2015年05月16日

水沙連古道−1

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【写真説明】左写真は南投県水里郷水里市街地内にある水沙連古道水里側入口表示板、真新しい。筆者が訪ねたのは2013年2月、この表示板設置は2012年10月と推定。水里市街地内には複数の表示板あり、それらは二坪山古道との表記があるが、水沙連古道と同義である。中央写真は水里市街地内の自動車道上に設けられた二坪標、388.30メートルの表記あり。右写真は市街地中に贅沢に設けられた二坪山古道休憩所。
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2015年05月23日

水沙連古道−2

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【写真説明】水里市街地内では同じ古道(歩道)を表現するのに、「水沙連古道」、「二坪山古道」(以上二つは前回記事に写真掲載)、加えて「二坪山登山歩道」の三種の指導標が混在して掛かり、更に、これらの古道・歩道を辿るには複数の出入口がある。今回掲載した写真は水里市街地の目貫通り、民生路沿いに出入口が設けられた同古道。左写真が民生路に面した出入口、中央写真はその路地、つまり古道を少しだけ辿り、民生路側に臨む。右写真は古道が最初の登りに差し掛かった段。尚、水沙「連」と「漣」も同様に混在して案内板等で使われている。
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2015年05月30日

水沙連古道−3

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【写真説明】水里市街地の目貫通り、民生路は水里橋にて水里渓を渡るが、左写真はその橋上から北側上流左岸にある通称鉅工発電所を望む。日本時代の日月潭第二発電所である。中央写真はそのズームアップ、山の斜面を這う水圧管と発電所本館、一目で日本時代の遺構であることが看て取れる。古道は左写真に写る右側山腹を巻いている。右写真は、古道がまだ市街地内にある部分から水里市街越しに望む濁水渓、同写真右奥に写る橋梁は玉峰大橋。
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2015年06月06日

水沙連古道−4

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【写真説明】左写真の左側道路は「二坪山 水沙連古道」の指導標が立つ古道入口の一つ、その道路右隣手前に立つ「大観冰店」とは「二坪冰」(二坪アイス)宗家販売店である。中央写真はその店舗、旧正月中の朝九時前でお客さん無し。右写真は確かそのアイス販売所敷地内に展示されていた発電用タービン。同写真台座に填め込まれた説明板に「この小発電機は民国33年に設置。。。」の記載あり、つまり終戦直前の昭和19年製ということである。ここで、日本―発電所―アイスという線が描けるわけだ。
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2015年06月13日

水沙連古道−5

【写真説明】これまでの記事はナレーション的な説明に終始してしまったので、今回は全長2,634メートルの内、水里郷鉅工村側の古道景観の一部を三枚の写真で紹介するに留める。2013年2月の探訪当時、その日の都合で実際歩いたのは入口から1,000メートルの地点までを往復したに過ぎない。出口側である魚池郷銃櫃村側は車で乗り入れられる部分まで入り込みお茶を濁した。左写真はその実際歩いた1,000メートル地点の里程標。200メートル毎に同里程標が立つ。中央写真は古道景観。右写真は、500メートル付近に設けられた展望台で、同写真に写る案内板は「水沙連古道−3」で全訳したもの。二坪山古道の旧称「土地公鞍古道」の「公鞍」即ち土地公、祠は、1,600メートル地点。(続く)

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2015年06月20日

水沙連古道−6

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【写真説明】省道21号線を水里から魚池、即ち日月潭方面を辿ると、72キロを過ぎた辺りに銃櫃村への入口があり、ここが水沙連古道二坪山古道段東側入口である。左写真はその入口の省道を隔てて丁度真向いの道路脇に設けられた、魚池郷への入境を意識したモニュメント、キュウリである。
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2015年06月27日

水沙連古道−7

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【写真説明】省道21号線を日月潭方面左折しアスファルト道路を三キロ程辿ると、水沙連古道二坪山古道段東側登山口に至る。登山口と云ってもその先更にしっかりしたアスファルト道路が伸びて普通車が楽にドライブを継続出来る。そこには全長2,634メートルの古道里程標があるのだが、酷く不自然な感じだ。左写真は古道東側起点の様子、左二枚目の写真は起点付近の樹木に提げられた布標、三枚目はれっきとした水沙連古道道標、右写真は鉄製の古道最終点を示す鉄製里程標。(続く)
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2015年07月04日

水沙連古道−8

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【写真説明】時間が押している上に、雨も強くなったので、普通車の運転に不安が無い場所まで古道を辿った。結局、アスファルト道路が完全に切れて登山道らしくなる地点までは辿らず。右写真は車を乗り入れた最終地点の古道の様子、左二枚はそこに至るまでの風景。余り締りの無い古道巡歴となったが、当該カテゴリーを一旦閉じることにする。(終わり)
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2016年10月08日

水沙連古道−9

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【写真説明】左写真は現存の水沙連古道の最高点付近に立つ高圧電線架。中央写真はその高圧線鉄塔脇から古道最高点に位置する廃棄された土地公まで続く古道の様子、アスファルト道で古道の趣は失われているが、最高点だけに眺望と吹き抜ける風が、本古道の白眉を形成している。右写真はその土地公、中央写真の最奥部に位置する。
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2016年10月15日

水沙連古道−10

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【写真説明】西側入口から古道約1,400メートル付近に、古道最高点南側に位置する土地公鞍嶺、小高い変哲も無い頂きへの登山口が表示されていた(左写真)。十分も掛からずに到達出来た。雑木林に囲まれた頂は眺望は全く効かず、それでも多数の布条が結わえ付けられていた。頂に至り別名「二坪山」とも呼ばれていることが判った(中央写真)。右写真は、三回目の踏査起点となった古道西側入り口から2,000メートル里程標越しに望む、文字通り小高い変哲も無き頂き、二坪山。下掲写真は、「水沙連古道−6」で紹介した「竹登天宝堂」。日本時代の面影が些かでも残っていることを大いに期待したのだが、銀ぎら銀の現代台湾廟堂でがっかり。。。(終わり)

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