2016年05月14日

『水の古道』后里[土/川]−2

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【写真説明】今回は、撮影当日雨天の影響で冴えない出来栄えの昭和13年創建、台中市三級古蹟指定、泰安旧駅駅舎内外の写真と、後続の投稿に備える為に、街中の民家脇と駅前の福興路脇を流れる后里[土/川]支線の二つを本文下に掲載した。下掲左写真手前に写る花弁は、観光客が積んだもので、プルメリア、台湾では鶏蛋花(鶏卵花)と呼ぶ。

台湾鉄路局(日本時代は台湾総督府交通局鉄路部)旧山線上の泰安旧駅を語るとしたら、それは本ブログの趣旨では無い。現在は台中市三級古蹟に指定されている駅舎は以下のような変遷を辿っており、ウィキペディア日本語版にも紹介がある。即ち;
大安渓信号場(明治43年、1910年)→大安渓停車場(大正元年、1912年)→大安駅(大正8年、1920年)→泰安駅(民国44年、1954年)。泰安とは苗栗県と台中市の境界を形成する大安渓に依っているのだが、大安渓が台湾海峡に流れ込む河口付近に台中県大安郷(現在の台中市大安区)を設置した為、大安から泰安へ改名している。現在古蹟に指定されている駅舎は、大正8年建造のものではなく、昭和10年の新竹台中震災で倒壊したものを、昭和13年(1938年)に再建したものだ。

この改札口を含む駅舎の一大特徴は、駅舎が線路・プラットフォームより低いことであり、台湾唯一と謂うことである。駅舎を支える流麗な石柱と昭和13年再建時のままの待合室・改札口の優美さは特筆に値するが、泰安旧駅だけのものでは無い。台湾鉄道上にはまだまだ日本時代の駅舎が現役のものが多い。

震災復興記念碑は、泰安旧駅構内山手側奥にひっそりと且つ堂々と鎮座していた。本碑の案内を書物で目にした時も、今回掲載した写真を撮影した時も、碑銘の「震災復興記念」の文字しか視覚イメージとして残らなかったのだが、今回のカテゴリーの投稿を起こすに当たり、自身で撮影した写真を新たに眺めていたら、碑銘の冒頭は「台中線」になっているではないか!「台中線震災復興記念碑」―これで何故この碑が旧山線駅構内にあるか?漸く合点が行きもし、震災後再建された台中市指定古蹟駅舎と苗栗県指定古蹟の魚藤坪断橋(龍騰断橋)が繋がるわけである。(続く)


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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 『水の古道』后里[土/川] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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