2020年08月29日

出関古道−1

Kodou-2294.jpg Kodou-2295.jpg Kodou-2296.jpg
【写真説明】左写真は苗栗県中でも著名と思われる聖衡宮、台湾小百岳の一座関刀山への登山口への格好の道標(みちしるべ)である。出関古道は、この聖衡宮がその脇に鎮座する苗栗県県道130号線で交差、便宜上東西段に分けられているが、中央写真は県道脇の東段起点附近の賑わい。右写真は、逆に出関古道西段、即ち関刀山登山道入口である。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月05日

出関古道−2

Kodou-2297.jpg Kodou-2298.jpg Kodou-2299.jpg
【写真説明】今回と次回投稿は出関古道西段(聖関段)、即ち関刀山頂上に至る迄の古道景観を殆ど写真のみで紹介したい。今回は当該古道前半、次回は後半部と大まかに分けることとし、時間、距離等の細かい数字は省くことにする。古道と呼ぶにしろ、登山道と呼ぶにしろ、この段は筆者にとっては非常に気持ちの良い景観の連続だっただけに大いに満足した。上段左写真は、関刀山への実質的な登山口、丁度階段の修復作業中だった。中央写真は、出関古道東西段の分岐点附近、即ち筆者が出発した関刀山登山口方向を振り返ったもの、同写真右奥に聖衡宮が見えている。右写真は、更に高度を稼ぎ中央写真と同方向を望んだもの。前回の記事で紹介した無基点峰の雲洞山とその平たい頂上稜線上に眺望台が覗いている。この眺望台下が出関古道東段の実質的な起点となっている。詰り出関古道西段から東段方向を望んでいることになる。下段の三枚は西段前半部の古道の光景。下段右写真は古道が関刀山に取り付く鞍部附近で産業道路と交錯している場所、右側が取り付き地点、左側の階段は古道上に元々設えられていたものか?登山道として整備された時付けられたものか?は判然とせず。筆者としては前者だと思いたいのだが。(続く)
Kodou-2300.jpg Kodou-2301.jpg Kodou-2302.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月12日

出関古道−3

Kodou-2303.jpg Kodou-2304.jpg Kodou-2305.jpg
【写真説明】出関古道西段の後半部分の景観。この段の古道の魅力は雑多な植相を楽しめることだ。上段左写真では判り難いのだが、古道両側の木立は古い蜜柑の木である。とうの昔に打ち捨てられたものだが、古道沿線の嘗ての畑作の名残である。中央写真は関刀山山頂山塊を撮影したものだが、古道西段沿線からはこの程度の眺望が精々である。雲洞山頂上からの関刀山及び稜線の写真は後日紹介する。右写真は茅藪の中を潜り抜けるような感触の一段。下掲左写真は野生と思われるバナナ畑を過ぎる。中央写真は関刀山頂下の竹林、野生と謂うより筍栽培目的に植え込んだもののはずだが、美しい。右写真は関刀山頂直下、前回投稿中の下段右側に写る石段と同様の石段だが、古道本来のものかどうか?(続く)
Kodou-2306.jpg Kodou-2307.jpg Kodou-2308-r.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月19日

出関古道−4

Kodou-2309.jpg Kodou-2311.jpg Kodou-2312.jpg
【写真説明】左写真は出関古道西段を登り切った際に最初に目にする関刀山頂上の広々とした景観、三角点は同写真奥に埋定されており見えない。中央写真は古道東西段の分岐点方向、即ち関刀山登山道出入口方面に鎮座する雲洞山を望んだ。右写真は地籍三等三角点、筆者の手元にある『台灣全覧』には括弧付きで(「挿旗[山|東]」)の表記もあり、どちらが点名(点の記に記載された基点名称)なのか?は判然とせず。三角点は左写真奥のもう一つの広場脇に埋定されており、その三角点を含む▲パノラマ写真、同写真に写るカップルが居る場所が三角点。同写真に写るコンクリート構造物の残骸が元々何であったのか?は想像が付かず。いずれにしても、平坦な山の頂上はこの上無く気持ちが良い。関刀山頂上は絶品である。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月26日

出関古道−5

【写真説明】出関古道の最初の紹介記事の中で、古道東西段の分岐点を一応苗栗県県道130号線上としたが、実際古道東段の出入口は雲洞山最高所の眺望台(下掲写真)北側にある。県道からこの眺望台に至る迄は、「大湖薑麻園休阡_業区」(通称「薑麻園」)が横たわり遊歩道が付けられているので、ハイカーの好みによりコースを選べるのだが、総じて退屈な遊歩道だ。但し、眺望台からの眺望は先の投稿で紹介したように、腕に自信のあるカメラマンが群がる様が保証してくれている。その眺望台から撮影した写真二枚と聖衡宮横の民宿二階から撮影した写真を以下に掲載しておく。■マークをクリックして欲しい:

眺望台から南西方向、関刀山とその稜線。この方向からだと大人しい山勢である。
眺望台から北東方向、即ち出関古道東段を望んだものだが、実際古道がどう延びているのか?までは判らない。同写真左奥に写る小山は、古道東段のマイルストーンの一つ、新百二份山(標高856b、ネット上で「菜寿凸山」の別称を見付けた)。
聖衡宮横の民宿二階から撮影した南東方向に望む雪山山脈と雲海。2019年11月3日、朝約6時。(続く)

Kodou-2313.jpg


posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月03日

出関古道−6

Kodou-2317.jpg Kodou-2318.jpg Kodou-2319.jpg
【写真説明】本古道の最初の投稿記事にて、古道東段(十份[山|東]段)4`、西段(聖関段)2.5`、現在歩道として整備されている部分の総延長は従って6.5`。この東段4.5`の距離は、どうも県道130号線を起点とし、雲洞山頂上の眺望台迄の距離も含めているようで、東段の実質的出入口は眺望台の北側に口を開けている(上掲写真)。そこからだと、東段の距離は約3`、筆者は時間の関係で凡そ三分の一だけを歩いてみた。古道入口から暫くの間は、古道然としており筆者を喜ばせてくれた(下掲左写真)が、直ぐに古道修復工事に往き当たった(下掲中央・右写真)。(続く)。
Kodou-2320.jpg Kodou-2321.jpg Kodou-2322.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月10日

出関古道−7

Kodou-2323.jpg Kodou-2324.jpg Kodou-2325.jpg Kodou-2326.jpg
【写真説明】雲洞山眺望台から約700b地点にある東屋「百壽亭」と、その脇にまだ立ち続ける新百二份山(847b)の三角点、正式には圖根點(地籍四等三角点)である。台湾ネット上に、この山名の別称として「菜寿凸」の表記を見付けたが、こちらが点名かもしれない。余談だが、地籍三角点の埋定、測量は、一等三角点に代表される陸測三角点のそれより早い。第三代台湾総督児玉源太郎治下、民政長官後藤新平の指揮で、臨時土地調査局(左写真に銘有り)を設立、ドイツの測量方法に拠って、地籍(土地戸籍)調査目的で三角測量を開始したのが、明治31 年(1898 年)、明治38年(1905年)に測量を完了させている。当時埋定された三角点標石は約3,300基、その一基なのだが、どんなに新しく見積もっても優に百年を越えている。それにしても「新」を冠したこの山名は悩ましい。では旧名、即ち新無しの山名がありそうなものだが、手元の地図を眺める限り見当たらない。序でに山名の中の「份」に言及しておく。安倍明義の『臺灣地名研究』に依ると、「份(分)」とは、「もともと脳灶(十灶を一份という)を設けた地に因んで名づけられたという。一説には份とは開拓した土地の股份(持分の意)の義であるともいわれている。」「脳灶」の読みは「のう・そう」、「灶」は「かまど」(竈)の意、樟脳の煮窯の事だと思う。尚、竈は「灶」の異体字である。要は附近は日本人が入り込む以前から樟脳精製の小屋が点在していたと謂う歴史点景だ。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月17日

出関古道−8

Kodou-2327.jpg Kodou-2328.jpg Kodou-2329.jpg
【写真説明】新百二份山を越えさらに古道を北上すると産業道路、農道が一条の古道と数箇所で交差している部分もあり、台湾電力に依る工事現場とか意味不明の構造物と相まみえたりし、興が削がれると言えないこともないが、印象的だったのは、眼前一杯に広がった生姜畑であった。このカテゴリーの最初の投稿記事で紹介したように、この地は生姜の一大(?)生産地との触れ込みなので、ちょっと驚いたのである。実は霧が張り出して来て良い塩梅になったのだ。畑の西端は古道がそのまま農道なのだが、この部分の南側出入口(上掲写真)と北側(下掲写真)のそれを並べた。栽培状況が判るように、このパノラマ写真を添えた。(続く)
Kodou-2330.jpg Kodou-2331.jpg Kodou-2332.jpg

posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月24日

出関古道−9

Kodou-2334.jpg Kodou-2335.jpg Kodou-2336.jpg
【写真説明】出関古道東段、十份[山|東]段の北側起点の点景三枚。左写真は、台3線から自動車道である郷道60号線を西側に辿った末に往き当たる同道の最高点にある古道との分岐点。中央写真はその峠の自動車脇の意匠。この意匠の中心は、伝統様式に拠る「茶亭」、日本風に謂えば峠の茶屋である。右写真はその峠の茶屋。完全復元なのか修復なのか?は筆者は判断出来ず。但し、大正年間の建立である。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月31日

出関古道−10

Kodou-2337.jpg Kodou-2338.jpg Kodou-2339.jpg
【写真説明】私事で恐縮であるが、昨日は筆者の62回目の誕生日だった。このブログ、何時まで書き続け、どう結末を付けるのか?考えあぐねる日々が続く。。。出関古道の周辺点景として後二箇所だけ紹介を続ける。出関古道東段北側起点を確認する為に、台3線から西側に郷道60号線を4`程辿ったと紹介した。この道中、往路か復路かは忘れたが、古ぼけた附近の名所案内板を見付け、そこに日本時代古蹟として石橋と駐在所が書き込まれていた。石橋の方は見付けられず。駐在所跡の方も殆ど諦め掛けていたが、復路、台3号線との三叉路まで降りて来た時、その交差点越し左手に明らかにそれらしい遺構が見えた。郷道60線を基準にすれば台3線の僅かに北側である。その時はそのまま高雄に戻るべく台3線を南側に下り遣り過ごした。後日、同じ苗栗県の一座に登った際、現地を時間を掛けて巡った。現在の苗栗県大湖郷南湖村南湖派出所に隣接していた。派出所勤務の警官は驚くべきこと(?)にこの遺構に関し何の知見も無かった。しかも、この遺構部分は派出所の敷地外のプロパティーとの由。但し、台湾ネット上で、この遺構の紹介を見付けられず、筆者の拠り所は、郷道60号線上の案内板のみである。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月07日

出関古道−11

Kodou-2341.jpg Kodou-2340.jpg yn004.jpg
【写真説明】通称「南湖遥拝所」は、南湖派出所より台3号線を僅か(恐らく100b程度)に北上、東側に登る自動車道を登り切った辺りの平坦地にあったはずだ。左・中央写真はその台3線との三叉路とその地の字(あざ)、右写真は日本時代建立の「遥拝所建設記念碑」、但し建設日、碑建立日の刻字無し(或いは故意に剥落?)。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 出関古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする