2014年03月01日

淡蘭古道−14

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【写真説明】宜蘭庁庁長 西郷菊次郎建立の「湖底嶺開路碑」、今は当時の碑文は全部削り落とされ、全く別な石碑になっているが、元々起立していた場所から動かされていない、というより巨大過ぎて動かそうにも動かせないような岩盤を利用してある。左写真の「金面体観」の側が台北側を向いており県界公園の駐車場に車を停めた行楽客の目に飛び込んで来るのはこの面である為、当該石碑の正面のように思えるが、実際は裏である。同碑左下に二本の線状の物が見えるが、オリジナルの碑文を埋め込んだ跡である。中央写真は、碑の裏側、オリジナルの石碑正面。右写真はその表側上部、児玉源太郎揮毫の「平塹雲開」の文字が刻まれていた部分ではないかと想像する。

<「石牌」>−2
宜蘭庁庁長 西郷菊次郎、第四代台湾総督 児玉源太郎治下に於いて、現在の北宜公路の前身、北宜道路が最初の完成を見た。この最高地点は当時「湖底嶺」と呼ばれており、西郷揮毫の「湖底嶺開路碑」を建立。同碑には児玉が題字を揮毫した篆額「平塹雲開」が刻まれ、同道開鑿に艱難辛苦した様が記されていたと謂う。

以前の筆者の投稿『西郷家と台湾古道』の中で、西郷菊次郎と淡蘭古道の関わり合いについて若干触れたことがある。但し、当時は筆者自身この西郷、児玉に由来する碑が現存しているとは想像だにしなかった。この記事を書くに当たり、国立台湾大学図書館の古写真アーカイブから日本時代に撮影された同碑の超ピンボケ写真(写真キャプションは「湖底嶺の碑」)を探し出し、目測でざっと幅1メートル半、高さは3メートルはあろうか思われる「金面大観」碑と比較したら、碑石そのものは同じものであることに気付いた。戦後、新蘭陽八景が選定され、加えて同道が完全自動車道化された際に、日本時代のオリジナルな碑文はすべて削られ、新たに刻まれたのが現在に見る碑であることが判った。(>(メルマガ「台湾の声」2012年12月31日掲載分の一部を改編)(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 淡蘭古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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