現在の古道上には立派な道標が適宜設置されハイカーの便に供されているが、両入口の案内板に記載された駐在所跡には道標・表示板が一切無い。代わりに有志の方が小さな金属板を樹木に打ち付けて表示してあるが、田村台(但し、銘板には「高橋」とあるが誤記とのこと)と馬鞍のみで、外の駐在所跡(或いは、跡と思しきもの)が当時どの駐在所に相当していたかは想像するしかない。サカヤチン駐在所は戦後は建て直され白石駐在所として暫く機能していたが、今は廃棄、その建物がそっくり残っているので日本時代の様子を想像する便となる。現在の歩道上にこのように建築物として残っている駐在所跡はここ白石一箇所だけだ。
これら前述三箇所以外に私自身が駐在所跡と確認出来た場所は後四箇所しかなかった。白石駐在所跡を除き、西側入口を入ってすぐの場所にある田村台駐在所跡が最も保存状態がよく立派な石垣が残っている。タイヤル族の聖山「大覇尖山」(台湾百岳27号、標高3,492m:タイヤル族はこの山から生まれたと信じている)は台湾を代表する山岳の一つで、読者の中にも台北-高雄間の飛行機からでも容易に識別出来る特異な四角錐の山頂を持ったこの山の写真を見たことがある方も多いかと思う。
現在はこの古道より若干北側を走る大鹿林道を辿るのがこの山へのアプローチとして一般的なのだが、日本時代はこのシヤカロ警備道が大覇尖山への登山道として使われており、日本人に依る初登もこの警備道を辿った。警備道上に配置された駐在所の中には登山者に宿泊の提供、日用品の販売を担っていたものもあった謂われる。>(メルマガ「台湾の声」2005年2月25日掲載分の一部を改編)次回へ続く...