[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2006年09月16日
霞喀羅古道(石鹿古道)−1
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2006年09月23日
霞喀羅古道(石鹿古道)−2
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2006年09月30日
霞喀羅古道(石鹿古道)−3
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2006年10月05日
霞喀羅古道(石鹿古道)−4
[写真をクリックして] 本文へ...
2006年10月13日
霞喀羅古道(石鹿古道)−5
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2006年10月21日
霞喀羅古道(石鹿古道)−6
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2006年10月26日
霞喀羅古道−7:内湾
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2006年11月05日
霞喀羅古道−8:尖石
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2006年11月09日
霞喀羅古道−9:李棟山
【写真説明】台湾総督府が李棟山(標高1,913メートル)頂上に大正2年(1913年)に築いたタイヤル族討伐の為の大規模な要塞の正面の門。今では李棟山古堡と呼ばれている。写真左が外側から、写真内側は要塞内部から撮影した入口の門である。内部は五十メートル四方はあり、高さ2メートル強、厚さ約60センチにも及ぶコンクリート製の壁で囲まれている。当時のコンクリート技術の粋を集めたという。但し、「コンクリート」と単純に呼んでいいのかは自信がない。鉄筋も用いられたそうだが、要塞壁の中身はレンガ積みをコンクリートで補強してある。門上部には嘗ては第五代総督佐久間左馬太の筆になる「慎守其一」の扁額が掛かっていた跡が残る(写真左上部)。元々は清朝の開山撫蕃下に於いて李棟将軍が同地に砦を建設したのが始まりである。台湾各地に残る総督府の理蕃関連の遺蹟中、最大規模のものである。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2006年11月13日
霞喀羅古道−10:司馬庫斯部落
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2006年11月21日
霞喀羅古道−11:北坑渓古道
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2006年11月26日
霞喀羅古道−12:横龍古道
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2007年06月01日
霞喀羅古道−13:清泉温泉(旧井上温泉)
【写真説明】日本時代の井上温泉である新竹県五峰郷桃山村清泉温泉、霞喀羅古道西側の入口である。ここから現在の古道入口までは林道を通常、車で15キロ程辿る。左写真は、その林道入口から僅かばかり上がった場所から撮影した清泉温泉の全景。手前の橋は清泉大橋、写真中段の吊橋(清泉一号吊橋)の右端が日本時代から続く清泉温泉、左端が清泉派出所、嘗ての井上駐在所である。林道は最初の入口からいきなり高度を上げるが崩壊が激しく、同写真下段に見るようにやっと応急処置を施したような有様だった。小型マイクロバス程度の車両でも通行は難しくなっている。撮影地点は丁度嘗て張学良が蟄居していた場所(実は、この地は現時点でも意味不明の公園にはなっている)の上部に当る。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...