2020年05月16日

火炎山古道−7:香茅古道

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【写真説明】火炎山主稜西側山裾にある香茅古道出入口を探し出すのは骨が折れた。火炎山主稜は東側苗栗県三義郷西湖村と西側同県苑裡鎮南勢里の境界を形成しているが、香茅古道出入口は南勢里の郷道46号線上、社ュ坑と云う小さな集落脇にある。この郷道に入り込むのに苦労した。ここに掲載した写真はその古道出入口附近の景観と古道の風貌である。

本来は火炎山主稜の越嶺道であるはずの南鞍・北鞍古道は、繰り返しになるが、筆者手元の『台灣全覧』では主稜東側だけのトレースになっている。これ等にもう一振り、主稜西側に開削された「香茅古道」が加わる。この三本目の古道を踏査しようと云う気が起こらなかったのは、主稜上に明らかな三叉路を確認出来ないことから推して、譬えトレースが付いていても相当な悪路が予想されたからだ。筆者も老いたものだと情けなくなる。それでも古道出入口だけは押さえておくことにした。

当該古道名は当然香茅運搬の為に開削されたはずだが、そもそも香茅とはどのような植物だろうか?台湾人は良く知っている様に見受けられる。鍋に入れて食べると誰かに言われた。ウィキペディアにてそのまま「香茅」で中文版にて検索、これを日本語版に切り替えると「オガルカヤ属」と云う項目に導かれ全く要領を得ない。レモングラスが香茅を代表しているのかもしれないが、筆者はそもそもレモングラスも知らない。もう一度中文版に戻ると、以下の「台湾香茅発展史」項が設けられており、興味深い内容なので、全訳(拙訳)する:

「1913年(大正2年)、日本人岩元清はジャワ島から一株のレモングラスを移植、苗栗の大坪林(現苗栗県卓蘭鎮坪林村)の松本農場での栽培を成功させた。

1950年、台湾のシトロネラ油の生産量は360メトリックトンに達し、年々増加した。1951年、インドネシアが独立、オランダが撤収すると、インドネシアのシトロネラ油の生産は大きな打撃を受けた。この機に乗じ台湾の生産量は世界一となり、その内苗栗産は80%を占めていた。

台湾のシトロネラ油の生産量は1964年にピークを迎え、生産量は3,600メトリックトンに達していた。その後、生産コストの増加に依り、輸出販売は徐々に減少、それでも年間2,000メトリックトンを維持していた。1967年に於ける輸出量は、日本77%、インド15%、米国2%、インドネシア2%、その他スペイン、イタリア等の順であった。

1967年、合成シトロネラ油が発明され、天然物の価格が急落して以来、台湾ではレモングラスは殆ど栽培されていない。

以上の様に、レモングラスは嘗て台湾に驚くべき富を齎した。1ヘクタールの丘陵の斜面で、年に3回、約9バレル(1バレルは約7〜10キロ)のシトロネラ油の生産が可能だった。価格は大幅に変動して来たが、戦後に限ると、1バレル当たりの平均価格は約1,800台湾ドル、これは当時一般労働者の900日分の給料に相当、契約価格だと更に高かった。この為、シトロネラ油で家が建つと言われたものだ。」


要は、鍋で煮て人が食する物とは思えない。香料の原料だと見做すのが妥当だと思う。日本人が持ち込み、苗栗で最も多く栽培し、その産物は日本へ最も多く輸出された。。。日台共栄史の一旦を垣間見られただけでも収穫と思う。(続く)

posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 火炎山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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