2012年07月14日

パイワン族秘道−62:バタヱン社(高燕)

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【写真説明】左写真は台湾ではバタヱン社跡(旧高燕)とよく紹介される遺構。その遺構から旗塩山登山口へ向かい暫く進むと中央写真の廃棄された家畜飼育小屋に至る。私は見た途端豚小屋だと決め付けたが、この記事を書くに当りサイト中閲覧した記事の一つは「羊」と記していた。この小屋は既に消失していることを最近の旗塩山山行記録で知った。右写真はチャリシ社を後にし旗塩山登山口方面に歩き出すとすぐに見えてくる旗塩山。本文記事下掲の写真は旗塩山頂上三角点。

実は、バタヱン社が何処に存在するのかは私自身が確実にその地点に辿り着けていない、という意味でよく判らない。チャリシ社から旗塩山登山口に至る道は平坦で、途中、すぐにそれと判るピラミッド型の山が見えてくる。チャリシ社を後にして程なくして右手に石板屋の残骸に出食わすが、その距離の近さから当時は私はチャリシ社(その時分はこの日本時代の表記すら知らなかった)の延長と考えていた。私の手元の日本時代の地形図(大正五年三月製版『五萬分之一蕃地地形圖』)にはチャリシ社の記載は無く、代わりに、射鹿部落たる現在の旧チャリシ社と同位置にバタヱン社の記載がある。加えて、「羊」さんの同山行紀に次の下りがあった:

此段路程平緩易行,行約十幾分鐘經過一處石板屋遺址,座落於右側山坡上,大多已埋沒在荒煙蔓草間,從資料研判應該是「高燕部落」遺址。

但し、彼も「応該」(〜の筈だ)という表現を用いている。台湾のサイト中、私が今回の記事に掲載した旧社遺構をバタヱン社跡と紹介している山行記録が大部分である。実は、日本時代の地形図には、もう一箇所「バタヱン社」の記載がある。旗塩山北西の山腹である。

「バタヱン」は何処にあるのか?実は、この疑問に最も正確な解答を出しているのは、東京在住のOさんに依る、2009年01月09日から7回に渡り連載されたブログ記事『パイワン族創世の地へ』である。特に第3回目の記事を読むと、日本時代の地形図上の北側のバタヱン社の記載位置と一致していることが判る。又、旗塩山が何故パイワン族の聖なる山等の表現)であるかも同時に説明されている。

こんな話をしていても限(きり)が無いので、これまで記述した各ランドマークの位置関係を読者の方々に理解して貰う為に、このダイヤグラムを作成したので参考にして欲しい。直に紹介する予定の好茶部落も入れ込んだ。更に「バタヱン社」の位置を考察する為に追加の詳細拡大図も同時に掲載した。

さて、Oさんの『パイワン族創世の地』の中に以下の下りがある。「パイワン族発祥の地」などという表現(例えば「傳說中的排灣族發源地舊高燕部落」等)は台湾サイトの中でも多く見受けられるが、その伝説の中身がなかなか見付からないので、私には貴重な情報である:

駐在所跡の隣に石碑と最近建てられたであろう小さな東屋(3方には壁あり)があって、石碑には「撒拉湾在巴達因(サラワンはバダインにあり)」と書いてあります。このサラワンがパイワン族の創世神で、昔々世界が洪水になった時サラワンの導きでパイワン族は船で巴達因に辿り着き、洪水が引いた後徐々に各地に広がって行ったと言う事です。この事はノアの方舟がアララト山に辿り着き・・・と似ていますが、このような創世神話は世界の幾つかの民族にあるようです。

これを読んで、今回の記事に掲載した二枚のダイヤグラムを見ていると、標高1,000メートル程度のバタヱンの地が洪水で頭を出すだろうか?という素朴な疑問に捉われた。旗塩山と旗塩主山を含む稜線はぐるりと窪地を形成しているが、既に旗塩主山の標高は旗塩山の倍、更に、北大武山-霧頭山−井歩山を含む大天嶮に取り囲まれている。

何故「チャリシ」が「射鹿」という現代台湾表記になるのか?同様に、「バタヱン」が何故「高燕」という表記?三回に渡り記事を掲載してきたが、未だに自問中である。(終り)


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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
チャリシから旗塩山に行く途中にある集落名はtjulinaulj(パイワン語。発音してもらいましたが、日本語では表記できません)と言います。同行者(当時50代後半)はそこに親戚がいたので子供の頃来た事があると言っていました。

旗塩山山頂から道のない所を下ったり上ったりして辿り着いた石板屋群がkalicekuanです。

その先にバダインがあるのですが、そこは神聖な場所で入ってはいけない所だそうで、その上部を通り過ぎただけでした。

『大バダイン』という言い方があって、それは上記の全ての集落を含む旗塩山一帯の事だそうです。
Posted by メイウェンティ at 2012年07月14日 10:37
メイウェンティさん、コメントありがとうございます。

『大バタヱン』という集合包括名詞は便利ですね、何もかもが一挙に解決です。台湾のどのサイトだったか?チャリシ社には頭目が存在しなかったという一文を見たことがあります。これなら尚更判り易い気がします。

ところで、旗塩山山頂からkalicekuan石板屋跡までの距離(時間)はどのくらいですか?(了)
Posted by 玉山 at 2012年07月17日 09:21
当日、宿泊していたチャリシの石板屋での朝食後、tjulinaulj→旗塩山→kalicekuan→バダイン上部→旗塩山東斜面→tjulinauljと歩き、チャリシで昼食を食べました。山頂からkalicekuanまでの時間はよく覚えていませんが、1時間は歩いたような気がします。
Posted by メイウェンティ at 2012年07月17日 21:34
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