2018年07月07日

出磺坑古道(法雲寺古道)−5

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【写真説明】左写真は出磺坑古道終点、法雲禅寺境内に保存されている「大湖開闢紀念」碑。日本時代の建立であるが、漢人に依る大湖地区開拓顕彰碑。中央写真は碑本体正面、右写真は碑文の最終部分で「大正」を「民国」で改竄してある。

台湾の早期四大寺院の一つである法雲禅寺の中には、現代ではビジュアルに日本時代との関連を示すものを探すのが困難な中で、一つだけ日本時代との縁(よすが)を明かす事物が存在する。但し、あくまで日本時代との縁であり、日本人との縁では無い。

古道終点から寺院正面(前回投稿に掲載した写真:単に本殿と呼んでおけば良いのか?何か神社構築とごっちゃになっているようで恐縮だが、件の構造物は大雄宝殿である)へ出る途中に誰もが見落とさない堂々たる石碑が起立する。宝塔を模した碑本体に刻まれた「大湖」と碑文最後の「民国四年」(1915年)(「大正四年」を改竄:大正と中華民国年号は同一)だけを組み合わせ、日本人に依る大湖地区開拓の顕彰碑と勝手に合点し、そのままにしておいた。只、これ程完全な記念碑を、これまで種々見聞きして来た日本時代古蹟のリスト中に見出せないか?の懐疑は残ったまま。

以前にも紹介したことがあるが、隔月刊『台湾山岳』88号(2010年2/3月)の特集「60処史蹟風雲排行榜」に当該石碑の紹介があることに気付いた。曰く「大湖開拓百年紀念碑」。このままネットで検索すると色々出て来るが、「開拓百年」の部分の標記に関しては、紹介サイトに依って異なり、前述を加えると以下のバリエーションとなる:「大湖開拓百年紀念碑」、「大湖開拓紀念碑」、「大湖開発紀念碑」、「大湖開闢紀念碑」。。。

宝塔を模した記念碑正面に刻まれたのは「大湖開闢紀念」、後方は「観音山」。。。これが正解である。何故、上記なようなバリエーションが存在するのか?実際現地に足を運び現物を確認していないから、という理由以外の理由を想像するのは難しい。

碑文は漢文、平埔族タオカス族と協力しながら、同治元年(1862年)に始まる呉定新・連新兄弟の二年に渡る開拓史を顕彰した内容で、碑文全文はネット上で閲覧可能。(終わり)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 出磺坑古道(法雲寺古道) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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