2008年05月24日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−8

Kodou-217.JPG Kodou-218.JPG Kodou-219.JPG
【写真説明】左写真は征台の役(1874年、明治7年)の際の西郷軍上陸地点、射寮の海岸線。中央写真は国立海洋博物館の敷地内に立つ「明治七年討蕃軍本営地碑」。碑自体は明治7年当時の物だと想像されるが、碑の両面に刻まれた文字はその後故意に削られ殆ど判読不能。碑の基部には「昭和十二年三月改修 恒春郡」と刻まれている。写真に写っている側が碑の裏側、向こう側が碑の正面である。同写真奥に写っている別の碑は2000年に建てられた「日軍『討蕃軍本営地』記念碑記源」で牡丹社事件から碑の改建までを含む本営地碑の由来が説明されている。背景に写る小山は亀山。右写真は碑を囲む石塀で、昭和12年改修時のもの。当時の(陸?海?)軍様式に拠っていると思う。碑自体の大きさに比してその塀で囲まれた面積は非常に広くそっくりそのまま残してある。同写真の背景は海洋博物館の駐車場。

[明治七年討蕃軍本営地碑]
もう一つ牡丹社事件に関わる記念碑が、墾丁国家公園内の人気スポットの一つである国立海洋博物館の敷地内にある。この台湾でも有数の水族館、国立公園の台湾海峡側北端、車城郷内の海岸近くにあり、その水族館の駐車場内に約40メートル四方の敷地を確保し立つ「明治七年討蕃軍本営地碑」がそれで、西郷従道中将(当時)が征台の役の際に本営を置いた場所だとされている。水族館がある場所は100メートルに満たない亀山という小山の南麓になるが、実際の西郷軍の上陸地はこの亀山の北麓にある射寮という小さな村、国立公園の領域内にも拘らず、観光客の喧騒からは隔絶された海岸線である。

私は長い間この碑の存在を知らなかったし、日本人を何回もこの水族館に案内したことのある台湾人の友人も全然その存在に気付かず驚いていた。水族館の建物のすぐ横にあるのだ。観光客の目に付きにくいのは水族館の入り口から離れているからだと思うが、私が訪れた時も他には誰も訪れる人はなかった。明治7年(1874年)建立後、清軍に依り廃棄、その後、大正5年(1916年)、昭和12年(1937年)の二回に渡り修復、再建されたものである。

余談だが、「西郷都督遺績紀念碑」、「明治七年討蕃軍本営地」、更に、宜蘭市宜蘭渓河畔に立つ「西郷庁憲徳政碑」(西郷菊次郎)を加え、鹿児島市出身である私は勝手に台湾西郷家三点セットと呼んでいる。(メルマガ「台湾の声」2006年11月19日掲載分の一部を改編:次回へ続く)
posted by 玉山 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 恒春卑南古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック