

【写真説明】まずA案を実行すべく、「合歓山越嶺古道−22」で紹介した梅園竹村歩道の入口の廻頭湾までやって来た。同じ入口を共用する前回は入山を見送った蓮花池歩道を辿るのが目的だ。すると、左写真の警告板が目に飛び込んで来た。そのまま眼を歩道奥に移すと、橋柱の周りのみコンクリートの土台を残され、橋そのものも含め後はすべて崩落した歩道中最初の吊橋である清渓吊橋(前回「合歓山越嶺古道−23」で紹介)の無残な様子が明確に観て取れた。途端にA案は引っ込めた。
今年も大型台風が台湾を襲う。本年は3月に第1号が発生したが、その後5月以降毎月必ず、日本の気象庁が「非常に強い」か「猛烈な」と呼ぶ大型台風が台湾に来襲している。最近の14号「テンビン(天秤)」が15号「ボラヴェン」との「藤原効果」で南台湾で逆戻り現象を起こしたと云うニュースには、台風に親しんでいる割には初めて耳にした学術用語と謂う事もあり、殊更に台湾の惨状、取分け、山、谷筋の大崩壊が具体的なイメージとなって胸中で増幅される。
昨年8月の初めての蘭嶼行は素晴らしい天気に恵まれるという幸運も手伝い、僅か一泊二日の探訪に過ぎなかったが、強烈な印象が残った。さて、それから一年、次はこれも長年念願して来た宜蘭市沖の亀山島を目指した。熱帯低気圧に変じてはいたが、二個の台風、11号「ハイクイ」と12号「キロギー」の余波で台湾の天気はなかなか安定していない時分だった。それで、僅か一日だけだが時間稼ぎの為に、初日から雪山トンネル経由で宜蘭に入るのを変更して、合歓山越えでタコロ渓谷に降りて、そこから宜蘭に北上することにした。尚、亀山島探訪記は後日文字にする予定である。
合歓山越えから宜蘭に至るまでに充てた時間は12時間、今年の台風の頻度と規模から各所恐らくずたずたになっているだろうと予測し、A、B、C、D案を準備していた。即ち、順に、合歓山越嶺古道−蓮花池歩道、研海林道、比亞毫古道(南澳古道)、蘇花古道−大南澳越嶺段である。結果を先に言えば、これら四本、すべて入口に進入禁止の表示が掲げられていた!特定のどの台風が各々の道路に直接的な影響と被害を齎したか?は判らないが、私が当地に出向く直前、7月末の9号「サオラー」は花蓮方面から上陸しているので、それが直近の惨状の原因だと思われる。
タロコ渓谷に入ったのは土曜日にも拘わらず、しかも夏の観光シーズンにも拘わらず、天祥の駐車場は閑散として、その後渓谷の出口までの間、あの中国人を満載して行き交う観光バスに全く出会わないという、何とも摩訶不思議な現象に出食わした。渓谷内の一番の観光スポットである九曲洞まで来て合点が行った。中横に面する九曲洞入口上部が崩壊し落石を起こしていた。小規模な落石は中横上でも見られた。大陸の同胞に若しものことが無き様、台湾政府が旅行業者に勧告を出したものと思われる。(続く)
【関連する記事】
- 合歓山越嶺古道−41(霧社−4)
- 合歓山越嶺古道−40(霧社−3)
- 合歓山越嶺古道−39(霧社−2)
- 合歓山越嶺古道−38(霧社−1)
- 合歓山越嶺古道−37(研海林道)
- 合歓山越嶺古道−35(饅頭山)
- 合歓山越嶺古道−34(梅園竹村歩道−13)
- 合歓山越嶺古道−33(梅園竹村歩道−12)
- 合歓山越嶺古道−32(梅園竹村歩道−11)
- 合歓山越嶺古道−31(梅園竹村歩道−10)
- 合歓山越嶺古道−30(梅園竹村歩道−9)
- 合歓山越嶺古道−29(梅園竹村歩道−8)
- 合歓山越嶺古道−28(梅園竹村歩道−7)
- 合歓山越嶺古道−27(梅園竹村歩道−6)
- 合歓山越嶺古道−26(梅園竹村歩道−5)
- 合歓山越嶺古道−25(梅園竹村歩道−4)
- 合歓山越嶺古道−24(梅園竹村歩道−3)
- 合歓山越嶺古道−23(梅園竹村歩道−2)
- 合歓山越嶺古道−22(梅園竹村歩道−1)
- 合歓山越嶺古道−21(金馬隧道)