2013年12月07日

淡蘭古道−2

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【写真説明】左写真は淡水河左岸河口、新北市八里区八里渡船頭(埠頭)から対岸の淡水区を望む。同写真奥の山塊は陽明山群峰。古台北は淡水沿いに発展し、やがて遡り、宜蘭を代表する東海岸を山越えで目指した。右写真は、古台北と東海岸を結ぶ古えのコース途中、日本人観光客にも人気のある新北市瑞芳区九份の南に位置する三貂嶺から南東方面になる太平洋側を望む。同写真右奥に写る島嶼が亀山島。古台北から東海岸を目指した人々はこの眺望を目指した。

<淡蘭古道のメイン・コース>
筆者はこれらオリジナルの古道を狭義の淡蘭古道と呼ぶことにしている。というのは、台北地区と蘭陽平野を結ぶ雪山山脈越えの「間道」は夥しく開鑿されてきたからだ。それらの利便性は、今現在大きく三本の自動車道、即ち、北から国道5号線=「雪山隧道」を含む通称「蒋渭水高速公路」、省道9号線=通称「北宜公路」、省道7号線=通称「北部横貫公路」(註2)に集約されているが、山中にはまだハイカーに歩かれている間道が少なからず残存している。

台北地区を発した人々は基隆河(註3)を八猪(基隆市)、或いは暖暖(基隆市)まで遡行し一泊。翌日、更に基隆河沿いに東進。瑞芳(新北市)、侯[石同](新北市)を経て三貂嶺に辿り着き(三貂嶺古道)、そこを越えて、牡丹(新北市)、双渓(新北市)まで降りて二泊目。さらに貢寮(新北市)まで南下。そこから僅かに東進し福隆(新北市)まで出て、更に隆嶺越え(隆嶺古道)で太平洋岸の石城(宜蘭県頭城鎮)に降りて大里(宜蘭県頭城鎮)に至るか、草嶺越え(草嶺古道)で大里に直接降り、後は海岸沿いに南下。頭城、宜蘭へと蘭陽平野の中心部を目指した。ざっと100キロ程度になる。

現在歩かれている三本の古道は、一般のハイカーでも楽に短時間で歩き通せる長さと勾配を有しており、しかも台北地区からであれば日帰りで十分だ。沿線の自然景観は申し分なく、清代から日本時代に掛けての遺跡も豊富に残存している。(>(メルマガ「台湾の声」2012年11月10日掲載分の一部を改編)(続く)

(註2)「省道」とは本来は「国道」と称すべきものだが、行政院交通部は未だに変更していないので現在の呼称に従った。現在の台湾で「国道」とは高速公路(道路)に対する呼称である。

(註3)基隆河は、淡水河の主要支流。源頭は新北市平渓区の分水嶺。台湾では通常河川名は「渓」で表されるが、基隆河、淡水河は珍しい例。尚、淡水河は流域面積、総延長とも台湾第三の河川、源頭は雪山山脈品田山(台湾百岳第24座)。
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 淡蘭古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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