2013年12月14日

淡蘭古道−3

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【写真説明】左写真は、新北市瑞芳区内台湾鉄路平渓線侯[石同]駅近くにある三貂嶺古道入口付近に立つ指導票。「金字碑古道」と刻まれているが、この古道段最上部に通称「金字碑」が現存しているからである。中央写真はその古道入口付近の古道の様子。右写真は古道入口付近に設けられた休憩所と休憩を楽しむ人々。総じて草臥れた感じがしないでもないが、昔から台北近郊の人々に良く歩かれて来た証左とも言える。下掲左側写真は、古道最上段、三貂嶺直下の岩壁を利用した「金字碑」。右写真は古道を登り切った場所にある広場に現存する「奉憲示禁」碑と「探幽亭」と額された休憩所。

<三貂嶺古道>
侯[石同]小学校脇を暫く辿った場所に登山口を持つ三貂嶺古道は登り一方だが、今に残る古道の延長は僅かに1キロ程度、一時間もあれば最高点である海抜500メートル越えの三貂嶺、双渓−牡丹−九[イ分](新北市)−瑞芳を結ぶ(旧台北)県道102号線に出会う。つまり、今はこの自動車道に取って替わられたわけだ。

三貂嶺古道の途中には、同治六年(1867年)の銘のある台湾鎮総兵(註4)劉明燈作詩・揮毫の篆(てん)書体に依る「金字碑」がある。自然石上に高さ約2.5メートル、幅約1.5メートルの額を削り出し、嘗ては金箔が貼られていたらしく、同古道は金字碑古道とも呼ばれる。三貂嶺に至り眼前に開けた基隆・東北角海岸の風景を詠じ、同時に当時の清朝を取り巻く国際情勢(註5)に思いを馳せた七言律詩で、この段が軍事道の性格も有していたことを物語る。又、古道を登り切った場所は、涼亭が設けられた休憩所になっているが、咸豊元年(1851年)の銘がある、旅行者・商人に付近の山域の樹木の乱伐採を禁じる旨を通告した「奉憲示禁」碑もある。

ところで、「三貂」の台湾語発音は「サム・ティアオ」、中国語では「サン・ディアオ」、スペイン語・ポルトガル語の“St. Diego”「サン・ディエゴ」(註6)が語源、台湾にはこのようなヨーロッパ語起源の地名が少なからず存在するが、その一例である。(>(メルマガ「台湾の声」2012年11月10日掲載分の一部を改編)(続く)


(註4)正式には福建台湾鎮は清代台湾の最上位軍事機関。「総兵」はその長官。

(註5)直接的には、石碑の銘と同年1867年に発生、劉明燈自身も関った米国籍商船「ローバー号事件」を指しているそうだ。この事件は、アメリカ版牡丹社事件と云えるもので、同船は同年に恒春半島最南端で座礁、沈没、上陸後船長以下12人が原住民に殺害された事件である。牡丹社事件の発生はこの4年後である。ローバー号事件の際、事件処理に奔走したのは、アモイのアメリカ領事チャールズ・ルジャンドルで、彼は後に明治政府に外交・軍事顧問として雇用され、牡丹社事件後の外交処理に対するアドバイスを行った。この間、副島種臣に随行し北京にも出向いている。勲二等旭日重光章を授与された最初の外国人でもある。最後はソウルで客死、墓もソウルにある。

(註6)日本人には米国カリフォルニア州の同名南部都市が良く知られているが、世界中には多分無数に近い程に同名地名があるはず。

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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 淡蘭古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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