2018年06月09日

出磺坑古道(法雲寺古道)−1

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【写真説明】左写真は、中油の敷地を巻くように走る一般車道脇に立つ架橋記念碑「永安橋」、「出磺坑永安橋復造喜助芳名」。「昭和八年」の銘あり。同写真奥に快速公路72号線の高架橋が映る。中央写真は明らかに日本時代建立の家屋。独特の棟上げだが当初何だったかは想像が付かない。右写真は、中油を見下ろすような形で立つ出磺坑城隍廟、同地に神社が建っていたのではないかと云う雰囲気が漂うが、確証は無し。後方に写るのは、苗栗県公館郷と同大湖郷の郷堺に聳える尖山(507メートル)に連なる山塊。
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2018年06月16日

出磺坑古道(法雲寺古道)−2

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【写真説明】左写真は出磺坑古道即ち陸軍歩道北側入口に立つ案内板。ネット上の紹介では全長1.8キロメートル、中油南側の山と山との鞍部を乗り越して法雲禅寺まで下る山道が古道、陸軍歩道に相当する。中央写真は旧越嶺道の原型を留めていると思われる段。この段を登り切ると、越嶺部に掛かろうとする場所に胡天宮と云う廟があり、当日は樹木の伐採作業をやっていた。
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2018年06月23日

出磺坑古道(法雲寺古道)−3

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【写真説明】地元には「出磺坑古道」の表示は案内板にも指導標にも無い。当該越嶺古道は陸軍歩道の最高点と思われる稜線直下の胡天宮までは指導標も里程標も敷設されておらず、それを過ぎると、「法雲寺古道」の案内板、指導標、里程標が出て来る(左写真)。中央、並びに右写真は法雲寺古道の景観。五月末の撮影なので草深いのは当然かもしれないが、要はハイカーが少ないのだ。胡天宮から実際の越嶺部までは暫く登りがあり、そこから法雲寺に向かい下りに掛かるのであるが、越嶺部は十字路になっており古道とは別に稜線伝いに小径があり、東西の低山への登山道になっていたが、足を延ばしてみる体力的な余裕無し。(続く)
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2018年06月30日

出磺坑古道(法雲寺古道)−4

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【写真説明】越嶺部から法雲寺までは下り一方の山道で、古道終点(左写真)は、日光を正面から浴びていたこともあり、碧色に輝く屋根瓦を戴く豪華な構えの法雲禅寺(中央写真)の裏側だった。木陰の中にハイカー、参拝者の為の休憩所が設けられている。当日の古道探索の際にはこの寺院が日本時代の創建であると云う予備知識があったものと思われる。従って、寺院本殿を正面から写した写真が三葉もある。現在の伽藍が戦後の再建であるのはその真新しさで判るのだが、日本時代の面影が無いかどうか?探してみた。左写真の階段は当時のままのように思われた。
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2018年07月07日

出磺坑古道(法雲寺古道)−5

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【写真説明】左写真は出磺坑古道終点、法雲禅寺境内に保存されている「大湖開闢紀念」碑。日本時代の建立であるが、漢人に依る大湖地区開拓顕彰碑。中央写真は碑本体正面、右写真は碑文の最終部分で「大正」を「民国」で改竄してある。
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