2020年04月04日

火炎山古道−1

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【写真説明】火炎山への登山口は数箇所あると思うが、国道1号線高架下に位置する最南端の登山口が最もポピュラーである。通常はここから直ぐに火炎山南稜に取り付き、頂上に至った後は、南鞍古道、又は北鞍古道を利用し下山、往路は一切辿らず同じ登山口に戻って来る所謂O線登山が一般的だ。往復6`強、山行時間は3時間が標準らしいが、筆者は少なくとも5時間近く掛けたはずだ。登山客専用駐車場(有料)脇から直ぐに登山道に導かれいきなり南稜に取り付けるので筆者は非常に気に入っている。

国道(高速道路)1号線を北進、台中市街地を抜け后里インターを過ぎると、高速道は大きな下りとなり大安渓を渡河、その後更に大きな登り坂に転じ三義インターへ至る。高速道が下りに転じる辺りからドライバーの左手、大安渓右岸に煉瓦色の悪地地形(悪地:badland)を露出させた火炎山が見えて来る。標高602b、地籍三等三角点を擁する。悪地地形(悪地)は正式な地理用語で、ウィキペディア日本語版に「結合度の低い堆積相や粘土相などが風雨により極度に侵食され、峡谷状の涸れ谷になった荒地のことで組織地形の一種」と云う簡潔な説明があるが、そのままである。この火炎山を初めて見た時以来、必ず登山道が付いているはずなので、一度は登ってみたいと思っていたが、2000年に台湾に住み始めたにも拘らず、登山道に初めて足を踏み入れたのは、2016年8月(この時は雨で途中で引き返し断念)、頂上迄辿り着いたのは2019年7月だった。何故斯くも長い間敬遠していたか?多分、ギラギラした陽射しを背中に受けながら、乾燥した崩れ易い斜面を登らされると云う勝手なイメージに騙されていたと思う。そのイメージは台湾の悪地地形の代表の一つである高雄市北部田寮の通称「月世界」なのだ。実際、登山道は緑豊かな樹林帯の中にあり、「グランド・キャニオン(大峡谷)」とか名前の付いた悪地地形を覗き込むと云う格好になっている。

頂上迄歩いてみて感得したのは、古くから登山の対象になっていたと云うことだ。又、悪地地形を存分に堪能しようと思ったら、必ず天気の良い日を選ぶべきである。登山客が最も多くなるのは、油桐開花の季節、四〜六月辺りだと思われる。今年の二月末は228記念日を挟み全台湾三連休だった。その時、火炎山登山口としては最もポピュラーな最南端の登山口脇を通ったら、そこの登山客専用の駐車場から溢れ出た車が、その駐車場に接した道路両脇にびっしりと長蛇し駐車しており驚いた。全て火炎山登山客のものだ。火炎山は台湾小百岳の一座でもあることが手伝っているはずだ。

さて、今回の投稿記事のカテゴリー名「火炎山古道」は筆者の造語である。これは筆者自身が火炎山そのものを紹介し易くしたものであり、従って、この古道カテゴリーの主役は古道では無く、あくまで火炎山である。とは云え、古道ブログなのでこの山域に開削された何本かの古道を絡ませて紹介することにする。隔月誌『台灣山岳』等で確認した古道は、北から、北鞍古道、南鞍古道、香茅(草)古道の三本である。火炎山主稜は東側苗栗県三義郷と西側同県苑裡鎮の境界を形成しているので、この東西の街を結ぶ越嶺道がこれら古道の発祥と云うことになる。もう少し具体的には平埔族と客家人の開拓・交易道の性格を持つらしい。火炎山を取り巻く登山道は多く、これら三本の古道はそれら登山道の一部になっているはずだが、一回しか登山したことが無いので判然としない。下山時に使った登山道が南鞍古道に相当するようだと云うことぐらいだ。いずれにしても、今後の記事は、火炎山を中心に紹介する予定である。(続く)


posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 火炎山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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