2012年03月10日

合歓山越嶺古道−31(梅園竹村歩道−10)

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【写真説明】左写真に写る手前二本の柱は日本時代鉄線橋の橋柱、奥は現在の仁愛吊橋。右写真右写真は陶塞吊橋橋柱付近、小振りの柱が日本時代遺構に相当するようだ。本文記事下掲写真は台湾サイト中で見付けた陶塞吊橋の日本時代橋柱の紹介記事。

今回は前回記事の続きで旧タウサイ社の紹介の積りであったが、陶塞吊橋の長さを調べようとして台湾のサイトを見ていたら、検索後画面に「日治時期的陶塞吊橋基座、靜靜的座立在陶塞溪旁」なる或るブログの紹介が目に入った。

悩ましい。中国から台湾のブログの閲覧はプロバイダーに依らずまず無理、中国政府によりブロックされているからだ。それで、T博士のiPhoneから送って貰ったのが、下掲コピー。画面上の物は即座に撮影され自動的にファイルとなって保存、そのファイルの取り扱いは本人の自由なので、著作権のへったくれも無し、そんな調子なのに、業者には法外な秘密保持を強要するA社。。。

忠孝吊橋から竹村の往復は私一人なので、とにかく残った人々に迷惑にならないようにと駆け足状態、仁愛、陶塞の両吊橋の橋柱など悠長に観察している余裕が無かった。それで上記ブログの案内を目にした時は、しまった!と舌打ちしたわけだ。試しに、当時撮影した写真を見返したら、何のご加護に肖ったのか、実に驚くべきことに、仁愛、陶塞の両吊橋で、日本時代の鉄線橋遺構を撮影していた。従って、「梅園竹村歩道−7」の写真説明文中の「梅園竹村歩道上で確認出来る日本時代の遺構は先に紹介した梅園駐在所跡とこの忠孝吊橋のみだった。」の部分は訂正しなければならない。(続く)


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posted by 玉山 at 00:00| 台北 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 合歓山越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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