2008年06月14日

恒春卑南古道(阿朗伊古道)−11

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【写真説明】屏東県満州郷里徳にある「恒春国語伝習所猪労束分教所之跡碑」。満州郷公所前から県道100号線を右に折れ里徳橋を渡り暫く行くと見えてくる。今はコンクリート製の涼亭(1997年製)に手厚く守られている。パイワン族の村落である里徳の旧社名は猪労束、今は山名として残る。森丑之助の回顧録「生蕃行脚」[簡便には、風響社出版「幻の人類学者森丑之助」(楊南郡著、2005年発行)を参照]では恒春テラソク社として僅かに登場する。左写真は、その碑と涼亭を裏側から撮影したもの。「手厚く」保護されている様子が判ると思う。奥に写る山が猪労束山(標高410メートル)である。

中央写真は碑の表と涼亭の中の様子。写真では判り難いかもしれないが、碑文の部分は戦後セメントが塗り込まれていた。又、同写真後方、「文化石基」と書かれた額が写るが、「文化の礎(いしずえ)は教育にあり」と云うことを言いたいのだと思う。更に、同写真の碑の基部に「記念碑建設世話人」と「発起人」の名簿が嵌め込まれているのが写る。右写真は記念碑世話人のプレートの拡大写真。各々の肩書きが当時の理蕃政策の一端を伺わせる。世話人自身の名前まで写り込んでいるので掲載を躊躇したのだが、このような碑はパブリックに公開されることを旨としているものだと解釈した。もしこのブログの閲覧者の中で親族の方がいらっしゃれば御芳名の無断掲載を深く陳謝する次第であるし、御遠慮なく筆者宛て御連絡いただきたい。

[恒春国語伝習所猪労束分教所之跡碑]
もう一つ満州郷内にある古蹟で紹介しておきたいものがある。満州の街中を200号線から離れ南東に暫く往くと里徳(パイワン族の旧「猪労束」社:日本時代の発音表記「チジャソワク」)という村があり、そこに「恒春国語伝習所猪労束分教所之跡」(以前は「恒春郡高砂族教育発祥之地」と刻まれていたようだ)の碑がある。

こちらは今は涼亭の屋根に守られきちんと保護されおり、前述の敬字亭とは水田を隔ててお互いに見通せる位置にある。明治29年(1896年)、台湾総督府は台湾全土に16箇所の国語伝習所を設置し日本語教育を本格化させる。恒春にも今の恒春国民小学校の前身である恒春国語伝習所を設置、猪労束社にその分教所が作られ、台湾原住民族に対する総督府の西洋式教育の魁(さきがけ)となった。この碑の背面には「高砂族教育発祥之地、明治二十九年九月十日開始、満州公学校前身、昭和十四年三月建立」の銘がある。

この碑の土台に「記念碑建設世話人」、「発起人」の順で複数の日本人の名前が刻まれた銘板が嵌め込まれているのだが、世話人筆頭は「警察署長・警部」で、その次に「巡査部長」「巡査」「技手」と続き、その後地元の発起人が並んでおり、当時の理蕃政策の性格がよく顕れている。(メルマガ「台湾の声」2006年11月19日掲載分の一部を改編:次回へ続く)
posted by 玉山 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 恒春卑南古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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