2016年01月02日

八卦山古道−1

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【写真説明】台中市南に隣接する彰化県の中心都市彰化市、その市街地東側に標高97メートルの八卦山がある。そこに鎮座する黒塗りの大仏は恐らくは彰化県で最も人口に膾炙した景観であろう。三枚共(安物の絵葉書様で申し訳ないが)2001年撮影。その後2002年に再訪。爾来未だに同地を訪ねる機会無し。それでも八卦山古道のカテゴリーを設けたのは、次回の投稿で説明予定。
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2016年01月09日

八卦山古道−2(挑水古道)

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【写真説明】『台湾山岳』では八卦山台地古道と総称される中の一本、彰化県道148号線沿いの挑水古道東側口の様子。挑水とは「水を担ぐ」の意味。嘗て生活水の運搬に使われていたということだ。同古道は、八卦山台地の東端、彰化・南投県の県堺、彰化県側の芬園郷渓頭が所在地。左、中央写真は県道に面した入口左右に設けられた標示。右写真は古道入口を背にし県道側を臨んだ。ベニヤ張り鳥居は日本神社のそれを模したものだが、由来不明。
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2016年01月16日

八卦山古道−3(挑水古道−2)

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【写真説明】挑水古道の全長は僅かに二キロ、しかもその全段がアスファルトとコンクリートに依る舗装道路、その東側半分は自動車の乗り入れも可能。。。そう古道らしからぬ古道である。その歴史を知らぬままに歩けば、街中の静かな公園を歩いているのと大差は無い。古道は東出入口から緩やかな登り一方、左写真は古道の歩き始めの光景、古道沿線には各々異なる意匠の休憩所が設けてあり、中央写真と右写真はその中の二基、同右写真は乗用車が乗り入れられる最終地点から古道西側出入口方面を望んだもの、そこから登坂がきつくなる。
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2016年01月23日

八卦山古道−4(挑水古道−3)

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【写真説明】左写真は挑水古道謂れの古井戸二基を擁した休憩所、今は同写真右側に写るポンプを利用し水を汲み上げハイカーがお茶を立てる。中央写真と右写真は実際の井戸の様子。乾季には水が枯れてしまうようなことが休憩所脇に立てられた案内板の一つに書かれてあったが、乾季であるはずの台湾冬季の今、僅かばかり水を湛えていた。
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2016年01月30日

八卦山古道−5(挑水古道−4)

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【写真説明】左写真は西側入口に向かう最後の登り坂で古道全線で最も勾配が大きい。枕木と煉瓦を利用し整備、この坂を登り切ると古道西側のハイカー用の駐車場に出る。そこからは畑になりそこを突っ切ると、古道西側出入口の芬園郷大竹村の県道139号線に出る。出入口付近には複数の意匠を凝らした指導標が敷設されており、中央写真(古道西側出入口を背にした古道最終段)と右写真(県道沿い)はその例。2010年3月に整備完了。二本の県道を繋ぐように整備された挑水古道は僅か二キロだが、東側から西側へ向かい登り一方なので往復するとかなりの運動量になりそうだ。(続く)
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2016年02月06日

八卦山古道−6(碧山古道)

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【写真説明】左写真は碧山古道東側出入口の指導標。何故、碧山と云う名が付いているのかは未だに不明。余談だが、台湾の最高峰玉山(新高山)の英語名はMt. Morrison(アメリカ籍商船の船長名)なのだが、漢字の直訳そのままにMt. Jadeという英語名を嘗て見たことがある。それを漢字訳にするとMt. Jade、碧山になり、筆者が一時期自前の会社名にしていたことがある。中央写真は、碧山古道西側入口となっている、由緒正しき土地公(その名も「古恩公廟」)、その廟の前は板敷のベランダを擁した休憩所になっており、右写真の挑水古道所縁の石像が設えられてある。
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2016年02月13日

八卦山古道−7(碧山古道−2)

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【写真説明】前回投稿で写真を掲載した古恩公廟を西側起点とする碧山古道は左写真のようにアスファルト敷きの農道から始まり、やがて地肌が剥き出し道路両側を鵝卵石で補強された古道然とした景観になる。中央写真は、挑水古道との間を結ぶ鵝卵石に依る階段の一本、「鵝卵天梯」の例。碧山古道から挑水古道を見降ろしたもの。苗栗県下の「挑塩古道−3」「−5」で紹介した階段構造と同一。右写真は碧山古道が東側起点に向かい下り勾配を開始する辺りのの同古道景観。(終わり)
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