2014年08月02日

八通関古道西段-24:躑躅山駐在所−2

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左写真は、台湾二葉松の木立の中の躑躅山駐在所跡地。中央写真は、秀姑巒駐在所方面から入ってくると、躑躅山駐在所敷地入口左の山側に築かれた、人の字型に組み合わされた大陸工法とされる石壁(楊南郡レポートでは「石畳」)。右写真は、同駐在所の敷地端(次のマイルストーンである南駐在所側)に残る土塁(楊南郡レポートでは「夯土牆(こう・ど・しょう)」)、一般の建築工法としては「版築(はんちく)」と呼ぶそうで、日本では築地塀に代表される土壁、土塁の類。下掲写真は、躑躅山駐在所跡地付近で見付けた日本時代の碍子。

最初にお詫びを。。。最近は一週間毎の記事アップが滞り気味で、ブログ全体に対する気配りが足りない。筆者は必死で駐在所跡を追っ掛けているが、実際現場まで足を延ばす機会の無い読者には失礼千万、やっと八通関古道全段ルート図と西段駐在所俯瞰図(但し、観高から大水窟まで)をアップした。これら二つとも、筆者の別ブログ『台湾百岳』からの借り物なのだが。左側メニュー「俯瞰図」を参照願いたい。

台湾二葉松の静かな木立の中に残る躑躅山駐在所跡地は、最上等の休憩地である。同時に、日本時代のユニークな駐在所遺構が豊富に残る。

まず、同駐在所跡地に足を踏み入れた途端、人の字型に石を組み合わせた人の背丈より高く組まれた石壁(石塁)が目に飛び込んで来る。人の字型に組まれた石塁は台湾の各所に残る清代営磐に典型的に使用されている。筆者は、これを見た途端、躑躅山駐在所は清代営磐を襲って設置されたもの、従って、ここでも清代古道と日本時代古道は交錯しているのだと早合点した。

楊南郡レポートを読むと、誰もがそう想像してしまい勝ちになることが示唆されているので、筆者の早合点もそうそう悪くないぞ、と逆に嬉しくなった。

又、この石塁がある入口とは逆側の出口に相当する辺りには、見事な土塁が残っており、楊南郡レポートではこれも大陸工法とのこと。

実際の清代古道は、この駐在所より五十メートルも低い部分に開削されているそうで、躑躅山駐在所の前身が清代営盤とは考えにくく、それでは何故、これら二つの大陸工法が駐在所跡地に残るかと言えば、大正年間の開鑿時に、多数の華南地区出身の漢人石工を雇用していたことをその理由として楊博士は結論付けている。(続く)


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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 八通関古道-西段 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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