2013年10月12日

八通関古道東段−5

Kodou-1192.jpg Kodou-1193.jpg Kodou-1194.jpg
【写真説明】左写真は、黄麻駐在所跡。中央写真はその遺構の中にある貯水槽跡か?右写真は同駐在所脇を通る古道がカシバナ事件殉職者之碑方向へ抜けていく辺りに残る駐在所遺構、石垣と階段。下掲写真は、同駐在所跡に掘り出され放置されてあった日本時代の瓶、「サクラ」の銘あり。

[山風(さんふう)]→(4.4K・4.4K)[佳心(かしん)]→(3.55K・7.95K)[黄麻(こうま)]

「日経ギャラリー」2009年7月号(NIKKEI GALLERY Vol.74)に掲載された『宝島の歴史を辿る 台湾古道を行く 第1回』では、八通関古道東段蕨歩道全長14キロを全力疾走で駆け抜けたような塩梅になってしまったので、地名だけは本文中に含まれてはいても未だ解説を附していない地点―例えば歩道終点の蕨―を拾いながら今後数回に渡り紹介しながら、この八通関古道東段カテゴリーを一旦閉じることにする。

14キロというのは実は非常に短い。その間を往ったり来たりするのは読者を混乱させるだけなので、素直に東段入口の「山風」から順を追い、「蕨」に向かうことにする。

まずは、黄麻駐在所である。この地の案内板は以下のような解説になっている。
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黄麻:
ブヌン語の「koma」は「耕地」の意、又、黄麻(ジュート)の栽培地であったことも由来している。日本時代には此地には駐在所があり、1920年6月29日に設置、1944年に廃棄された。海抜約910メートル、当時は凡そ9 名の人員が配置されていた。本地はカシバナ事件に関わる古戦場でもある。駐在所はスパフナン渓東側の高台に位置していた。他によく間違われ易いのだが、小規模な桃林駐在所が現在の黄麻1、2号橋の間、海抜1,020メートルに位置しており、1934年には撤廃された。本区は本来ブヌン族スパフナン部落である。スパフナンとはブヌン族の氏族名であり、カシバナ社に属し、当社住民は巒社群に区分けされ、黄麻渓西岸標高約800メートルの地に分散、居住していた。
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『東台湾展望』等で見る当時の黄麻駐在所は梯子掛けの相当な高台に作られていたように見受けられるが、今は古道脇の少々高くなった上掲写真に見るような広場である。その広場の外れ、次のランドマークであるカシバナ事件殉職者之碑に向かう古道脇に日本時代のビン類が掘り出され放置されていた。(続く)


Kodou-1195.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 八通關古道-東段 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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