2016年05月28日

『水の古道』后里[土/川]−4

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【写真説明】后里[土/川]渡槽。色々な呼称が巷にはある。「后里水橋」もその一つ。二つを合わせて、渡水橋とも。実はこのブログで、渡槽、或いは水橋を紹介するのは初めてではない。例えば「白冷[土/川]」でも紹介済み。左写真は渡槽入口付近の景観、水門と案内板。同写真奥に薄っすらと滝が掛かっているのが覗ける。中央写真は渡槽本体、水路に沿い垂直に渡してある桟を利用すれば向こう側に渡れないこともないが、水路はその先で山を穿つ。右写真は渡槽東側側面のアーチ。三枚の写真とも筆者背中が泰安旧駅方面。下掲載左写真は、上掲左写真に写る滝の拡大写真、右写真は渡槽下の渓谷の景観、同写真右奥に写る壁も日本時代のもの。

当日は、朝方から雨模様。早々に引き上げたい思いもあった。泰安旧駅駅舎、構内、線路に加え、台中線震災復興記念碑、旧山線大安渓鉄橋だけを見て泰安鉄道文化園区を後にするのは、台湾鉄道ファンではない筆者にとって時間と金の無駄に思えた。

元々、台中線震災復興記念碑はあくまで予備であり、当日の目的地は、苗栗県卓蘭郷山中にある、大克山巡査殉職碑であり、あわよくば大克山当座に登頂出来ないか?目論んでいた。結局、碑そのものは探し当てたが、大克山そのものは時間的な余裕がなく、諦めた。これらの碑を目指した動機は、隔月誌『台湾山岳』第88号(2010年2,3月号)の特集記事である「60処史蹟風雲排行榜」(「榜の訓読みは「たてふだ」」を眺めてのことである。台湾全土から60箇所の古蹟(その殆どは日本時代所縁のもの)を選び出し、解説を加えたものだ。市販書店に数多ある台湾古蹟解説書よりも充実の網羅振り、何より写真が豊富な所が便利だ。

泰安旧駅を含む古蹟箇所の案内記事のタイトルは、実は「泰安渡槽水橋X水也要過橋」で、橋が主役である。同記事に付された地図上のランドマークでこれだけは見てから帰ろうと焦ったのは、地図上の記載のままに、渡槽(水[土/川]橋)、[土/川]磚橋、総督府古碑の三箇所である。最終的にはすべて現地辿り着けたが、後者二箇所は探し当てるのに非常に苦労した。とは云え密林の中に埋もれていたわけではない。何せ、現場にしか案内板が無く、そこに至るに一体入口が何処かは全く表示が無く、現地の住民に繰り返し尋ねるしかなかったからだ。

泰安旧駅構内、及びその南北暫くの部分は后里[土/川]に沿い泰安鉄道文化園区の一部として遊歩道が付けられ、その北端は概念図中の台湾総督府古碑付近、南端に至るには訪れる人の少なさを示す草深い小道を歩かされた。最初に見えて来たのは、小さな水門であり、その先は山の崖に垂直に小さな滝が掛かっているのが見えた。そこは小さな渓谷の始まりであり、然程深くない谷底に滝の水は西側に流れていた。そこの谷を勢い良く流れる水を満々に湛えた幅二メートル弱のコンクリートの水路が渡してあり、同じくコンクリート製の桟が規則正しく渡してあった。この水路の東側はその先に前述の崖があるので、日がな陽が当たらないのではないか?(つまり水路側面を撮影する場合、逆光になる)と思い、まずは西側側面を写真に撮ろうとしたが、草深く、筆者の立っていた場所もその下は崖になっているので、水路西側側面がどのような構造になっているか?判らず。かと云って、東側側面を観察しようと思ってもそこは崖になっていたので、それ以上危険を冒すことは止めた。すると、最初に目に入った水門の脇に小道が付いており、少しだけ崖が谷に張り出している部分まで移動出来ることが判った。そこなら東側から水路側面が全部見通せるはずだと合点し、そこに立った。

筆者の眼に飛び込んで来たのは水路を支える優美なアーチだった。山崖と滝、鬱蒼と覆い被さる樹木、そこを昭和11年(1936年)建造の芸術的なコンクリート製のアーチに支えられた水路が轟轟と水を運ぶ。。。。筆者は自然美と人工美がこれ程調和した空間を寡聞にして知らない―そう思った。

以下は、現地に立つ泰安社区発展協会に依る「后里[土/川]水橋」の案内板(中文)の拙訳である。()内は筆者註:

「泰安(旧)駅プラットホーム右(南)後方の山道を辿り、山沿いの水路(后里[土/川])を辿ること約400メートルの地点に一基の水橋がある。水利専門家の間では「渡槽」と呼ばれている。灌漑用水路は必ず山谷を穿いて開削する部分があり、そこに供水システムを敷設するので俗称として「水橋」と云う呼称が使われている。この水橋はRC構造(Reinforced Concrete:鉄筋コンクリート)であり、1913年(大正2年)、后里[土/川]と同時期に完成、1935年(昭和10年)4月21日に発生した中部大地震(新竹台中地震)の際、橋梁中に亀裂・陥没が発生、同年4月23日に日本政府(台湾総督府)は応急工事を開始、翌1936年(昭和11年)1月25日完工、総工費12万3千円を要した。この応急工事に当たっては、元々の設計に依った「補修」方式を採用、このアーチ式水橋が既に九十年の命脈を保っている所以である。造形が特殊且つ優美、山林の中に身を隠しながら、自然景観と歴史空間が相輝き、実に得難いものである。本県(現在は台中市)の歴史建築調査計画に基付き、歴史建築に指定するものである。」

この案内板の説明は、日本時代の台湾に於けるシビル・エンジニアリングの高品質を讃えている。特に最後の部分のみ原文を掲載しておく:

「造形極為特殊、比例優美、隠身於山林間、自然景観歴史空間両相輝映、極為難得」。(続く)


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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 『水の古道』后里[土/川] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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