2012年07月28日

ルカイ族秘道−2:シャデル社(阿礼)

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【写真説明】左写真は阿礼部落一景。中央写真は井歩山三角点。右頂上に置かれた石碑。「登山」の下にローマ字表記のルカイ語が記されているが、残念ながら意味不明。

ルカイ族の集落では台湾最高所に位置する阿礼には過去二度訪ねたことがある。いや、正確に謂うと、明確な目的を持って訪れたのが二回という意味である。最初は阿猴富士こと、井歩山に登る為、もう一回は、今紹介しつつある阿礼−老好茶間間道を歩く為である。

私にとっての阿礼は何と言っても幻の湖、ルカイ族の聖地の一つである小鬼湖への入口である。現代台湾では同湖はルカイ語で「巴油」池という漢音を充てている。日本時代は「バユ」池の表記、「湖泊」の意味である。この村から大理石採鉱の為の産業道路が付いている。今は廃棄されており、代わりに、小鬼湖林道とも呼ばれているようだが、正確には、弘易(大理石)礦場産業道路であり、東へ東へと50キロ程度も延びる。この道路沿いに(阿礼に近い方から)霧頭山や知本主山への登山口があり、そして大武山自然保留区内の白眉、知本主山北東山麓の小鬼湖に至る。採鉱道路であるから嘗ては車で入れたわけだが、或る台風の後、阿礼から暫く産業道路を入った場所で岩盤が崩壊を起こし完全に道を塞いでしまった。私もこの崩壊は確認したことがある。爾来、小鬼湖に至るには徒歩しか手段がなくなり、往復約90キロ、四日間の行程と相成った。ますます幻振りに磨きが掛かったわけだ。小鬼湖は必達の地と心得ているのだが、その夢は果たして叶うやら。

ここで一つ、読者の方に訂正方々お詫びをしなければならない。これまでの記事本文、掲載ダイヤグラムの中で数箇所、井歩山=シャデル山と紹介したが、これは完全に私が日本時代の地形図を読み誤った所業であった。それらの記事、ダイヤグラムは既に修正を終えている。

私の手元にある日本時代の地形図は、阿礼=シャデル社である。しかし、阿礼のローマ字表記はAdiriで台湾では阿滴哩等の漢音で読ませている。私は何処かで阿礼=アデル社という知識を仕入れており、こちらの方が現代ローマ字表記そのまま、しかも、日本時代も阿礼の地はそう呼ばれていたはずなのだが、シャデルとアデルがルカイ族の同一集落を指すのかどうか?全く自信が無くなった。戦後の日本人研究者に依る使用例もアデル社である。

そこで、シャデルとアデルを並べて台湾のサイトで検索を掛けたら、一発で回答が出て来た。行政院原住民族委員会文化園区管理局『台湾原住民族伝統聚落(含古道)委託研究報告建置計画案−霧台、好茶古道与聚落研究報告書』(報告年月日:2009年10月15日)という論文である。この100ページを越す論文は、まるまるルカイ族古道紹介そのものになっており、驚嘆した。で、この論文中に、阿礼は日本時代、シャデル、或いはアデルと呼ばれたと明記してある。一件落着である。

で、もう一度、日本時代地形図と現代地図帳を見比べてみたら、面白いことに気付いた。実は、日本時代地形図の阿猴富士=井歩山には山名の記載が無い。私が井歩山そのものと見誤ったシャデル山は井歩山と稜線続きの南側のピークなのだが、現代地図帳には「霞迭爾山」の表記がある。シャデルの漢音訳だ。で更に同じ稜線を南に辿ると霧頭山に至るのだが、途中、東側に派生する稜線上に「亜泥留山」(又は、亜尼笛山)の表記がある。アデルの漢音訳である。但し、日本時代地形図には、アデル山の表記も無い。阿礼たるシャデル、アデルは山から降りてきたものか?逆に山の上に登ってしまったのか?多分、前者だと思う。以上は、シャデル−コツアボアン間道の位置関係も併せてこのダイヤグラムに纏めたので参考にして欲しい。因みに、井歩山、霞迭爾山、亜泥留山は阿礼部落を基点にして台湾人によく登られている中級山である。

ここまで来ると、何故、「井歩山」と呼ばれるのか?が最後に残った疑問だ。今の所、手掛かり無し。(続く)
posted by 玉山 at 11:35| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ルカイ族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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