2019年01月12日

関山越嶺古道−15

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【写真説明】関山越嶺警備道の起点、台東県関山鎮は全国唯一人口が1万人に満たない鎮と云う汚名を被っているようだが、台湾東海岸南部の大都市、活気に溢れていると筆者は思う。但し、筆者が車を降りて街中を散策するのは今回が初めてであった。台湾鉄道の駅舎(左写真)が日本時代のものと云う知見はあったが、実際初対面、何時の間にか新駅舎が開業しており、真向かいの新装復元の駅長舎と併せ旧駅舎は古蹟扱いだった。東海岸では例外では無いのだが、町中至る所で日本時代の家屋にお目に掛かれるが、恐らくこれ程の規模の日本家屋のコレクションは無いだろうと唸ってしまったのは、旧駅舎と省道20号線を隔て中山路越しに向かい合う関山警察署(正式には「台東県警察局関山分局」)付属の「警察史蹟館」(「関警史蹟文物館」)である。小さな別棟の付属博物館紛いの建屋を想像していたら、警察署ビルの後方は日本庭園(日本時代からあったはず:中央写真)になっており、その後ろは日本時代から受け継がれ現在も多くの棟が居住中の官舎群(右写真)であった。

2019年新年は嘉明湖迄辿る予定で、12/29高雄出発、その夜から四泊連続で向陽山荘と嘉明湖避難小屋の予約確保済みであった。高山登山の繁忙期、しかもハイカーに絶大な人気のあるコースでの四泊確保は超ラッキーなのだが、登山口である向陽ビジターセンターに到着、霧雨が強く成り出したのを確認すると即座に登山中止を決めた。深い霧、灰色一色の視界の効かない無景色、冷たい雨、稜線上の強風−他の山系の天気予報も確認した上で、ここ数日は悪天候に変化無しと判断、代わりに久々に南部横貫公路(通称南横)東段、つまり、関山越嶺古道東段の踏査に切り替えることにした。

ここで、関山越嶺古道東段の日本時代駐在所設置場所を列記する。左メニューの「俯瞰図」で紹介済みのダイヤグラムと比較すると分かり易い。既に本ブログで紹介済みの跡地にはリンクを貼り付けた。又、太字は今回踏査した場所である。現在の南横(省道20号線)東段に依拠すると、初来−大関山トンネル(古道最高点であると同時に南横最高点)間が約55`、高低差2,400b:

「日本時代旧名」(現代行政区画名)(南横公路標高)[筆者註記:現地語翻訳は、毛利之俊原著『東臺灣展望』に依拠。]

里壟」(関山)[1920年(大正9年)に関山に改名。「リーロン」はアミ語で紅蛍の意]

「ハイトワン」(海端)

「鈴鹿(すずか)」(錦屏)

「逢坂(おうさか)」(初来)(340b)

新武路(しんぶろ)」(新武)(412b)

「カホワザン」(佳保)

エバコ」(下馬)

「二見(ふたみ)」[現在の霧鹿入山検査所跡地?]

ブルブル」(霧鹿)(713b) [ブヌン語で水音擬声語]

リト」(利稲)(1,068b)[ブヌン語「びわ(枇杷)」]

マテングル」(摩天)(1,546b)

「カイモス」(栗園)(1,793b)[ブヌン語で樹木の一種]

「ハリポソン」(向陽)[ブヌン語「鍾乳石」]

向陽(こうよう)」(2,312b)[向陽国家森林游楽区内]

渓頭(けいとう)」[向陽山大崩壊直下]

関山(かんさん)」(2,722b)[大関山トンネル上方]

(続く)

posted by 玉山 at 00:00| 台北 🌁| Comment(0) | 関山越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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