2016年05月07日

『水の古道』后里[土/川]−1

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【写真説明】明治38年(1905年)開通、昭和10年(1935年)の震災で橋梁のみを残し断裂した現在魚藤坪断橋(龍騰断橋)と呼ばれる縦貫線山線遺構。苗栗県三義郷龍騰村所在。上掲左写真の手前に写る鉄橋(龍騰渓鉄橋)は、震災後に架け替えられ1998年に廃線となった旧山線。下掲を含め他の写真は同断橋の角度を変えた拡大写真。以上四枚は何れも2004年5月撮影。
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ラベル:台湾 苗栗
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2016年05月14日

『水の古道』后里[土/川]−2

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【写真説明】今回は、撮影当日雨天の影響で冴えない出来栄えの昭和13年創建、台中市三級古蹟指定、泰安旧駅駅舎内外の写真と、後続の投稿に備える為に、街中の民家脇と駅前の福興路脇を流れる后里[土/川]支線の二つを本文下に掲載した。下掲左写真手前に写る花弁は、観光客が積んだもので、プルメリア、台湾では鶏蛋花(鶏卵花)と呼ぶ。
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2016年05月21日

『水の古道』后里[土/川]−3

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【写真説明】左並びに中央写真は、初回投稿后里[土/川]−1の記事の中で、このカテゴリーを新設したか?を述べた下りの中で言及されている灌漑用水路の様子。泰安旧駅構内東側山沿いに構内、並びに構内前後は鉄道に並ぶような形で一段高い場所に開削されている。明治42年(1909年)完工、つまり旧山線とほぼ同じ開削時期である。中央写真に写る水管の縁の加工は日本時代のもの。右写真は旧山線が大安渓を渡る付近にある、大安渓から后里[土/川]への引込み水門の一つ。下掲写真はその水門を介し、泰安旧駅周辺の街中に引き込まれる里[土/川]支線の一本。
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2016年05月28日

『水の古道』后里[土/川]−4

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【写真説明】后里[土/川]渡槽。色々な呼称が巷にはある。「后里水橋」もその一つ。二つを合わせて、渡水橋とも。実はこのブログで、渡槽、或いは水橋を紹介するのは初めてではない。例えば「白冷[土/川]」でも紹介済み。左写真は渡槽入口付近の景観、水門と案内板。同写真奥に薄っすらと滝が掛かっているのが覗ける。中央写真は渡槽本体、水路に沿い垂直に渡してある桟を利用すれば向こう側に渡れないこともないが、水路はその先で山を穿つ。右写真は渡槽東側側面のアーチ。三枚の写真とも筆者背中が泰安旧駅方面。下掲載左写真は、上掲左写真に写る滝の拡大写真、右写真は渡槽下の渓谷の景観、同写真右奥に写る壁も日本時代のもの。
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2016年06月04日

『水の古道』后里[土/川]−5

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【写真説明】左写真は后里[土/川]磚橋を南側から望む。中央写真は[土/川]磚橋の近影、橋を向こう側に渡ると旧山線、全長518.6メートルの八号隧道に出会う。右写真は、旧山線と后里[土/川]の交差点、線路の向かい側が泰安旧駅方面、草茫々で最早歩けない、又、筆者の背中に八号隧道北側出入口がある。下掲左写真はその八号隧道、右写真は隧道上部に掛かる台湾総督中川健蔵揮毫の「大安洞」の額、「安洞」の部分は故意に削り取られている。同隧道南側にも同じ額が掛かると謂う。
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2016年06月11日

『水の古道』后里[土/川]−6

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【写真説明】左写真は泰安鉄道文化園区に抱合される「隘勇古道」出入口の様子。同写真左側に立つ鉄道信号灯を模した文化園区の標示柱が見える。左二枚目写真左側は隘勇古道石段、中央奥の白い案内板は台中県文化局のものだが、最早読めない。その右横に「大正五年総督府」石碑が佇む。作りが荒く損傷が激しく、「総督府」の文字(右二枚目写真)は殆ど読めない。石碑裏側の「大正五年」(右写真)はまだ読める。セメントと小石、それに鉄筋を加え製作されている。三角点に代表される台湾総督府時代の官製石柱は本ブログでも時折紹介するが、岩石から丸ごと切り出され製作されているので、斯様な仕様の石柱には驚いた。
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2016年06月18日

『水の古道』后里[土/川]−7

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【写真説明】泰安旧駅構内に駄菓子屋風の茶店があり、そこに明らかに子供の気を引く為の意匠の飲料水が並べられていた。その飲料水の製造元は左写真、更に詳しい解説カードが中央写真、その解説カードの右側の拡大写真が右写真である。要するに飲料水とは「ラムネ」なのだが、台湾国語では「弾珠汽水」、「弾」とはあの独特なラムネ瓶の括れた部分に嵌め込まれた目玉のことだ。面白いと思ったのは、「大補内」の漢字を充て「ダブル」と読ませていることだ。しかもカタカナ書きである。
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2018年12月08日

『水の古道』后里[土/川]−8

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【写真説明】「水の古道」投稿を継続する。台湾鉄道旧泰安駅周辺の后里圳第1回踏査は2016年5月、再踏査は同年8月である。再訪の動機は二つ、一つは、『后里[土/川]−4』で紹介した后里圳渡槽(水橋)を、その直下の川底(左写真)迄に降り立ち谷側から精緻にして且つ豪華な水橋全容(右写真)を見ること。二つ目は『后里[土/川]−6』で紹介した、「隘勇古道」を実際歩いて見ることである。副産物も色々あり。前者に関しては、初めて訪れた際は川底への降り口を見付けられなかったが、再訪した際には直ぐに判った。水橋を渡る水を一部水橋脇へ落とせる構造(左写真)が敷設されており、川底へ安全に降りれるような階段組み、少し拍子抜けした。(続く)
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2018年12月15日

『水の古道』后里[土/川]−9

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【写真説明】「隘勇古道」は初回探訪時は古道入口の「大正五年総督府」石碑を確認したのみ、雨が降っていたこともあり、実際歩くのは止めた。再訪時は歩いてみたが、撮影した写真データに依るとほんの数分で歩き通せて仕舞い、全長数百メートル、こちらも拍子抜けしたのだが、実は大いに喜んだ。蚊の猛攻撃に晒されたからだ。お陰で(?)当時撮影した写真はブレたものが多い(左写真)。途中、古い案内板二枚あり、古道開鑿時の艱難辛苦の物語が記されている。出口(中央写真)はアスファルト道路に降り立ち、そこを横断した以降も古道は如光山寺迄伸びていることになっており(右写真)、実際歩いたがどうも騙された気分になった。要は真面目に歩く物好きは極僅かと云うことだ。手元の『台灣全覧』で確認すると「愛勇古道」と記載されている。(続く)
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2018年12月22日

『水の古道』后里[土/川]−10

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【写真説明】后里圳と言うより旧泰安駅を再訪した理由として二つ、后里圳渡槽と隘勇古道を挙げたが、二回目の探訪の折り、駅周辺を「水の古道」の観点から目を凝らしていたら色々面白い物にぶつかった。一つは泰安鉄道文化園区の北東側にある台中農田水利会のビル横に建つ日本式家屋(左写真)、この家屋に対する案内板なりを写真に納めていないので、少なくとも当時は準備中だったかもしれない。台中農田水利会本部ビルが斯様な片田舎にあるわけがないので、日本時代の后里水利組合の跡地と考えられる。台湾の水利組合は1922年(大正11年)に整備され、戦後台中水利会は、五つの地区の水利組合を統合する。現在台湾には全国17の農田水利会があるが、すべて日本時代の水利組合が前身である。その為、日本時代の建屋遺構をそのまま使い続けているか、改装再建している水利会は少なくない。その近くに、后里圳の支圳と思しき水路に架かった小さな橋、大安橋(中央、右写真)を見付けた。日本時代の遺構であることは、大安が泰安に改められたのは戦後であることからも判る。『台灣全覧』では七公圳の記載あり、同じく大安渓から水を引き込んでいる。(続く)
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2018年12月29日

『水の古道』后里[土/川]−11

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【写真説明】后里圳の水は最後は何処に流れ込むかと云うと、地下水路を経て、旧泰安駅西側、直線距離で2キロぐらいの場所にある水力発電所―現在の正式名称は「台湾電力公司、大甲渓発電廠、后里発電機組」―である。前身は台湾電力株式会社、后里発電所であり、ウィキペディア中文版にも詳しい解説がある。1908年(明治41年)台湾総督府に依り企画、設計、施工開始、1911年(明治44年)竣工、1919年(大正8年)台湾電力株式会社の管理下へ。。。驚くべきは、竣工当時の発電機とタービン(どちらもドイツ製;シーメンス/フォイト)が商業運転中であること。発電所外観(左写真、但し最上部の緑色の屋根を除く)も竣工当時のまま、発電所後部の水管も然り(中央、右写真)。構内見学は簡単に許可される筈と高を括っていたら、見事に謝絶された。今回掲載した写真は構外から撮影したもの。十分である。后里発電所こそは、后里圳の画竜点睛なのだ。(続く)
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2019年01月05日

『水の古道』后里[土/川]−12

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【写真説明】「后里圳」カテゴリーの最後を「鉄の道」で締めて新年の挨拶に替えたい。日本時代起工の台湾鉄道旧山線大安渓鉄橋(左、中央写真)は、泰安鉄道文化園区の定番アトラクションである。旧泰安駅から線路伝いに歩いて行けるし、高所恐怖症で無ければ、鉄柵を乗り越え鉄橋を歩きながら、先人の偉業に思い至すことも出来る。鉄橋上から望む大安渓の河原の拡がりは絶景だ(右写真)。1903年(明治36年)起工、1908年(明治41年)竣工、「下承式曲弦桁梁」構造(下路式曲弦ワーレントラス鋼橋:通称「花梁」)、全長637メートル、1935年(昭和10年)の新竹台中大地震、戦後1963年の改建を経るが外観は日本時代の竣工時と殆ど変わっていないと謂われる。台中市指定古蹟。同構造の古蹟指定鉄橋は、他に大甲渓鉄橋(大甲渓:台中市豊原区/后里区)、下淡水鉄橋(高屏渓:高雄市/屏東市)の二架のみ。
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