近くの稜線から見下ろしたもので、同写真左下端のギザギザ線が中横、その中横と日の当たる斜面稜線の中間に写真上でかすかに確認出来る細い道が同軍用道である。尚、同写真左上の突き出た峰は能高山、写真右上奥に写る最後段の三つ瘤の稜線は玉山連峰。日本時代は、玉山(新高山)、雪山(次高山)、能高山を併せ「三高」と呼んでいた。
<合歓山とタロコ戦役軍用道路>−2
ところで、合歓山主峰への登山口は三か所あり、一箇所は武嶺の駐車場裏手からそのまま直接頂上を目指す。もう一箇所は昆陽派出所の中横を隔てて向かい側から主峰へ至る稜線上沿いに歩く方法(その途中に三か所目の登山口あり)で、その踏み後は、昆陽側、武嶺側双方から明確に見て取れる。この段がタロコ戦役時に開鑿された合歓山越えの軍用道路で、佐久間峠を越えて主峰と東峰の鞍部を降り切った場所にあるのが合歓山荘(日本時代の石門駐在所跡地)、その隣に国軍冬季訓練センター(「寒訓中心」)があり、佐久間軍司令部跡地を襲ったものだ。(2011年4月29日メルマガ「台湾の声」掲載分を一部改編。続く。。。)
posted by 玉山 at 06:26| 台北 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 合歓山越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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