2013年03月30日

苗栗獅山古道−3

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【写真説明】左写真は日本時代建立のバロック式牌楼がそのまま残る霊霞洞、お寺である。獅頭山山中の寺廟の白眉だと筆者は思う。この寺廟の詳しい説明は本文参照。右二枚は、獅山古道最高点下にある元光寺と境内内に設けられた休憩所。ご覧のように日本時代に建立されたはずの寺は跡形もないのだが、その当時の寺の遺物と思しきものを利用している。このような例は神社跡ではよく見られる。戦後、台湾の神社は粗方破棄されてしまったが、仏閣の方も同じ憂き目にあったのかどうか?

獅尾登山口から獅山古道最高点(標高450メートル)であり同時に獅頭山への登山口になる望月亭までは、約2,500メートルの緩やかな登り一方である。この間には、獅山古道−1で写真を掲載した万佛庵を皮切りに以下の順で廟が並ぶ。獅頭山は元々は曹洞宗獅頭山として開山されたはずなのだが、山内に散在する廟堂はそれが純粋に仏教なのか、或いは他教、はたまた混淆なのかは日本人である私には俄かに判じ難いものがある。「寺」なら仏教か?私は自信が無い。それでわざわざ「廟が並ぶ」としたのだ;

万佛庵 →金剛寺 →霊霞洞 →覚王洞 →覚然塔 →海会庵 →元光寺

各廟堂には風景区管理処に依る案内板が附され、オリジナルの建立から現在に至るまでの簡歴が丁寧に説明されている。それらを見る限りは、現在の廟が金ぴかでも創建は日本時代だというのが確認出来るようになっている。私は実は入山の前、この獅頭山が日本人に依り開山されたことを知らなかったので、早い話が、加里山とそこに咲き乱れているはずの一葉蘭に振られ、暇潰しがてらに立ち寄っただけだったので、正直その史実に驚いた。

上で列記した廟堂の中で明らかに日本時代建立のものがそのまま残っているのは、霊霞洞だけだと思う。この廟堂は、非常にユニークな建築物で、日本人なら一見の価値あり。現地の案内板(中国語+英語)をそのまま日本語に訳すのが、何がユニークを説明するのには一番良いと思うのでここに拙訳を掲載する:

[拙訳開始→]

【本文】
「バロック式廟宇―霊霞洞」(註1)
鬱蒼とした深山に在り、一種特殊なバロック式風格を持つ牌楼。毎年春になると廟堂の前の山谷は雲海に覆われ何も無い空間が広がり(「洞前山谷雲海虚無飄渺」註2)、その山間を流れる渓流は測れない程に深い(「山谷流泉水深莫測」)。それ故、牌楼左右に「山虚」と「水深」と刻された額が掛けられた。霧と雲とが徐々に流れ来たり(「霧雲徐徐飄来」)、その雲間から放射する光線が直接この山間を照らす時(「霞光過直射山谷」)、千変万化する五色雲が形成される(「形成千変万化五色雲霞」)。それ故、「霊霞」と名付けられた。

この一個の浅い岩窟を利用して作られた寺廟は、大正6年(1917年:註3)着工、大正13年(1924年)完工、昭和7年(1932年)正面の牌楼をバロック式に替えた。本尊は釈迦牟尼仏、それに侍るのが、大伽葉尊者、阿難尊者、観音菩薩、韋駄菩薩、伽藍菩薩である。

【表:廟略歴】
[年号]、[西暦]、[重要事項]
*大正6年、1917年、獅頭山内洞穴に起居していた尼僧が縁有り、善男善女と共に、一念発起し起工(「原住獅洞之尼姑善縁、偕其女徳良婿、徳心発願興建」)。
*大正13年、1924年、霊霞洞完工。
*昭和7年、1932年、寺廟正面をバロック式に改修。

【コラム:バロック式建築】
バロック式建築の風格はその建築物の外観が擁する精緻な装飾と彫刻にある。精巧な工芸技術と相俟って、見る人に華麗な趣を与える。
[←拙訳完了]

註1:「バロック」の台湾中国語表記は「巴洛克」。
註2:「虚無飄渺」は明らかに白居易『長恨歌』の「山在虚無飄渺間」より。「山谷流泉水深莫測」も中国古典からかもしれない。
註3:訳出した年号表記はすべて現地の案内板そのままである。台湾では、日本統治時代の事蹟を中華民国年号で表記するケースは今でも多い。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 苗栗獅山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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