


【写真説明】哨船頭古道の西側起点(古道最低点)である著名な国定古蹟「雄鎮北門」砲台の僅かに東側は「打狗英國領事館文化園区」として整備されている。元々丘の上にある英国領事館官邸が高雄市指定古蹟として開放されていたが、丘の下の領事館も修復・復元された。これら二つの遺構を結ぶ通用道は今は「登山古道」として修復され、三つながらにして国定古蹟である。掲載した写真は左側から領事館側古道出入口、その上部、更に領事館官邸側古道出入口の景観。埋め込んだパノラマ写真は、サンゴ礁の中をうねるように伝う古道途中の白眉部分。実際この古道、登りでも五分程度で歩けてしまう。
登山街の西側起点は哨船街に繋がり(埋込み写真参照)その後西子湾方向にカーブし、哨船頭古道西側起点の国定古蹟「雄鎮北門」間近で別な道路名(蓮海路)と成る。カーブする部分は高雄港に面しているのだが哨船頭公園として整備されている。以上の様に哨船頭の古名は現代に残る。今回投稿のタイトルである清代竣工の英国領事館跡は、丁度哨船街が蓮海路に繋がる辺りに立つ。同古蹟も国定古蹟であり余りにも有名、高雄観光の定番コース、このブログで敢えて詳細を紹介することは控える。
筆者ですら約二十年前に訪ねたことがあるのだが、当時と現在、一つ大きな違いがある。この投稿のタイトルから判るように、一口に英国領事館跡と言っても、実は二つ、或いは三つから構成されているのだが、筆者が訪ねた頃は、然る廟堂への階段を登り海抜30b程の丘に建つ建築物、文化遺産局登録名の後半部、官邸遺構のみが無料で公開されていたと記憶する。
その後、丘の下の哨船街沿いの領事館遺構も修復されたのに加え、2013年になり「打狗英国領事館文化園区」として入場料付きで公開された。今はマスク着用厳守なのも大きな変化か?ここまでは筆者の食指は動かず、鉄柵越しに領事館遺構は丸見えなのも手伝って。実は文化遺産局に登録されているのは、領事館官邸、領事館の二つに加え、領事館後方から官邸前面に辿る通用道、今はこれを「登山古道」と称しているのだが、このサンゴ礁を削り出した道路も含め三点セットで国定古蹟に昇格したのが2019年である。この「登山古道」の文字を目にした時、その古道なるものを歩いてみる、詰り入場料を払うことに同意した次第である。
英国領事館は1879年(光緒5年)竣工、1925年(大正14年)台湾総督府に売却された後は、官邸は海洋観測所、領事館は水産試験所として使用された。戦後、国民政府接収後もそれらの機能は維持された。その後国民政府がこれらを古蹟に指定したのが1983年である。
最後にメモ代わりの蛇足。。。先に、国定古蹟「雄鎮北門」に触れたが、これも高雄観光コースの定番、日本の領有以前、打狗防御の為に清朝に依り敷設された砲台の一つである。北門砲台の海を隔てて向かい合う旗后砲台(通称「威震南天」、国定古蹟)と以前の投稿記事で言及した大坪頂砲台(現在国軍管制区域内、遺構が僅かに残るらしい)と併せ三砲台があった。各々、砲台が敷設された場所の標高が異なり、順に、近、中、遠の射程をカバーしていた。詰り、北門砲台の標高が最も低いと云うことである。これら砲門は日清戦争の際、日本軍と戦火を交えている。三砲台の位置関係はこのダイヤグラムを参考にして欲しい。(続く)
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