2022年06月04日

六亀特別警備道−51:第12宿「沼津」

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【写真説明】旧沼津分遣所跡地(その景観は[1][2][3]の埋込写真参照)の稜線上平坦地に掛かり再び下り斜面を降り切る(上段左写真)と、あっという視覚衝撃を受ける回廊が現出する。台湾人の言う「完整」な浮築橋である。目測40bの完璧な残存状況を呈した先に、日本人なら思わず「大手門(追手門)」を想起させる駐在所正面門が待ち構えている。そう、山中の城である。中央写真はその回廊にステッキを渡し幅をイメージ出来るようにした。優に2bはある。右写真は石塁の高さをイメージ出来るように撮影したもの。下段左写真は正面門を背にし回廊を撮影したもの。中央写真は正面門の景観、右写真は正面門下に設営された階段。更に二枚のパノラマ写真を添えた。[4]は上段左写真と同じ大手門、[5]は更に宝来渓方面に進んだ先にある裏門、搦手門の風情がある。(続く)
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2022年06月11日

六亀特別警備道−52:第12宿「沼津」(2)

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【写真説明】沼津分遣所跡地では正面門に至る回廊ばかりに関心が集中し、駐在所構内の遺構の確認は疎かになった。残存状況の優れた石塁二箇所と使途不明の遺構ぐらいしか撮影したものが残っていない。。。記事の穴埋めを意図しているわけではないが、読者の方々の混乱と筆者自身の困惑を少しでも緩和する為に、ここで少々脱線することにした。これまで、駐在所、警戒所、監督所、分遣所という呼称を横断的に使って来たが、これはウィキペディア中文版「六龜警備線(警備道)」に収録されているリストに依っている。その情報源の大部分は台湾大学登山社(山岳部)の踏査結果がベースになっているというのが筆者の理解だ。台大学側の拠り所は不明だが、以下三つの資料に依り、前出の対原住民警察機関に関し些かコメントする:

『戟戰奇萊−隘勇線與駐在所』、林一宏、國立臺灣圖書館《臺灣學通訊》第82期
『從隘勇、警手到蕃地警察』、鄭安睎、國立臺灣圖書館《臺灣學通訊》第88期
「隘勇」、『ウィキペディア』(中文版)
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2022年06月18日

六亀特別警備道−53:第1宿「品川」

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【写真説明】([口|戛][口|拉]鳳(カラブン)吊橋を渡り切りそこを走るセメント舗装の道路(ガニ農路)を右側、即ち南側に折れる。直ぐに留佐屯山西峰方面への三叉路に行き合う。最初からいきなりの登りで筆者の運転技術では疑問の急坂が見て取れる。。。と以前書いた。日本橋分遣所の踏査が今年1月16日、約一箇月半後の2月26日にガニ農路に車を乗り入れ品川分遣所跡地の踏査を目論んだ。予想通り、ガニ農路は悪路であった。四駆は必須の悪路を普通乗用車で挑戦した。無論、筆者の運転に非ず、G博士の弟にお願いした。農路入口から品川跡地と目される留佐屯山西峰頂上に至る登山口まで落差600b、距離7〜8`を見込んでいた。当日、農路約1.5`地点で農道は倒木の為に大いに崩壊(上段左写真)、前日か当日早朝に発生したものと思われた。そこから徒歩を強いられたが、3`弱で登山口の貯水槽に辿り着いた(中央写真)。詰まり、品川跡地に至るには、ガニ農路の落差、正確には550b、距離大凡4.5`を征する必要があると云うことだ。熟練ハイカーなら最初から徒歩でも苦にはならないと思う。農道進行方向左側にある貯水タンクを横切り斜面を僅かに上がる(右写真)と、警備道跡を想起させる窪地(下段左写真)に出会う。そのまま辿ると石塁の残骸(中央写真)を見付けた。この石塁の後方は竹林で土塁跡を思わせる土手があり(右写真)当時の生活遺物が多数掘り起こされていた。明らかに品川跡地である。筆者の現場の簡単なスケッチを添付した。(続く)
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2022年06月25日

六亀特別警備道−54:第1宿「品川」(2)

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【写真説明】品川跡地はの石塁は残存状態の良いものは見当たらず、残骸が散乱しているような塩梅だった。分遣所建屋敷地は二段、若しくは三段の層構造を為しており複数箇所でビン類、碍子の散乱場所があった(以上、現場スケッチ参照)。左写真は最初に行き当たった竹林の中の土塁跡と思しき地点で掘り起こされたビン類、その中に、中央写真に写る瀟洒なガラス瓶があった。化粧水か薬液かは判らないが、ビン底に旭日旗に似たものがあしらわれている。ヤフーの古瓶のオークションの中に同じ物を見付け、少し驚いた。留佐屯山西峰頂上は地形的に突出してはいないので、GPS情報は手元に在りながら三角点を探し出すのに苦労した。そこから川崎、神奈川方面へどう辿るか?は考えないことにした。第1宿分遣所遺構を確認出来ただけで大いに満足したからだ。(続く)
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2022年07月02日

六亀特別警備道−55:第53宿「大津」(3)

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【写真説明】左写真は、ウィキペディア中文版『六龜警備線』中の「大津」分遣所の位置情報「推定地点はコンクリート階段の左側」のコンクリート階段、茂林風景区大門駐車場北端のコンビニの台27線を隔てて向い側、何故今までこの階段に気付かなかったのだろうか、極めて不可思議。その左側は空き地だ(中央写真)。右写真は、階段上から台27線向い側(コンビニ側)を望んだ。

品川分遣所跡地を押えた後、俄然第53宿大津以北を南真我山迄辿れるだけ辿ろうと云う気が湧いて来た。大津分遣所跡地が茂林国家風景区大門駐車場だとして、第52宿「草津」分遣所跡地迄辿る為の出入口は何處か?2016年という古い投稿にその写真を見付け、灯台下暗しを恥じた。2016年の段階で大津より艱難辛苦して南真我山まで至っているので、今現在は更に入り込むハイカーの数は減っているのが予測され、草津分遣所跡地まで辿れれば善しとすることにした。品川跡地と同じ扱いと云うわけだ。件のコンクリート階段を登り切ると直ぐに旧警備道と思しき道が現出している。既に廃棄された産業道路と交錯しているが、大概の部分で旧警備道とその後開鑿された産業道路は区別出来る状態にあると思った。驚くべきは、旧警備道と産業道路を交差させつつ高度を稼ぐ六亀警備道最南端の登山道に沿い赤いビニールのテープが張られていることだった。古道研究グループか心あるハイカーか?何れにしても、この分だと筆者が以前特定を試みた南真我山登山口イコール土山分遣所跡地までテープが張られているのを必然と思い出してしまった。

今回、第53宿「大津」から東進(実際は北進)、第49宿「土山」迄をコースを変えて踏査した。添付ダイヤグラムの赤線が第一次、グリーン線が第二次、オレンジ線が第三次、各々今年2月13日、3月5日、3月13日に敢行した。大津-草津間は忠実に稜線を踏んだ。草津-石部間は稜線を辿らず、姿沙里沙里歩道から旧林道を辿り石部に至り、更に林道を終点迄辿り、水口方面へのアクセスを確認した。第三次は第二次と同じルートで石部に至り、林道終点から南真我山、土山に至り下山した。従って、草津-石部間の警備道踏査はスキップされたことになる。このようなルートを組んだ理由の一端は、夙に有名な「紫蝶幽谷」(日本人観光客向けには「茂林ルリマダラ生態公園」)にて「世界二大越冬型蝶谷」(以上、茂林国家風景区公式日本語サイトより)の一つで胡蝶の乱舞する様を垣間見たかったからだ。初めて茂林風景区大門を潜った時より既に二十年を超えてしまった。
(続く)
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2022年07月16日

六亀特別警備道−57:第52宿「草津」(2)

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【写真説明】左写真は前回掲載下段右写真に写る稜線最上部の景観、低価格のビニールテープだが実に心強い。中央写真は左写真の稜線を登り詰めた箇所で見出した、正にそのテープ張りの現場、散乱している飲み物容器からテープ張り作業は原住民に委託された模様だ。右写真は草津分遣所跡地、同写真左側に崩壊した石塁が見られる。右側が旧警備道。このように分遣所跡地としての遺構は僅かに平坦地と嘗ての石塁が見て取れる程度の残存状況だ。それでも草津-大津間は往時の警備道の景観が良く保たれている段だ。(続く)
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2022年07月23日

六亀特別警備道−58:第51宿「石部」

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【写真説明】草津から石部に至るに旧警備道に依って辿ることをせず、セブンイレブン駐車場から茂林市街地北側へ移動、姿沙里沙里歩道(左写真)から辿ることにした。理由は前述したように世界二大胡蝶越冬地を目撃したかったからだ。今現在は大量のルリマダラ類胡蝶の乱舞のピークを迎えているので、確かに個体数は多いと形容するには相応しいとは思へど、筆者の目撃したものが、典型的な個体数なのかは判らず。当該歩道は胡蝶生態園を離れると旧林道を伝い高度を稼いで行くが、九十九折を繰り返す旧林道のカーブ地点二箇所で旧警備道と交差する。左写真は下側の交差点から入り込み警備道と交差したことを確認した地点、旧警備道沿いの赤のビニールテープは石部分遣所跡地まで張られているのを確認した。草津分遣所跡地と同じく、石部跡地も右写真で見るように石塁の残存状況は悪い。旧警備道は、上側交差点で突然ビニールテープ誘導が打ち切られていたので、そのまま旧林道を辿る(下段左写真)とその終点に至った(中央写真)。林道はそこで終わりだったが、そこから更に南真我山山頂へ向かう登山道が確保されているのを確認(右写真)出来たので、次回踏査の目標とした。(続く)
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2022年07月30日

六亀特別警備道−59:第50宿「水口」

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【写真説明】二回目の大津段踏査の際辿ったルートを三回目も忠実に辿った後、水口分遣所跡地、南真我山山頂、更に土山分遣所跡地を確認した。大津、草津、石部間は赤色ビニールテープが張られる形で旧警備道に沿う登山道は確保されていたが、石部-水口-南真我山(筆者が嘗て頂上直下を土山分遣所跡地と推定)間は乏しい布条(登山用マーカー)に頼るしかなかった。それでも旧警備道部分は左写真に見るような路側石が残存している部分があり、目指す南真我山の方向は明確だった。分遣所跡地遺構は草津、石部と同様特筆すべきものは無かった。中央写真はハイカー、或いは警備道踏査チームに依って掘り出されたもの、右写真は分遣所跡地と推定される平坦地。(続く)
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2022年08月06日

六亀特別警備道−60:第49宿「土山」

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【写真説明】石部-水口-南真我山間は旧警備道の風貌を色濃く残す段である。石部、水口の各分遣所跡を正確に特定するには各々の遺構の残存状況が芳しくない。それでも現在の登山ルートが警備道を襲った部分か産業道路と錯綜している部分なのかは想定がそうそう難しくない。左写真は南真我山直下の警備道の景観、但し警備道は同山山頂を越しているわけではなく、あくまで頂上直下、付近である。中央写真は南真我山頂上、以前「六亀特別警備道−13(南真我山基点)」でも紹介済みでもある。当時は南真我山頂上直下を土山駐在所跡地と想定していた(「六亀特別警備道−12(土山駐在所?)」)のであるが、実際の跡地は更に北側の当時坂下駐在所跡地と想定していた場所(「六亀特別警備道−14(坂下駐在所?)」)とニアミスしていた。ニアミスの意味は次回の投稿で説明する。右写真は南真我山頂上を超えて真我山方面、詰まり伝統的な六亀警備道南段の南側端緒である。(続く)
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2022年08月13日

六亀特別警備道−61:第49宿「土山」(2)

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【写真説明】此処迄書き殴るようにして綴って来た六亀警備道の踏査行だが、大津〜土山間最南段の終りのみに留まらず、六亀警備道踏査行としても恐らく最後の稿となるかもしれない。土山分遣所跡地迄を踏査し判った事は、草津〜水口間の分遣所は痩せ尾根気味の稜線上に設営された為、設営地を囲む石塁は力学的には稜線両側に引っ張られる格好になり崩壊も速い。この為遺構としての残存状況が極めて悪い。従来の登山道としての六亀警備道南段起点は南真我山、ここから北側へ向かい稜線を登り詰めていく恰好になるのだが、稜線の広がりが大きくなる。こうして土山分遣所跡地の石塁はそれまでの南側駐在所遺構に比べると格段に良い残存状況を呈していた。上段左写真は、南真我山山頂直下の登山口からそのまま山頂を経ずして延びる農道(同写真左側)と、山頂を経由する農道との出会い、農道と旧警備道が並行して開鑿されている部分。中央写真はその農道(同写真中央)と旧警備道が交錯しており、農道は登山道として右側に分岐していく地点、石塁が残っている箇所があり、筆者が以前坂下分遣所跡地として推定した場所である。しかし実際の分遣所跡地はこの分岐点と出会う旧警備道と思しき別の農道を僅かに南側に戻った場所にあるがほんの僅かに戻るだけである。その旧警備道と思しき別の農道との出会いが右写真である。下段左写真は上段右写真より更に土山分遣所に寄った地点で分遣所跡地出入口、中央写真は最初に出会う土山分遣所正面石塁、右写真は分遣所後方の石塁、これら正面裏面石塁の規模が判るようにパノラマ写真を埋め込んだ。土山分遣所遺構の残存状況と規模の大きさを感得出来るかと思う。土山の次の宿場、坂下分遣所跡地以降は従来より歩かれて来た古道としての六亀特別警備道沿線で確認可能となる。(終り)
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