2007年06月01日

霞喀羅古道−13:清泉温泉(旧井上温泉)

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【写真説明】日本時代の井上温泉である新竹県五峰郷桃山村清泉温泉、霞喀羅古道西側の入口である。ここから現在の古道入口までは林道を通常、車で15キロ程辿る。左写真は、その林道入口から僅かばかり上がった場所から撮影した清泉温泉の全景。手前の橋は清泉大橋、写真中段の吊橋(清泉一号吊橋)の右端が日本時代から続く清泉温泉、左端が清泉派出所、嘗ての井上駐在所である。林道は最初の入口からいきなり高度を上げるが崩壊が激しく、同写真下段に見るようにやっと応急処置を施したような有様だった。小型マイクロバス程度の車両でも通行は難しくなっている。撮影地点は丁度嘗て張学良が蟄居していた場所(実は、この地は現時点でも意味不明の公園にはなっている)の上部に当る。


このブログは基本的には、一本の古道に関する記事を連続して掲載・完結させることを旨としているが、既に一端記事掲載を完了させた古道についても随時記事掲載を追加していくことにする。今回は、「な〜るほど・ザ・台湾」の2007-04-24号メルマに『張学良旧宅を再現し観光整備へ』との見出しで、以下の記事が掲載され、加えて今年の旧正月(2月)に私自身当地に足を延ばす機会があったので、旧井上温泉周辺のことを記事にした:

「1936年に西安事件を起こした張学良の旧宅を再現して観光整備する構想が新竹県で浮上している。張学良は中国東北部・旧満州の軍閥だった張作霖の長男。戦後は国民党政府とともに台湾に逃れたが、同県五峰郷の清泉に幽閉されていた。構想では旧宅の対岸にある山地文化エリアの用地に旧宅を再現するほか、周辺に文学歩道を整備する。」

中央写真は、清泉派出所を囲む石垣、日本時代も同地に井上駐在所が置かれていた。同写真左奥に白い橋桁が見えるが、一号吊橋のもの、日本時代にも同箇所に吊橋が掛けられていた。道路の右側は現在は公園となっているが、そこも井上駐在所の敷地だった。派出所入口には林務局新竹林区作製の案内板(中国語・英語)が掛かり、二枚の写真(ここでは掲載せず)と共にこの地の由来が記されている。以下はその訳出(筆者拙訳)である:

(訳出始め→)「清泉」Ulai Pejitan [基地坪数1,057.36坪、標高458メートル](筆者注:「基地」とは旧井上駐在所の敷地だと思う)

「清泉」(旧称井上)は、まだこの地に聚落が形成されていなかった時代は、同地を猟遊していた原住民によって、石洞温泉(筆者注:岩の間から湧き出る温泉)を意味する「Ulai Pejitan」と呼ばれていた。日本時代に入り、大正13年(1924年)、この地に非常に規模の大きな井上駐在所、対岸には温泉療養所(後に招待所に改変)がお互いに見渡せる位置に設置された。記録に拠ると、大正15年(1926年)、日本人は、タイヤル族と五指山・南庄からのサイシャット族間の抗争を平定する為に、ここ井上駐在所前に各部落の代表を集め、伝統的な和解の儀式である「埋石立誓」(石を埋め誓いを立てる)を挙行、「大和解」(Mphaw)が成立したと謂う。残念ながら、その当時埋められた石は既に失われており、結局の所、この儀式、並びにその結果としての「大和解」が、伝統的で自然発生的な平和的帰結であったのか?或いは、外的な強制の帰結だったのかは、後世の推測に委ねるしかない。1947年に国民党政府はこの地を接収し、清泉派出所に改変、当時の日本式家屋も既に現在のように改築され現在に到っている。

[写真1キャプション]「埋石立誓」...は原住民が「大和解」を挙行する時必要な儀式である。写真左上はその石を埋める過程、写真真ん中の右側では頭目が和解書に拇印を押している。その下は儀式が終わった後の宴の様子。

[写真2キャプション]「頭目合同写真」...「帰順」に同意したシャカロー群頭目達。勲章を授与された後撮影。(←訳出終わり)

右写真は一号吊橋から見た旧井上温泉療養所。現在は清泉温泉の看板が掛かっている。折角来たから入ろうとしたら、私が持参した短パンはルール違反だということで入れて貰えなかった。温泉とは本来裸で漬かるものだが、あなたのパンツは当温泉には適しませんとはさすがに苦笑せざるを得なかった。お陰で温泉郷内をゆっくり散策する時間が出来たが。

台湾でも旧正月は観光地はどこも非常な混み様で、そこに到る車の渋滞をどうかわすか?予約無しでも宿泊をどう確保するか?がスケジュール立案の腕の見せ所だ。清泉温泉に関してはそこまで心配する必要は無かった。尤も、清泉温泉から西側に霞喀羅古道入口を目指そうと思えば上述の通りの道路事情、南側に観霧森林遊楽区、更に大覇尖山登山口を目指そうにも、途中に大崩壊箇所があり今年一杯は進入禁止の表示に出会った。

尚、当温泉郷内に現実的な日本との繋がりを示すものを見付けた。上記の清泉温泉の隣にある桃山国民小学校の校庭脇に、2004年に襲った「アエレ」台風で甚大な被害を被ったここ桃山村に、中央大学日華友好会が奨学金、桜の木、その他義捐物資を贈呈した旨を記したプレート(2006年2月の銘あり)と記念碑があった。この付近の林道の崩壊はそれ以降修復がままならないことが判る。(終わり)

【注記:2007/06/10】写真説明の中で「今でも意味不明の公園となっている」と書いたが、この公園はもともと張学良の旧宅を公開する為のものだったようだ。肝心の旧宅は洪水で押し流された。現時点では公園は荒れるに任せ、公園名すら見当たらない。
posted by 玉山 at 00:00| Comment(5) | TrackBack(0) | 霞喀羅古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今月台湾に行くに当たって、さて何処を歩くかを考えた時清泉温泉も一つの案でした。そこは竹東からバスが何本か出ていますし、五峰までは行ったことがありますから(時間が足りず、清泉温泉までは無理だった)。そして、温泉整備のニュースは私も聞いていました。ですから、その前に行って、歩道までは行けなくても温泉の先を歩いてみたいと思っていたのです。温泉から民生までは4,5`、まだまだ車の通れる道ですね。そこは一人で歩けるものかどうか等を聞こうかと思っていたのです。結局その案は止めましたが。
Posted by メイウェンティ at 2007年06月02日 00:06
度々すみません。清泉温泉行きの案(一人でかも?)が復活するかもしれないので、再度お聞きします。温泉に入り、且宿泊できる場所は清泉温泉館一箇所だけなのですね。そして、そこは館内なのに水着着用ということですか?白蘭方面に歩く環境はどんなかご存知ですか?
Posted by メイウェンティ at 2007年06月08日 13:29
メイウェンティさん;

まず清泉温泉についてですが、一応温泉郷の扱いになっていますが、実際一般の人が温泉に入る場所は私の写真にある「清泉温泉」を掲げる温泉宿(宿泊施設は無かったと記憶しています)だけだというのが私の印象です。水着は必須です。但し、宿泊できる場所は一杯あります。民宿とか。地図の上では民宿村とか書いてありますね。我々が今年の旧正月に泊まったのは教会です。やはりかなり割安だと思います。特に大人数で泊まる場合。食事は出しませんが広い厨房がありガス、冷蔵庫等自由に使えました。この村には教会は少なくとも三つあったかと思います。どの教会も高台にありますが、温泉までは歩いていけます。メイウェンティさんの好みが判りませんので、台湾特捜掲示板で質問してみるのも手だし、私の泊まった教会の情報は別途提供します。

白蘭には未だ入ったことがありませんが、通常は清泉から入るというより手前の上坪、或いは先の土場から入るのが一般的なようです。私は通常車で移動しますので公共の交通機関を使う方法は皆目見当が付きません。もうご覧になっているかもしれませんが、下のサイトの地図を参考にして下さい。(終)

http://bailan.sogi.com.tw/traffic.asp

Posted by 玉山 at 2007年06月10日 08:44
メイウェンティさん;

清泉天主堂付設の清泉山荘が我々が泊まった場所です。この天主堂はとても立派で、高台にあるのですぐに目に付きます:五峰郷桃山村184号(電話)03-585-6026(終)
Posted by 玉山 at 2007年06月11日 12:23
色々とありがとうございます。白蘭については現地に行ってから判断したいと思います。もし行けなくてもその辺りをうろうろするだけでもきっと良い時間が過ごせると思います。宿泊された所は私の持っている地図にも天主堂(清泉山荘)とあります。清泉温泉までのバス便は日に数便あります。前に乗ったのは【清泉温泉行き】で、五峰で降りたのです。新竹客運の山の方に行くバスは県(?)政府補助便(竹東バスターミナルの時刻表にそのマークがあった)というのがあり、桃園より山行きのバスが多いように思います。
Posted by メイウェンティ at 2007年06月11日 20:18
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