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2014年02月15日

淡蘭古道−12

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【写真説明】台北地区と宜蘭地区を結ぶ国道は省道9号線、北宜公路と呼ばれる。雪山トンネルを含む高速道路「国道5号線」の開通で、この雪山山脈北端超えの道路は急速に廃れつつあるような感じを受ける。この北宜公路の最高点は、旧台北県(現新北市)と宜蘭県の境界線上にある。左写真は台北県側から宜蘭県側を見た境界付近の省道9号線の様子。右写真は、北宜公路中の最大の難所にして最大の名所、長大な九十九折「九湾十八拐」越しに陽蘭平野を望む。

<淡蘭古道「南段」=「淡蘭便道」>
「淡蘭古道−1」〜「淡蘭古道−11」までの間で紹介した三本の古道は、最も早期に開鑿された台北地区と台湾東海岸最大の平野部である蘭陽平野を結ぶ幹線で、基隆河を遡行、台北から東側に辿り最後に太平洋岸に出るコースである。その後、この「官道」(正規道)より南側に開鑿され同様に雪山山脈北端を乗り越し蘭陽平野に下りる道路は多数開鑿された。オリジナルの淡蘭古道を北段とすれば、これら南側に開鑿された越嶺道は南段と総称出来る。

その南段の代表が、現在新北市新店区市街地を発し、同市石碇区と坪林区を経て宜蘭県頭城鎮市街地に至る総延長約60キロの「北宜公路」(省道9号線本線:註1)の前身となる北宜古道である。前回投稿で紹介した三貂嶺−隆嶺−草嶺古道という形で残る淡蘭官道に対し、この北宜古道は「淡蘭便道」(通用道)とも呼ばれる。今回の記事では、この淡蘭便道を現在の北宜公路との関係の中で紹介する。(>(メルマガ「台湾の声」2012年12月31日掲載分の一部を改編)(続く)

(註1)「省道」とは本来は「国道」と称すべきものだが、行政院交通部は未だに変更していないので現在の呼称に従った。現在の台湾で「国道」とは高速公路(道路)に対する呼称である。


「北宜公路」の最高点には「石牌県界公園」という公園が付設され、その名の通り様々な石碑が立つ。その中の一つが「北宜公路殉職先霊記念碑」で記念碑の袂に祠があり、その前に円形のレリーフが置かれ、北宜公路の歴史が記述(中文のみ)されている。筆者の今後アップする記事の先取りをする形になるが、その全訳を以下に掲載する:

『時空を貫く回廊―北宜公路』

台北地区と宜蘭地区はすぐ隣同士に位置するように思われるが、実際はその間を雪山山脈が介しているので、両地区の往来は容易ではなく、18世紀から漢人が陽蘭平原に入植を開始して以降、台北盆地から雪山山脈を越えて宜蘭に至る陸路交通は、これら台湾東西の都市群にとり常に大きな課題であった。

所謂「淡蘭便道」の正式開鑿は、1886年2月、劉銘伝治下だと考えられる。台北・宜蘭の両地区住民が往来を繰り返し、淡蘭便道は19〜20世紀に掛けて、これら両地区の最重要道路であった。

日本の台湾領有初期、林火旺に率いられた抗日集団は、現在の頭城、礁渓、坪林一帯を根城にしていたが、1898年、林は日本側に投降、台湾総督府はこの抗日集団の勢力を殺ぐ為に、「北宜道路」の開鑿に従事することを命じた。この道路完工後、両境界地点に開路碑を建立、これが旧地名「石碑仔」の由来であり、即ち今現在行楽客が足を留めるこの地のことである。

「北宜道路」は軍用道路の要素が強く、軍人と騎馬が多く往来した。其れ故、当地の人々は「跑馬道」とも呼んでいた。第二次世界大戦末期になると、台湾総督府は北宜道路の拡張工事に着手、自動車通行を可能にした。この時、当該道路を頭城鎮の太平洋側に延伸させた為に、今に見る「九湾十八拐」と呼ばれるユニークな大九十九折(つづらおり)景観が現出、陽蘭平野の最適な俯瞰地点となった。

「北宜公路」は戦後も継続して拡張工事が繰り返されたが、依然として両地区の往復は簡便なものにはならず、宜蘭人は根本的にこの交通問題を解決する必要があると考えていた。或いは、別にもう一本、台北−宜蘭間を直線で結ぶ快速道路を開鑿する案も浮上、1989年に至り、北宜快速道路を建設することを政府決定、その後、快速道路は高速道路へと格上げされた。宜蘭史始まって以来の最大の道路プロジェクトになったばかりか、台湾の東西を結ぶ初めての高速道路建設となった。

この高速道路は台北南港を出発、雪山山脈を貫き陽蘭平野に至るもので、全長約30.8キロ、1991年7月に建設開始、多数のトンネル工事が建設の中心となったが、中でも最も困難を極めたのは、全長12.9キロの当時アジアで最も長い道路トンネルとなった「雪山トンネル」の段であった。岩板断層の開鑿が進展するにつれて湧水が噴出、この為開鑿後も崩壊箇所が多数出現、世界中が瞠目する難工事となった。2004年9月、雪山トンネルは貫通した。陽蘭平野まで伸びた高速道路は国道5号線として2006年6月に全線開通した。この開通を記念すると同時に、脈々と続く陽蘭平野開拓精神を後世に引継ぐ為に、「蒋渭水高速道路」と名付けられた。

posted by 玉山 at 00:00 | 台北 ☁ | 淡蘭古道

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