2013年10月26日

八通関古道東段−7

Kodou-1202.jpg Kodou-1203.jpg Kodou-1204.jpg
【写真説明】左写真は蕨駐在所跡へ導かれる木立と古道。中央写真は、日本時代の蕨駐在所跡地に建てられた山小屋。当時撮影した当該山小屋の写真はこれ一枚のみ。外部の水タンクとか小屋内部の様子を撮影した記憶があるのだが、何故か見当たらない。右写真は蕨山小屋の外側壁に貼られたアドレス・プレート、当該地の正式な地名と番地になる。

[桃林(とうりん)]→(3.5K、13.35K)[蕨(わらび)]

八通関古道東段蕨歩道の終点にしては、山小屋並びに周辺の写真が余りに少ないので‘自分自身で驚いている始末だ。現在の山小屋が建てられた後も、日本時代建造の駐在所は暫く並立していたのは、台湾のネット内を渉猟すると判る。私が踏査した2008年当時は既に解体・整理された後だった。(続く)
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瓦拉米、日本語転音=「蕨」(わらび):
ブヌン語の「Maravi」は「一緒に」の意味、日本人は「わらび」の音を当てたが、現代漢音訳は「瓦拉米」。日本時代には此地には駐在所があり、1920年6月29日に設置、1944年に廃棄された。海抜約1,068メートル、当時は15 名の人員が配置されていた。本地は現在の歩道入口から13.6キロの距離があり、一日の歩行行程であり、ハイカーの最初の野営基地となる。駐在所前方はタロム渓谷と雲を突くように聳える標高三千メートル越えのカシバナ山の景観、下を俯瞰すると落差九百メートルのラクラク渓谷が横たわる。曾ての駐在所敷地内には酒保(警官並びに眷属専用の雑貨店)、客間(招待所)、蕃童教育所、医療所等が設置された。今現在は瓦拉米山屋に取って替わった。ワラビ部落はカシバナ社に属し、大部分の住民は巒社群に区分けされるが、この地区の住居は僅かに三戸の遺構が確認されるのみである。
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[筆者註:2013年11月7日]大正13年(1924年)台湾総督府警務局出版の三十万分の一台湾全図を眺めていたら、桃林と蕨駐在所の間に更に「清流」駐在所が存在していたことに気付いたので付記しておく。
posted by 玉山 at 16:38| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 八通關古道-東段 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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