


【写真説明】旧霧社公学校跡である台湾電力万大発電廠第二弁公室構内。左写真は構内から正門を望む。中央写真は、構内裏側に残る松の大木。右写真は、日本式家屋の台電職員宿舎だと思うが、戦前からのものかどうか?は疑問。
最近同地を再訪する機会あり、その際、市街地内の霧社事件縁の地に真新しい案内板が立てられていることに気付いた。僅か二ヶ月前には存在しなかったものだ。それ故、本来は霧社シリーズは二回で完結させることにしていたが、もう二回程度追加することにした。実際は、市街地内の霧社事件関連史跡に限定されているのではなく、仁愛郷内から関連地十二箇所が選択されている。仁愛郷郷公所は着々と台湾人の教化と観光誘致に励む。
何処でこの案内板に気付いたかと云うと、合歓山方面から降りて来て高雄に戻る途中、旧霧社公学校の跡地である台電正門前に車を停めて中を覗いてみたら、門自体が開いており、明らかに台電職員ではない人々が構内を散策している。何だ、外部者も自由に入れるではないかと思い、まず、その台電施設の正式名称を確認する為に、門に据え付けられたプレートを看る為に車外に出たら、そこに前述の桜をイメージしたピンク下地の真新しい案内板が立てられているのに気付いたのだ。そのタイトルに曰く『霧社公学校(霧社事件発生地)』。これで、霧社事件を勉強中と言えば、堂々と台電構内に入れることが判ったし、自身が日本人であることを然程気にせずともいいかとも考えた。(続く)
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