2021年01月02日

壽山古道−8:「哨船頭古道」−6:「壽山館」−2

Kodou-2376.jpg Kodou-2377.jpg Kodou-2378.jpg
【写真説明】左写真は、前回投稿記事「壽山古道−4」の右写真に写る登山道階段を軍管制区側から見たもの。中央写真は、実際の登山道階段、直に百年を越そうとしているが、残存状況は驚く程良好だ。右写真は東屋の遺構状況。同写真奥の樹木が切れた部分から中山大学職員宿舎が望める。同東屋は裕仁親王高雄巡啓時に撮影された写真にも写り込んでいる。ここでは、「登山街60巷歴史場域」内の案内板Iに掲載されたものを転載、マーキングを加えた。

明けましておめでとうございます。足掛け16年目に入りました弊ブログを今年も引き続きご贔屓賜りますようお願い申し上げます。

壽山古道の中の『水の古道』シリーズの最期として「打狗水道」を投稿する予定にしていたが、昨年末にもう一度中山大学職員宿舎B棟(壽山館跡地)裏に戻り、大学敷地側から国軍管制区側に移動する方法を見出した。その結果、裕仁親王が大正12年(1923年)4月22日午後お歩きになられた登山道、及び東屋(あずまや:涼亭)跡地を確認出来たので、新年の最初の投稿にて報告することにした。

何等かの方法で大学と軍管制区を隔てるコンクリート塀と鉄柵を乗り越す術は確保されているはずと踏み、現場に戻るといとも簡単なことだった。前回投稿記事「壽山古道−4」に掲載した中央写真に実は既に写っていたように、警告板右側後ろの鉄柵は撤去され両者間の移動の自由が確保されていたのだ。前回は何故かこのことに全然気が付かなかった。お誂え向きに踏み台となる座椅子も置かれているので、軽々と越えられる。事実、壽山全山こんな調子だ。国軍管制区警告板は無視され踏み倒され管制区内にも登山道が縦横に走る。要はシビリアンには既に解除された管制区と現役の管制区の区別が付けられないと云うのが現況か?

登山道入口から東屋までの80bと謂われるレンガを芯にしコンクリートで保護された階段は、想像以上に良い状態で残っていたので、確実に東屋まで辿り着けるとドキドキしたものだ。東屋と登山記念碑方向への三叉路に至るとコンクリート保護階段は終り、サンゴ石を切り出した階段に切り替わっていた。そこから先は藪が被さっており前進する場合鉈等の道具が必要に思えた。東屋遺構の周りは、然程古くない切り口を呈した樹木があるように、最近入山した有志の方が伐採作業を施している。遺構は土台だけだが四隅とも残存状態が良好だ。次回は登山記念碑までの登山道の状態を探査してみたい。その登山記念碑までの登山道の東屋からの登りの始まりは実に美しいサンゴ石の切り出しである。その写真を下に掲載し、新年の投稿記事を閉じることにする。(続く)

Kodou-2379.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。