2013年11月30日

淡蘭古道−1

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【写真説明】左写真は、台北市万華区にある龍山寺境内中の本殿、2001年11月撮影。日本時代に修復され終戦間際消失、その後再建された本殿は、撮影時は修復中、ペイント画で本殿を模したテントが張り巡らされていた。当地は、101、故宮博物院、中正紀念堂と並ぶ台北市の「四大外国人観光地」とされる。「万華」の古名は[舟孟][舟甲]、道路名等で今でも残るが、所謂「古台北」の中心地、龍山寺はその古台北の顔である。台湾には北から、淡水、[舟孟][舟甲]、鹿港、台南、鳳山の地に同名の寺が現存するが、何れも、大本は大陸福建省泉州晉江龍山寺、台湾のそれらは台南のものを除き国指定の古蹟である。右写真は同境内の鐘楼。

<「淡蘭」について>
「淡蘭」と書けば、現在の新北市淡水区と宜蘭市の頭と尾の合成語のような印象を受けるかもしれないが、正確には清代の行政区画であった淡水庁と[口葛]瑪蘭庁の頭尾である。淡水庁が設置されたのは雍正年間(1723〜1735年)で、当時は、現在の台北市、桃園県、新竹県、苗栗県を抱合する広大な行政区画であった。

他方、[口葛]瑪蘭庁の設置は嘉慶年間(1796〜1820年)、現在の宜蘭県の蘇澳以北に相当する地域であった。当時の淡水庁の中心地は[舟孟][舟甲]。これは、「丸木舟」を意味する平埔族ケタガラン族語の「ヴァンカア」の漢字表記。台湾語ではバンカと読む。2010年に封切られた台湾映画の題名にもなり、同映画の邦題『モンガに散る』の「モンガ」もこの地名を指している。現在の行政区画では台北市万華(註1)区に相当、嘗て「一府二鹿三[舟孟][舟甲]」と謳われたように、台南府城(台南市)、鹿港(彰化県鹿港鎮)と共に清代台湾の三大都市の一つとして隆盛を極めた。つまり「古台北」である。

淡蘭古道とは、この古台北地区と台湾東海岸で最も早期から開発された蘭陽渓下流域の平野部との間に開鑿された交易道・軍用道を指す。これが淡蘭古道の原初形態であり、「官道」(正規道路)を形成した。今現在は殆どが自動車道に取って変わられ、当時の風貌を留めた僅かに三本の古道が残っているに過ぎない。今回の投稿ではまずこれらオリジナルの淡蘭古道三本を紹介する。当時、重い荷を背負って台北を発し複数の嶺を越えて漸く太平洋を見渡す所まで来た人々の眼にまず飛び込んできたもの ― 宜蘭沖約10キロに浮かぶ亀山島 ― にも同時に言及する。(>(メルマガ「台湾の声」2012年11月10日掲載分の一部を改編)(続く)


(註1)大正9年(1920年)台湾総督府は[舟孟][舟甲]を「萬華」に改名した。
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 淡蘭古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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