2013年12月21日

淡蘭古道−4

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【写真説明】左写真は台湾鉄道宜蘭線福隆駅と石城駅との間を結ぶ旧草嶺隧道の北側、即ち福隆駅側入口付近の様子、旧トンネルはサイクリング・ロード化され、そのトンネルの両側は遊楽客の為にレクリエーション施設が完備している。中央写真はその旧トンネルの福隆側入口、日本時代開鑿のトンネル上部に「制天嶮」の額が掛かる。右写真は同トンネルの石城駅側から、その「天嶮」―東側隆隆山(標高433メートル)と西側福隆山(同474メートル)を結ぶ―を仰ぎ見る。下掲左写真は、福隆側入口付近に大事に保存されている「故吉次茂七郎紀念碑」、同碑裏側には「吉次君ハ福岡縣ノ人」で始まる吉次氏の経歴と遭難の顛末が記されている。右写真は、「白雲飛處」の額が掛かる石城側旧トンネル出入口付近の様子。

<隆嶺古道−1>
隆嶺(註7)古道の位置に関し最も判り易い説明は、台湾鉄道宜蘭線福隆駅と石城駅との間を結ぶ旧草嶺隧道(註8)越えの山道、と云うものだろう。この古道下を、大正十三年(1924年)、三年の長きを掛け、その間、日本人・台湾人合計三百七十余名の犠牲者(死者11人、負傷者366名)を出しながら完工させた当時台湾で最長のトンネルが貫いているからだ。この古道の場合、鉄道に取って替わられた事例である。

1986年、複線化に伴い退役、爾来二十年以上もトンネルの出入口は煉瓦で封じられ放置されてきたが、2008年、東北角[既/旦]宜蘭海岸国家風景区管理処と台湾鉄路局とが共同で、この旧トンネルをサイクリング・ロード化(註9)、加えて遊楽客向け施設も付設し一般に開放した。トンネル長は二キロ強なので、片道10分足らずでトンネルの両端を往復出来る。週末・休日以外はトンネル内の歩行もOKだ。

旧トンネルの北側、福隆駅側入口上部には「制天嶮」(天険を制する)、南側、石城駅側には「白雲飛處」(白雲の飛ぶ処)の共に草書体のレリーフが懸かる。前者が当時の台湾総督府鉄道部部長・新元鹿之助、後者は同府総務長官・賀来佐賀太郎揮毫に依るものだが、日本人にしろ台湾人にしろ現代人には達筆過ぎて最早判読不能(註10)だ。もう一つ、北側入口付近には、「故吉次茂七郎紀念碑」が丁寧に保存されている。トンネル完工の前年に病没、三十四歳で夭折した福岡県出身の工事監督者の慰霊碑である。以上のように、この地は日本時代縁(ゆかり)のもので埋め尽されている。


(註7)「隆」は、やま・かんむり付きでも表記されるケースが多いが、本投稿では「隆」で統一した。
(註8)正確には、台湾鉄路管理局東部幹線宜蘭線福隆車站と石城車站。
(註9)正式名称は「旧草嶺隧道自行車道」。
(註10)「白雲飛處」の最初の字は「白」か?或いは「國(国)」か?は台湾では随分長い間論争されてきたが、2011年暮れになり当時の行政部交通部部長に依って「白」と裁定された。

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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 淡蘭古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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