2019年09月14日

『水の古道』隆恩[土/川]−3:隆恩圳幹線・南岸沈砂地

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【写真説明】左写真は、濁水渓南岸取水口から隆恩圳幹線に導水された後、その文字通り濁水が先ず通過する沈砂地はだだっ広い退屈な公園になっている。その公園の西端脇に福興宮と云う土地公があり、そこに隆恩圳の南圳と北圳への分岐点がある。中央写真は土地公敷地内から隆恩圳幹線を撮影、右写真は幹線が南圳(同写真右側水路)と北圳(同写真左側水路)へ分岐する様。但し、水門自体が日本時代のものか?は疑問。

久々に本来の土の古道に戻ろうと企図していた所、今年7月末近くになり、別な義渡碑が存在することを偶然発見した。「八奨渓義渡碑記」は嘉義市指定古蹟であるが、こちらは国定古蹟「永済義渡碑記」である。しかも「対」を成す二基が現存している。「対」の意味は後の投稿で説明することにするが、何故隆恩圳カテゴリーに戻って来たかと云うと、隆恩圳もこの義渡も濁水渓の恩を賜っているからである。

前回『水の古道』隆恩[土/川]−2で紹介した清代・日本時代の取水隧道は今は水は流れていない為、現在の南岸(左岸)取水口から引き込まれた濁水渓の水が実際流れており、且つ日本時代の構造物が残っている場所を探していた。何処かで目にした隆恩圳の紹介文中の土地公が目印である。『台灣全覧』で隆恩圳を追い掛けると、取水口から導かれた水はまず隆恩圳(幹線)を流れ、程無くして南圳と北圳に分岐する。この分岐点に土地公のマークが表記されているので間違いない。

この地点は案外な場所にあった。既に紹介済みの日本時代の銘を持つ取水隧道は広大で且つ余りにも閑散とした公園の東端に位置するが、その公園の取水隧道から最も離れた西端に駐車場とトイレが敷設されており、その脇を隆恩圳幹線が流れていた。又、真新しい土地公(福興宮)も鎮座していた。一体誰が明らかに観光客を意識したこれらの施設を利用するのか?公園とは「南岸沈砂地」であり、濁水渓より取水された文字通り濁水はまずここで篩(ふるい)に掛けられると云う仕組みのようだが、この公園下がどのような構造になっているのか?迄は踏み込まずに、隆恩南北圳分岐点を後にした。尚、濁水渓の取水口は対岸の北岸(右岸)にもあり沈砂地も同様に有る。(続く)

posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | 『水の古道』竹山隆恩[土/川] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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