2019年12月21日

特富野古道−2

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【写真説明】特富野古道の東側起点から平坦部約4`弱の部分の主役は、阿里山森林鉄道旧水山支線の軌道である。この軌道がどう云う状況で残存し古道に変じているか?が判り易い三枚を掲載した。左写真は柳杉の植林を縫う旧軌道。中央写真は架橋部の軌道を外し板を渡し歩道に仕立てたもの。右写真は架橋部を側面から撮影した。

特富野古道自体を実際歩いてみるのは、非常に簡便な体験である。山登りの経験も特別な装備も必要無い。通称阿里山公路(省道18号線、別名「新中部横貫公路」)を阿里山国家森林遊楽区入口(18号線88`)を遣り過ごし更に高度を上げて自忠(同95.5`:旧阿里山森林鉄道児玉駅、第4代台湾総督児玉源太郎に因む)迄至れば、古道東側起点が口を開けている。車を止めて即古道歩き開始である。実は、この入口は、「玉山古道(新高山歩道)−6」で紹介済みなので、そちらも参考にして欲しい。通常山中6`の古道歩きは起伏の多い場合、難儀な距離である。それでも今や週末・休日は人波の途切れる事が無い非常に人気の高い台湾有数の古道になっているのは、古道入口から約4`弱(3.7`)は旧阿里山森林鉄道水山支線を利用した平坦な歩道になっているからである。大多数のハイカーがこの部分を往復する。もう一つの魅力は、水山支線の軌道(線路)、並びに架橋が残り、軌道の上を歩けるように古道が整備してあるからである。古い軌道は何故か人々のノスタルジーを擽るものだ。

但し、古道平坦部を過ぎると下り一方になってしまう。この下り一方の部分の古道西側出口迄の延長は3`弱(2.6`)、下りは良いとして、出発点である旧児玉駅迄折り返す必要のあるハイカーは今度は同じ下りを登り返さないとならない。東側古道起点の標高は2,282b、西側起点の標高は1,798b、落差484bを6`戻るのは本格的な登山に近い!従って、時間に余裕が無いとか、体力に自信の持てない面々は、西側起点の特富野側に車をチャーター
しておいて東側起点を出発、全段歩き通す方法がある。

筆者が特富野古道を初めて歩いたのは2009年7月である。この時は東側起点から出発、西側起点迄至り往復した。当時撮影した写真データから推測するに休憩も含め全段往復6時間を要している。十年前はまだまだ体力があったものだと溜息が出る。二回目は2018年6月、この時も同じく東側起点から入ったが、一般のハイカーと同じく古道平坦部の往復のみで済ませた。これら二回の踏査とは別に、古道東側起点から入ると直ぐに登山口がある児玉山に登頂すべく同地点を尋ねたのが2013年2月、この時は下山後、特富野集落に立ち寄った。2016年6月には再度児玉山登頂、その後峰続きの水山、東水山も登頂、最後は特富野古道平坦部終点近くに降り立った。今回のカテゴリーでは、これら四回の踏査口を網羅する予定だ。

特富野古道途中の林務局に依る案内板の一つに阿里山鉄道本線と支線の路線図がある。但し、以下の支線名が日本時代も同名の呼称であったかは判らない:

・大瀧渓支線
・塔山支線
・塔山裡線
・水山支線
・東埔支線

「玉山古道−6」で解説したように、日本時代の玉山登山口(「新高口」)は霞山林場支線と石水山林場支線の起点だった場所で、この案内板には記載無し。東埔支線は少なくとも日本時代は「哆哆咖(タータカ)」線と呼ばれていた。現代の古道上の案内板に示された支線は戦後最後まで残った林場支線と云う意味かもしれない。いずれにしても、阿里山森林鉄道に関する情報は現在では台湾林業とは関係無くなったと言っても本線は世界三大森林鉄道として現役なので、その歴史情報は台湾ネット内に溢れている。(続く)


posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 特富野古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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