2012年05月12日

パイワン族秘道−53:大亀文王国−5

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【写真説明】大亀文王国の中の一つ、「霧里乙」社跡の三枚。筆者の手元の日本時代地形図にはこのままの漢字に「プリイツ」の振り仮名が振られている。内頭獅公学校前から産業道路を辿ること二キロ弱の場所にある。左写真が産業道路上に現れた旧社入口。中央写真は旧社への降り口。右写真の左側が頭目の住居跡だと思う。というのは、阮理事長曰く、旧社跡で最も大きな石板が立てられたのが頭目の家で、自身の家はその隣(隣か、向かい側か?)だと。

内頭獅公学校前を走る産業道路は更に1キロ弱乗用車での進入が可能である。普通車がやっと2台留められるぐらいのスペースに車を置くと、その先の産業道路の延長で更にバイクでの走行が可能だ。産業道路と云っているが、実際は日本時代の旧警備道がベースだ。

さて、いよいよ旧内文社とその祖霊への表敬訪問へ踏み出す前に、前日の夜或るサイクリストの走行記録を通じて俄かに仕入れて来た部落名、「霧里乙」とは何処ら辺りに位置するのか?阮理事長に聞いてみた。すると、「そこが元々自分の部落だ。その先を右側に辿ればすぐだ。」という答えが返って来て筆者を喜ばせてくれた。今日は少なくとも二つのパイワン族集落跡を探訪出来る!

駐車地点から産業道路を僅かに辿るとY字路になっており、これまで辿って来た産業道路が狭くなりそのまま真っ直ぐに伸びていく一本と右側に折れていく乗用車一台余裕を持って走行出来るぐらいに道幅を確保したもう一本との分岐点だ。この分岐点から「霧里乙」社跡までは1キロ弱、内文社から降りて来た後尋ねた。阮理事長に依ると嘗ての戸数は25、小さな部落だ。

下掲左写真がそのY字路。右写真はY字路手前の「駐車場」。(続く)


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posted by 玉山 at 07:16| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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