2012年07月21日

ルカイ族秘道−1

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【写真説明】これまで紹介した旧社を上から見下ろした写真が無いかどうか?を探した。というのは、過去二回北大武山に登頂した際、頂上付近から同方向を写した記憶があったからだ。当時はバタヱンとかチャリシとかの知識は皆無だったので、偶々写っていればラッキー!というわけだ。ということで一枚あった。下パイワン社を直接見下ろしたものが左写真だが、今回の記事とは余り関係なく、前回までの記事の補完的な写真だ。足元から落ちる稜線は旗塩主山、旗塩山に繋がるが同写真の右側視界外である。その稜線奥、山肌に白い点と線の集合している部分が下パイワン社。写真最後方は、隘寮渓と荖濃渓が合わさり高(雄)屏(東)平野に流れ込む。右写真は、「崑崙拗古道−1」や「日経ギャラリー」第2回目の台湾古道シリーズに掲載した写真と同位置から同方向を異なる日時に撮影したもの。右から南大武山、北大武山、霧頭山、そして以前掲載の写真との違いは同写真左端に明確に富士山の山容を呈した井歩山―阿猴富士―が写り込んでいること。

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2012年07月28日

ルカイ族秘道−2:シャデル社(阿礼)

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【写真説明】左写真は阿礼部落一景。中央写真は井歩山三角点。右頂上に置かれた石碑。「登山」の下にローマ字表記のルカイ語が記されているが、残念ながら意味不明。

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2012年08月04日

ルカイ族秘道−3:コツアボアン社(旧好茶)

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【写真説明】右写真は、井歩山−シャデル山間鞍部にあるシャデル社−コツアボン社間間道入口、2004年10月撮影。中央写真は同入口、2008年5月撮影。右写真は、同地点、シャデル山登山口にある登山路標、「霞迭爾山」の表示が見える。

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2012年08月10日

ルカイ族秘道−4:コツアボアン社(旧好茶)−2

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【写真説明】今回を含め四回の記事に掲載する写真は、当時の新好茶経由で初めて旧好茶=コツアボアン社を訪ねた時に撮影されたものである。左写真は新好茶全景、今は消失した風景。中央写真は当時の集落内派出所のプレート。右写真は、集落から隘寮渓右岸を上流に向かい高度を上げる産業道路を車で進めるだけ進み駐車、歩き始めて暫くして畑の中に出て来た指導標。

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2012年08月17日

ルカイ族秘道−5:コツアボアン社(旧好茶)−3

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【写真説明】好茶古道と通称されることもある新好茶(モーラコット台風で壊滅、現在は三地門郷に移遷)と旧好茶間の連絡道は、その後休憩所としては絶好の沢を渡り、そこからは立ちはだかる岩盤の壁を伝う道となる。左写真は、その岩盤を登り切った場所にある広場で、ここから、連絡道には石板が敷かれた歩道に替わる。それが中央写真、何故このように広い板を切り出し道に並べたかは不明。右写真は、この連絡道を歩くハイカーが必ず写真に収めていた竹に依る吊橋。「収めていた」と過去形にしたのは、この橋を渡してあった沢は旧好茶部落の脇に何条かの滝とそれに応じた滝壺があるが、そこを水源にしていたはずだ。台風後はこのような沢沿いがまず大きく崩壊するので、当然この吊橋は今は消失している。

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2012年08月24日

ルカイ族秘道−6:コツアボアン社(旧好茶)−4

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【写真説明】国家二級古蹟内の三枚。左写真は「ルカイ族秘道−4」でプレート写真を掲載した派出所の前身、旧好茶派出所で、日本時代の駐在所をそのまま襲ったそうだ。中央写真は、遺棄された住居跡。右写真は、教会跡、向日葵の黄色との取り合わせが独特の雰囲気を醸し出していた。ところで、私にはこの教会が天主教(カソリック)なのか?、長老教(プロテスタント)なのか?はまるで無知。東インド会社によるオランダ占領時代(1624〜1662年)中に、台湾でのキリスト教(カソリック)布教は開始されるが、その後の鄭氏時代、清朝時代を経てどれ程生き残っていたのか?更に、山路勝彦氏(註)に依ると、日本時代は台湾でのキリスト教の布教は禁じられていたそうで、今に見る台湾原住民社会の中でのキリスト教の隆盛は戦後の布教活動の結果ということだ。つまり、遺棄された原住民集落の中に教会跡(例:「浸水営古道−14」)が残っていれば、戦後の設立→廃棄ということだ。(続く)

(註)宗教情報サイト「RELNET」内にある講演録に依る。「第32回高雄大会(2006年)特集」『台湾先住民の歴史と現在
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2012年09月01日

ルカイ族秘道−7:コツアボアン社(旧好茶)−5

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【写真説明】旧好茶国民小学校跡の三枚。その前身はコツアボアン蕃童教育所。左から、校庭、国旗掲揚台、旧校舎。部落の入口から入りそのまま進みやがて校庭跡に出食わすとその校庭の突き当たりに一基の石碑がある。その石碑の裏に廻ると、「昭和九年」の文字が刻まれていたので、日本時代に建てられた碑であることだけは認知していた。

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2012年09月08日

ルカイ族秘道−8:コツアボアン社(旧好茶)−6

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【写真説明】コツアボアン社最後の記事になる。前回紹介した南幡重助記念碑の裏は沢になっており、その碑の直ぐ下に滝壺がある。それが左写真、更にその沢を渡り暫く進むともう一つの沢に行き当たり、ここにも滝が掛かり滝壺があった。中央写真である。台湾サイト内ではどちらかの滝壺を「太陽池」と呼称した紹介が多い。ルカイ族の命名か?約七百年前に雲豹に導かれこの地に居住を定めたのは宜(むべ)なるかな。時代は下り同地に鉄線橋を掛けたのは日本人、その残骸が右写真、但し、具体的に何処で撮影したか思い出せない。というのは、その鉄線橋を架橋遺構として意識して撮影した記憶が全然無く、寧ろそんな写真を撮影していたことに驚いている有様だ。

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2014年09月13日

ルカイ族秘道−9:谷川大橋

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【写真説明】2013年9月に完工した隘寮北渓を横断する谷川大橋、2009年8月、台湾を襲った未曾有のモーラコット台風の影響で壊滅した旧第一号橋の代わりに架け直された。高さ99メートルは台湾最高。この橋梁は同時に屏東県三地門郷(パイワン族が主)と霧台郷(西ルカイ族)との境界を形成する。左、並びに中央写真は、当該橋梁の山地門郷側出入口にある銘、左写真右奥に写る集落は、霧台郷霧台村に属する伊拉社区(日本時代のイラ社)、谷川大橋建設時に同時に谷川社区と改名した。谷川は如何にも日本風な名だが、日本人が付けたイラを嫌ったらしい。いずれにしても「谷川」の出所は調査中。右写真は霧台郷から望んだ谷川大橋。同写真右岸側が山地門郷側。
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2014年09月20日

ルカイ族秘道−10:シャデル社(阿礼)−2

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【写真説明】省道24号線の45.5キロ〜48キロ区間は、今や「阿礼大崩壊」と呼ばれる大崩壊が現出している。モーラコット台風以降、阿礼村は廃村となったが、旧部落民は時折帰郷する。この為、自動車が片側通行出来るだけのスペースは確保してあるが、四駆での走行が基本だ。今やこの段は、寧ろハイカーやサイクリストが多いのではないかと推察する。左写真は、45.5キロ付近の崩壊部開始地点。
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2014年09月27日

ルカイ族秘道−11:シャデル社(阿礼)−3

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【写真説明】2010年春に長治百合部落に移遷した阿礼村、シャデル社の2014年6月の状況。左二枚は集落内の様子。左写真右手前に写る白い建物は派出所、右写真は集落内唯一の雑貨屋さんへの道しるべ。以前は筆者自身この村に寄る度にビールを買ったものだ。下掲左写真は、省道24号線終点付近に立つ阿礼社区石碑。同右写真は、小学校校門付近に立つ歓迎標。
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2014年10月04日

ルカイ族秘道−12:シャデル社(阿礼)−4

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【写真説明】日本時代、台湾各所の主要原住民部落の中には、駐在所、小学校、衛生所が三点セットで並立され、そのセットは今でも引き継がれている。今回掲載した三枚は、阿礼国民小学校跡。左写真は小学校正門脇にある集落集会所、中央写真は校舎の一部、右写真は校庭、同写真奥に写る稜線は、井歩山(右側)〜霧頭山(左側)を結ぶ。(続く)
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2014年10月11日

ルカイ族秘道−13:キヌラ社(去露)

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【写真説明】左写真は、省道24号線からシャデル社側を背にキヌラ社を望む。集落の規模と同時に、隘寮北渓側へ落ちる急斜面上に形成されている様子が良く判る。中央写真は、省道24号線からキヌラ社へ降りる自動車道に乗り入れた直ぐの道路脇土手に倒れたままになっていたルカイ勇士、モーラコット台風の齎した強風に負けたようだ。右写真は、キヌラ社入口で我々を歓迎する別なルカイ勇士。
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2014年10月18日

ルカイ族秘道−14:キヌラ社(去露)−2

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【写真説明】霧台郷では最小の村落、既に、阿礼社と共に長治百合部落に下ってしまったが、移遷時の戸数・人口のデータが手元に無い。前回の投稿記事のように、案外日本時代の統計はそのまま現代キヌラを形容している可能性は大きい。そう、掌に載るような塩梅なのだが、驚くべきことは、そんなミニ集落に教会が三軒もあったことだ。(続く)
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2014年10月25日

ルカイ族秘道−15:キヌラ社(去露)−3

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【写真説明】キヌラ社記事の終わりは、定番、派出所+小学校である。制帽まで捨てて山を下るとはどういう了見か?長治郷内に造成された永久屋基地、「大愛園区長治百合部落」は、ルカイ+パイワン族合同集落である。そのことを知った上でのことか?(続く)
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2014年11月01日

ルカイ族秘道−16:ブダイ社(霧台)

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【写真説明】左写真は、ブダイ社全景、省道24号線上南側から同社の南側からの俯瞰、奥に写る稜線と集落は徳文山(標高1,246メートル)とルカイ、パイワン族混合の徳文社、二つの稜線の間は、隘寮北渓で断ち切られている。中央写真は、ブダイ社入口、24号線脇の商店兼食堂の百合、ルカイ族の象徴、右写真はその脇の駐車場にあった百合を模した街燈囲いとブダイ社。下掲の写真はブダイ社の北側からの俯瞰、最奥の最高峰は井歩山(標高2,064メートル)、別名、阿猴富士、その由来は、「ルカイ族秘道−1」を参照。
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2014年11月08日

ルカイ族秘道−17:ブダイ社(霧台)−2

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【写真説明】先の投稿記事でコメントした「極彩色」の一例を紹介する。左写真は、先の記事で掲載した商店兼食堂の24号線を鋏み斜め向かい側にある商店兼食堂+民宿。中央写真は、その+民宿脇の自動車道側壁上のレリーフ、右写真は、霧台国民小学校入口横のルカイ文物館(博物館)前広場、正面が文物館、その右に小学校正門があり、左の建物は避難所。下掲左写真は、ルカイ文物館入口、右写真は、避難所、日本時代の駐在所構造を模している。同写真後方は、阿猴富士とその稜線。(続く)
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2014年11月15日

ルカイ族秘道−18:ブダイ社(霧台)−3

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【写真説明】ブダイ社「極彩色」紹介第二段は、霧台国民小学校である。左写真は、ルカイ文物館脇に設けられた正門。中央写真は、校舎全体の眺望、手前はルカイ族のシンボル意匠の一つ、壺とそれに巻かれた百歩蛇。右写真は校舎の一部に意匠された百合。(続く)
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2014年11月22日

ルカイ族秘道−19:ブダイ社(霧台)−4

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【写真説明】ブダイ社「極彩色」紹介第三段は、ブダイ社頭目の家である。ルカイ文物館と霧台国民小学校北側に隣接している。左写真奥の車の右側が頭目の家、中央写真は頭目の家正面、右写真は、頭目の家入口の守護神のレリーフ。下掲は頭目の家に意匠されたルカイ族のシンボル、左写真は壺とそれに巻かれた瑠璃、右写真は百歩蛇。パイワン族と共通である。(続く)
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2014年11月29日

ルカイ族秘道−20:カバララヤン社(神山)

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【写真説明】谷川大橋を渡り切った後、蛇行と登行を繰り返す省道24号線が漸く平坦地に辿り着いた時、まず目にするのが左写真の「神山社区」の石碑である。ここから、24号線の両脇には霧台郷中心地区の街並みになる。右写真は霧台郷役場上部から俯瞰する神山社区、カバララヤン社である。
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2014年12月06日

ルカイ族秘道−21:イラ社(伊拉)

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【写真説明】左写真は、隘寮北渓北岸から谷川大橋=新省道24号線とイラ集落、その横を走る旧24号線を俯瞰する。中央写真は、曾て谷川大橋以前に隘寮北渓を跨いでいた一号橋を越えると待ち構えていた霧台郷入口を示す大門、2001年10月撮影、今は無く、右写真は2014年6月にその大門付近から曾て一号橋が架かっていた方向を撮影。同写真奥の高峰は徳文山(標高1,246メートル)。尚、イラ社位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
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2014年12月13日

ルカイ族秘道−22:イラ社(伊拉)−2

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【写真説明】前の記事で書いたように、以前は、筆者のような余所者が件の大門をくぐる時には些かとも異境へ踏み込む高揚感があったのだ。その門をくぐった後に通過するイラ集落は寒村然としていたが、それはそれで自然な感じがしたものだ。今は、豪華な高架橋と真新しい大サイズの谷川部落への指導標が掛かったが、寒村然とした佇まいは以前通りなので、逆にそのギャップが大いに不自然になってしまった。左写真はイラ社の「メイン・ストリート」で2001年の撮影、何故メインなのかと云うとこの街路やや奥、写真左側に教会へ通じる横小路が付いているからだ。中央写真は同じメイン・ストリートを2014年に撮影、十三年の差があるが、谷川大橋を支える巨大な橋梁がにょきりと生えた以外、何も変わっていない。右写真は同じ街路上に面した壁に描かれたルカイ族カップル。下掲写真は、2001年と2014年の谷川長老教会。新ためて、既に少なくとも十年以上も前から「谷川」の呼称が使われていたことを認識した次第。尚、イラ社位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。(続く)

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2014年12月20日

ルカイ族秘道−23:ラブアン社(大武村)

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【写真説明】左写真は省道24号線を神山集落に向かい高度を上げていくと、隘寮北渓対岸の河岸段丘上に向かい合う二つの集落が見え出す。新旧(新集落が左側)の佳暮村である。中央写真は、霧台集落下の24号線から分岐している大武村へ降りる霧台大武(略称「霧大」)連絡道入口。右写真は阿礼大崩壊部から望む霧大連絡道の九十九折と、隘寮北渓底に集落を形成する大武村下大武集落。尚、大武村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
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2014年12月27日

ルカイ族秘道−24:ラブアン社(大武村)−2

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【写真説明】大武村へ至るには、霧台、佳暮の各々から辿る連絡道があったが、後者はモーラコット台風で崩壊、今は霧台からのアクセスのみ可能。左写真は、霧台−大武連絡道から望んだ大武村全景、同写真右側集落が上大武(東川)、左側が下大武(小山)、写真手前の吊橋が、前回紹介した古仁人橋、上大武集落の左下に移る赤い線は、これも今年竣工した塔羅羅湾(タララワン)橋。右写真は、大武村下大武集落に至る今年竣工したばかりの古仁人橋。大武村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック
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2015年01月03日

ルカイ族秘道−25:シデロウ社(徳労:下大武小山巷)

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【写真説明】左写真は、上下大武集落の分岐点で構えるルカイ勇士像、中央写真はその像の後方に復元された頭目の家。右写真は、勇士像脇の人家の畑に花開いていた山百合、ルカイ族の象徴の一つ。
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2015年01月10日

ルカイ族秘道−26:シデロウ社(徳労:下大武小山巷)−2

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【写真説明】左写真は霧台小学校大武分校の校庭、同写真奥に正門があり更にその奥の建物が校舎、校庭右側に行政機関が並ぶ。中央写真は小学校校門、右写真は村役場。。。下掲載の写真は、前回の記事に掲載したルカイ勇士像の真向いの用途不明の私有地広場に、シュールに置かれたビビッドな色彩群の静物達が不可思議な空間を創り出していた。パンダの台座には「清潔漂亮我最愛環保工作一起來」(清潔できれいなことが大好き、環境保護の為に一緒に頑張ろう!)の文字有り。(続く)

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2015年01月17日

ルカイ族秘道−27:タラマカウ社(達拉馬考:上大武東川巷)

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【写真説明】左写真は、タラマカウ社集落下のシデロウ社との連絡道脇にある使途不明のテラス。単に涼亭、休憩所の類とは異なる宗教色のある建造物故、掲載した。本文記事中の涼亭とは別。中央写真は小さな集落の入口に当たる部分に設置されたルカイ勇士。「ルカイ族秘道−25」に掲載したシデロウ社のそれと比較するとコミカルな感じがある。右手の勇士は弓を引いて太陽を射ようとしている。右写真は、これらルカイ勇士像近くに設けられた活動センター、タラマカウ社の集会所。尚、同社位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
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2015年01月24日

ルカイ族秘道−28:カバダナ・カナモデサン社(佳暮村)

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【写真説明】旧佳暮村入口に立つ指導標三種、中央、並びに左写真奥に写る山並みは神山、霧台集落方面である。左写真の石碑の銘に「民国八十四年」(1995年)の銘が見えるが、旧佳暮村から新佳暮村の位置に移遷した年のはずだが、何故、旧佳暮の地に立てたのか?尚、佳暮村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
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2015年01月31日

ルカイ族秘道−29:カバダナ・カナモデサン社(佳暮村)−2

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【写真説明】左写真は、新佳暮村から東側の旧佳暮村を望む。中央、並びに右写真は、旧佳暮のメインストリート、撮影は水曜日、正午、人気無し、但し、綺麗に清掃され、旧村のイメージからは程遠い。下掲写真は、廃校となった旧霧台国民小学校佳暮分校。尚、佳暮村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
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2015年02月07日

ルカイ族秘道−30:カバダナ・カナモデサン社(佳暮村)−3

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【写真説明】新佳暮村の三枚。中央写真は、旧佳暮村から望んだ新佳暮村。右写真は、新佳暮村入口(中央写真では、左側)に置かれている「太陽を射る」像。。。だと思っていたのだが、少々怪しくなった。上大武集落の紹介でも同じ説明をしたのは、以前タロコ族の村、合作村平生(トルワン社)の像がずっとイメージとして残っていたからだが、待てよ、タロコ族とルカイ族は同じ神話を共有している?調査が必要である。この佳暮村の像も先の上大武集落のそれも単に獲物を狙う勇者かもしれないが、弓を引く角度は明らかに空(そら)に向かっているのだが。尚、佳暮村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。(続く)
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2015年02月14日

ルカイ族秘道−31:カバダナ・カナモデサン社(佳暮村)−4

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【写真説明】大母母(ダイボボ)山の三枚。霧で森全体が濡れ祖母る左写真。中央写真は登山道途中で見掛けた指導標、「大鬼湖」とは日本時代はバユ(巴油)池と呼ばれており、今回の記事中でも僅かに触れておいた。右写真は頂上三角点、ダイボボ山頂上に辿り着いたという記憶すら曖昧、写真だけが残っていた。
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2015年07月11日

ルカイ族秘道−32:青葉村(タラマカウ社)

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【写真説明】上段左写真は青葉村入口に設けられた石板屋と百歩蛇のオブジェ。中央写真は、青葉国民小学校正門前のオブジェ、これも百歩蛇を意識したものか?右写真は天主堂。下段左写真は、洒落たカフェ。同中央写真は休憩所、同右写真は車道脇にある涼亭。ここに掲載した写真はすべて村を貫くメインストリート、光復巷沿いの風景である。
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