2018年10月27日

『水の古道』長源[土/川](1)

Kodou-1991.jpg Kodou-1992.jpg Kodou-1993.jpg
【写真説明】左写真は、小半天風景区の広告塔を担っているであろう、鹿谷郷竹林村の市街地内で見掛けた道路標示板、「長源圳」と「古戦場」の標示に惹かれ尋ねることにした。中央写真は、長源圳入口の鉄板牌、右写真は、長源圳の実際と「古道」とも称されている水路沿いの小径、この水路と小径はやがて「孟宗竹古戦場」へ導かれる歩道と出会う。

久々の「水の古道」となるが、踏査を怠っているわけではなく、古道歩きであれ、山登りであれ、そこら辺りを流れる一見何の変哲も無い水路にも同時に注意を払っている。今回紹介する「水の古道」は八通関古道竹山段踏査の折、偶々出会ったものである。そう、大概の場合、偶然である。

南投県県道155号線を走っていると「小半天」という茶色の道路標示が鹿谷の西側方面へ抜ける道路脇に掲示されている。同時に同地点に国道3号線バイパス(台湾では通常「代替路線」)の標示も立つ。竹山市街地から阿里山山系内の避暑地として著名な渓頭へ至る幹線道路である県道155号線は、渓頭への最短距離となる為、週末、祝日の特に復路は車の渋滞が酷い。この県道以外に竹山市街と渓頭とを結ぶ間道が155号線の西側に数本あり、バイパスとして利用されているのは、南投県郷道55号線、鹿谷台地の西側に位置し、最後は濁水渓に流れ込む北勢渓で分断された小半天台地を走る。小半天と云う地名を初めて見た時、筆者が想像したのは、竹山市街地から半日も掛からず辿り着ける地と云う由来だったが、どうも外れている模様だ。

郷道55号線のほぼ中間点は鹿谷郷竹林村の行政中心地で少しばかり賑やかである。そこでは、小半天風景区と銘打たれた観光案内板が目立ち始める。そこから同郷道を南側、渓頭方面へ2キロ程辿ると、道路脇に、「長源圳古道」と筆者を嬉しがらせてくれる文字を透かした錆びた標示板が立ち、その横に並立した褪せた案内板にこの古圳の由来が中文と英文で書かれている。中文の拙訳は以下の通り:

「豊富な生態系に恵まれた長源圳は、小半天林爽文古戦場に隣接しており、総合的な水生生態と孟宗竹が織り成す景観を呈し、更に歴史時空の意義が加わり、この地の深淵なる古き懐古の情を体現している。

この長源圳の碑文が竹林村の文昌国民小学校の東南に位置する水路上に残る。碑文は、当地の瘠地に多数の人々が居住し、収穫は天候のみが頼り、この為生活は困窮していた為、有志の人々が灌漑水路の開鑿を企図、当局の援助も得て、痩地が良田と化し、生活も改善された為、碑を建立し感謝を顕わしたものである。」

錆びた鉄牌が古道入口であり、そこを降りると直ぐに普通の水路が走っており、その水路沿いの小径が古道であり、又の名を「長源圳生態歩道」と云うことが判る、先の案内板より更に詳述の長源圳の紹介文を擁した案内板があった。全訳を試みると時間が掛かり過ぎるので止めるが、冒頭に幾つかの算用数字が散ばっている。曰く、「明永暦36年(1682年)」、「240余年」、「民国12年(1923年)」。。。大陸福建からの入植者がこの地に入り込んで240余年、水との戦いであり、やっと大正12年になり当灌漑水路が開鑿されたと云う意味である。古道入口の紹介文中の「当局」とは、「臺中州竹山郡鹿谷庄」である。

この水路脇の小径は、その後、「孟宗竹緑色歩道」と行き会い、そこに「孟宗竹古戦場」と冠せられた公園が設えられており、小半天風景区の一翼を担わされているようだ。何の古戦場なのか?その公園に足を踏み入れ、退出し、郷道55線を徒歩で北側に折り返し長源圳古道入口に戻って来るまで、終ぞ手掛かりを掴めず。今回の記事を起こすに当たり、前出の紹介文の写し(写真)を引っ張り出し初めて得心した次第。但し、林爽文事件の紹介は今回は省略、日本のネット上でも直ぐに検索可能。(続く)

【関連する記事】
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | 『水の古道』長源[土/川] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。