2021年08月21日

《嘉義県の古道》竹崎三大古道−独立山古道

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【写真説明】林務局が独立山国家歩道(嘉義県竹崎郷公所発行の絵地図)と指定している歩道は、三区域に分けられており、阿里山森林鉄道樟脳寮駅と独立山駅とを結ぶ区間を独立山古道、独立山駅から更に山腹を北側に奉天岩と呼ばれる廟を経て更に北へと高度を稼ぐ区間を紅南坑古道、これら二つの分岐点東側、独立山山頂を含む区域に設けられた歩道を独立山歩道として古道と区別しているが、ハイカーにとってはこれらの区別は重要とは思えない。左写真は独立山山頂、2003年の撮影だが、無基点峰であることも手伝い非常に印象の乏しい山頂、山頂まで辿り着いたことも忘れていた。2017年撮影の中央・右写真は独立山駅、阿里山森林鉄道の駅の中で最も人口に膾炙した駅の一つだと思う。
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2021年08月28日

《嘉義県の古道》竹崎三大古道−塘湖古道−1

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【写真説明】左写真は嘉義県郷道120号線上にある塘湖古道の指導標、その古さから地元では人口に膾炙した古道であることが察せられる。同写真中の緑の指導標上の「水道」は地名であるが、文字通り日本語の水道である。中央写真は古道途中にある福建坪の集落のメインストリート上の一家屋、謂れがありそうな地名だが、日本時代の地図にはこの地名の記載は無い。右写真は塘湖古道として林務局が整備した最上段の入口。尚、塘湖の「湖」とは池の意味では無く、筆者の記憶が正しければ、窪地、山中の平坦部を指す台湾語音訳のはずだ。
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2021年09月04日

《嘉義県の古道》竹崎三大古道−塘湖古道−2

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【写真説明】牛稠渓沿いの平坦地である阿抜泉から急坂を登り詰めた場所になる塘湖集落の三景。左写真は集落内の一家屋。中央写真は塘湖山頂上下面の農道、頂上への道標である布条(マーカー)が小枝から下がっている。右写真は塘湖山三角点(地籍四等)だが地形上の最高点からかなり下った農道脇にあり探すのに苦労した。しかも三角点も頭が殆ど土中に埋まっていた。頂上一帯に茶畑が拡がっていた。以上三枚に写る道、いづれが古道かは特定し辛い。(続く)
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2021年09月11日

《嘉義県の古道》竹崎三大古道−番外:「水道」

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【写真説明】前回投稿で三大古道の本来の共通起点であろうと筆者が考察する「水道」に関し少し触れることにする。現在の正式地名は嘉義県竹崎郷龍山村水道頭である。妻の実家から歩いて行ける距離である。ここには所謂老街がある。手元の地図帳には「水道頭老街」との記載がある。又、ネット上で「水道檜木老街」と云う呼称を目にした。通常老街という場合、市街地の中の繁華街に多く、日本時代の建築物が中心になるが、水道老街は延長百b程の県道166線脇の路地のイメージだ。その老街の一本道、つい最近まで歩いたことが無かったし、水道が冠せられた地名であることを知ったのは更に新しい。上掲の三枚は「水道」が実際に確認出来るバス停(左写真)、中央・右写真は老街の中で見掛けた「水道」の文字。下掲左写真は老街を西側入口から望んだもの。中央写真は老街東側入口から望んだ。同写真に写る土手は日本時代建造の牛稠渓左岸の堤防跡だと思われる。右写真は台湾自来水公司の竹崎浄水場(正式には「第五区管理処竹崎営運所」)脇に設営された阿里山国家風景区に属する文峰ビジターセンター、同写真に大きく写る山は大坑山(標高1,026b)、以前は良く登られていたらしいが、今は登山道は荒れ果てている模様。この大坑山に付いては後の投稿の中で触れる予定。(続く)
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2021年09月18日

《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−1

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【写真説明】国家歩道系統の中では金獅村歩道と呼称される金獅古道は竹崎三大古道の中では最も良く整備され、又、古道足る香りが最も良く醸し出されている。歩道として整備されている部分の総延長は2`、この間の落差は600b弱、往復2〜2時間半程度の昇り降りになるので、ハイキングとしては一般ハイカーにも適当である。殊に、360度の視野を埋め尽くす茶畑の只中になる歩道の終点、金獅山(点名:芋蓁坑)頂上は標高927b、圧巻の展望である。現在の古道は途中五、六箇所で嘉義県道166号線と交差するのだが、このことは取りも直さず金獅古道は県道166号線に取って代わられた事を物語る。その県道は多数のヘアピンカーブを擁するのだが、最下段に属するその一つの脇に設えられた大振りの廟堂、廣福宮(上掲左・中央写真)が現代古道の起点となる。この廟堂を潜った先に国家歩道ゼロの里程標が立っている(右写真)。そこから始まる古道部分は下掲載写真のように古道の雰囲気を湛えるように良く工夫されている。(続く)
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2021年09月25日

《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−2

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【写真説明】今回は古道の香り高き地点を多少大判の写真で紹介する。(続く)
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2021年10月02日

《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−3

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【写真説明】金獅古道初回で、現代古道は県道と複数箇所で交差すると書いたが、その複数箇所の中から三箇所を選んだ。右写真は最上段の交差箇所でここから本格的に金獅山頂上稜線への取り付きとなる。嘉義県道166号線は台湾で三番目に長い県道で、台湾海峡沿いの東石郷市街地を発し、阿里山山脈中の梅山郷瑞里まで登り詰め、総延長が80余`ある。山岳道路に変じる水道頭から瑞里の区間は特に瑞水公路と呼ばれている。試しに、大正13年(1924年)発行の5万分の一地形図とGoogle Mapを重ね合わせて、現代自動車道と古道の交差状態をみてみた。一つ気付いたのは現在国家歩道として整備された古道はどうも地形図上の旧道(緑色)から大きく外れていることである。先ず金獅山頂上を通過していないのだ。又、運搬用のケーブル軌道も書き込まれており、この軌道跡が現在の歩道に近い。。。という具合に興味は尽き無い。(続く)
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2021年10月09日

《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−4

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【写真説明】金獅山登頂のみが目的であれば古道が県道と最後に交差する部分から登り始めれば良いわけなのだが、その下段の交差地点も同じで、駐車スペースが無いのが苦しいところだ。結局、古道入口の廣福宮の駐車場が最も簡便と云うことになる。前回投稿記事の左写真に写っているように、最上段の交差点から山頂までの距離は僅かに600b、左写真は途中の景観、中央写真は頂上直下、右写真は頂上のベンチと三角点頭が辛うじて確認出来る様。金獅古道最初の稿で紹介した大パノラマはここに埋め込んでおいた。同写真右端の山が大坑山(標高1,026b、地籍三等)である。(終り)
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2021年10月16日

《嘉義県の古道》竹崎三大古道−金獅古道−5(金獅寮造紙寮)

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【写真説明】蛇行を繰り返す県道166号線上には幾つもショートカット用の道路が付けられているがあくまで地元民のものである。金獅古道の廣福宮からもその一つが設けられているが、廟堂の駐車場から少しだけ入り込んだ場所に、古紙工房跡が公園として整備され一般人に開放されている。左写真にあるように、二枚の説明板があり、右側の案内板は「金獅寮−林家造紙寮(製紙工房)」と題し保存遺構の概観、左側は具体的な古紙製造方法が紹介されている。以下は右側の概観説明板の全訳である(原文は中文のみ):

「清末、中華民国成立初期は竹を原料とした産業が盛んになり、桂竹(台湾桂竹、タイワンマダケ)を利用した製紙業が本村の主要な生業(なりわい)となった。ここで製造される紙は粗紙であり、主な用途は祭祀用金子(きんす)や包装紙であり、全盛期には五十軒近くの製紙工房があった。1970年代になると手工業であるこの製紙法は、機械化に依る安価な大量生産には敵うべくもなく、伝統産業として没落してしまった。

林家の製紙工房は本村で最も完全に保存されている。一年生の竹が葉を付ける前に4.6尺の長さに切り揃えられ、更に細かく縦割りにした竹を束ねた上で、消石灰を加え「竹礐仔」(漬竹石槽)に四箇月浸けられ、その後更に真水に交換、竹の繊維が十分に柔らかくなったものを次の製紙工程で用いた。」

左側説明板は、製紙八工程を各々漢字一字で順に「輾」、「攪」、「入」、「撈」、「壓」、「開」、「晒」、「成」と代表させこれら製紙八工程の詳細を紹介している。左写真の歯車は第一工程「輾」に、中央写真は「攪」用か?(終り)
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2021年10月23日

《嘉義県の古道》大坑山古道(竹崎郷)

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【写真説明】左写真は大坑古道の入口。場所に関してはこのダイヤグラムを参照にして欲しい。中央写真は古道途中から大坑山を望んだ。今はマニアックなハイカーしか登らない。右は古道最上段の凌雲巌の境内。

台湾に大坑、或いは大坑山と云う地名は多い。「坑」は台湾語音訳で、河の傍、即ち谷を意味するようだ。この投稿のタイトルを大坑古道としたが通常は大坑山歩道という表記が一般的で、竹崎市街地にも古びた道路標識が良く目に付くので、昔から人口に膾炙しているのだと思う。にも拘らず筆者が現地に赴いたのは今年の春節になってからで、余り気乗りしなかったのは本当の意味での古道かどうか甚だ疑問だったからだ。ところが、この稿を起こすに当たりネットを渉猟していると、大坑山歩道を整備した際の記事があり、「数ある竹崎地区の古道の中でも塘湖古道と大坑古道が最も古い」と云う紹介に当たった。他方、日本時代の地形図を見てみると、相当する位置に道路が見当たらない。

いずれにしても、現在この地をポピュラーな観光スポットとしているのは、2,763段の階段である。これが歩道そのものである。竹崎郷文峰村大坑庄王厝の小村から凌雲巌と呼ばれる廟堂までを繋いでいる約2`の階段である。その落差600b、健脚だと40分程度で登り切れるという紹介がサイト上では目立つが、落差は実際その半分も無い。さもなくば40分では登り切れない。廟堂の創建が1964年、従って歩道は古道と言うより王厝からのショートカットと云う性格が強い。自動車道も付いており、同じ区間延々6`辿る必要がある。3,000段弱の階段と云うのは運動不足の方には堪えると思う。筆者にとり発見は先の投稿でも記したが、竹崎地区の古(いにしえ)の開拓民の艱難辛苦だ。今は舗装された自動車道がこれでもかこれでもかと云う具合に奥迄で入り込んでいるのだが、ぐんぐん高度を稼ぎながら狭く谷に張り出し、筆者の運転技術では大いに問題有りだ。(終り)


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2021年10月30日

《嘉義県の古道》水水古道(竹崎郷)

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【写真説明】今日は筆者の63回目の誕生日である。手元の市販地図を眺めていたら、大坑山古道の更に東側に「水水古道」と云う表記があるのに気付いた。地図を見る限り、水道から凌雲巌へ辿る産業道路途中からその古道の西側起点に入り込めそうだった。その産業道路との三叉路には凌雲巌と刻まれた石碑が建っている(左写真)のだが、そこから水水古道起点まで通じていると思われる車道(同写真右側)は余りにも狭い。そこで古道東側起点である阿里山森林鉄道、水社寮駅(右写真)からのアクセスが便利そうだったので、日を改めて出直すことにした。水社寮駅は前稿で紹介した獨立山駅よりも更に阿里山側の駅である。日本時代は水車寮だった。水社寮駅迄辿り着けば、水水古道起点は自明であろうと予想していたが、然にあらず。替わりに、四大天王山歩道(中央写真)に出食わした。当初、この歩道イコール水水古道ではないかと考えていたが、直ぐに異なる山道であることが判った。先の歩道は、四天王山(1,458b)、知鳥山(1,445b)、青園山(1,437b)、篤鼻山(1,422b)の4座の稜線を貫き、阿里山森林鉄道のもう一つ嘉義側の交力坪駅とを結んでいる。これら四座を四大天王山と総称しているようにも見受けられるが、四天王も四大天も同義語だ。日本では前者が一般的、台湾では後者だと思う。東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天である。埋め込んだ写真は凌雲巌に至る車道上に掛かった仁聡橋の袂から撮影したもの。恐らく快適な縦走コースと想像されるが、時間の関係で四天王山頂上まで至り引き返した。水水古道と四大天王山とは水社寮歩道と駅から程遠からぬ所で交差しているはずなのだが、交差点は判然とせず。ところで、「水水」とは、先に竹崎三大古道の番外編として紹介した水道と水社寮の頭(かしら)を取り命名したものだ。詰り、水道から大坑山古道に繋がる現在の産業道路はそのまま古道ということになる。(終り)
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2021年11月06日

《嘉義県の古道》安靖古道(梅山郷)

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【写真説明】梅山郷は竹崎郷の北隣である。この古道も筆者の手元の市販地図帳を眺めている時に眼に留まった。その赤線で示された古道の殆どが嘉義県郷道115線に沿っており山中に入り込んだ古道部は極僅かであるのが見て取れる。竹崎が文字通り筍の産地であるように、梅山も梅の産地である。竹崎市街地から郷道115線を東側に進んだ先にある嘉義県梅山郷安靖村は所謂ド田舎である。鉄筋コンクリートの現代建築物である安靖社区活動中心(上掲左写真)や安靖国民小学校(正式には大南国小安靖分校)が全く場違いに思える。郷道上に「安靖古道」の指導標は多い(上掲右写真)のだが、結局古道足る歩道の起点には辿り着けず。下掲載写真は古道と思われる車道上の景観。序でに加えると、古道の由来に就いては分からず仕舞い。尚、地図帳には安靖古道から枝分かれする柿仔寮古道の標記もあるのだが、指導標には出会えず。(終り)

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2021年11月13日

《嘉義県の古道》古梅古道(梅山郷)

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【写真説明】前回投稿中の上掲右写真には「安靖古道」と「古梅古道」が並列して標記してある。郷道115線上の複数箇所で目撃した。但し、この古道は筆者の手元の地図帳に記載は無い。安靖古道と同じく、車道の指導標を辿っただけで、古道らしき場所に辿り着けず。左写真は古梅古道の指導標の一つ。中央写真は恐らく古梅古道を歩くハイカーの為に設けられたガルボと思われるが、ハイカーが頻繁に立ち寄っているとは思えない。天井の梅のマークがユニークだ。右写真は左二枚の撮影地点付近の車道。(終り)
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2021年11月20日

《嘉義県の古道》半天古道(梅山郷)

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【写真説明】梅山市街地から東側阿里山方面へ至る車道の一つに嘉義県県道162甲線がある。この道路もそうだが、阿里山山脈の山襞にへばり付く特定の集落とそれらを繋ぐ自動車道を地理的に説明するのは難しい。162甲線は要は梅山市街地と途中半天村を通過し、阿里山山脈中でも著名な風景区に指定されている太平村市街地とを結んでおり、この間県道の延長は約12`、落差が千b程ある。現代の自動車道はカーブを繰り返しながら高度を稼ぐのであるが、「太平三十六弯」(上段左写真)と呼ばれ、カーブ毎に1〜36番迄の茶色の標識が立てられている。半天古道とはこの大規模な九十九折(つづらおり)を突き抜けていくわけだが、別名「汗路古道」と謂われるぐらいに急坂で、半天とは梅山市街地から嘗て半日掛けて辿り着くマイルストーンの地という意味だと思われ、幾つか半天の名を冠した集落が点在する。代表的な地名は半天寮である。今現在は第3弯を最下段起点として第28弯(上段右写真)迄を半天古道、それ以降36弯を経て太平村市街地迄至る歩道を太平古道と称している。半天古道部の総延長は2`ということだ(上段中央写真)だが、とにかく基本は真っ直ぐに上へ上へと階段を登るだけなので、筆者は第17弯に設けられた展望台迄足を延ばしそのまま引き返して来た。車を一番下に停め一番上迄詰めた後引き返して来る勇気は出なかった。下段左写真のように人工スレートへの置き換えが進んでいる(右脇の石組は土地公)ので古撲な雰囲気は消失している。唯一の例外は、古道途中の半天寮村(下段中央写真、同村を代表する鎮天宮)で土地の人に紹介された造紙寮(製紙工房、下段右写真)跡で、その遺構の中に「昭和」の文字を見付けたことだった。(続く)
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2021年11月27日

《嘉義県の古道》半天古道(梅山郷):「嘉義梅山乾隆民番界碑」

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【写真説明】半天古道は殊更に興味を持っていた訳ではないが、何処かで「民番界碑」のことを目にし是非見たいものだと冀っていた。第32弯から県道を離れ然る廟堂へと繋がる道を入り込むと赤地に「民番界碑」と白抜きされた標示板が立っていた(左写真)。そこから山側に入り込むとビニールに碑文をコピーした幟(下掲写真)が掛かっていたが、実際の碑が何処にあるのか俄かには判じ難かった。訪れる人は明らかに少ないと見えて竹が勝手放題に延びている。碑と思しきものは大きな岩であり(中央写真)、碑文は殆ど識別出来ない(右写真)。台湾のサイトで「民番界碑」で検索すると確実にヒットするが、この単語は通称だ。2014年に嘉義県指定古蹟となっているが、筆者が訪ねたのはその二年後ぐらいだ。文化資産局登録名は「嚴禁匠民越界私墾碑」、ウィキペディアには別称例として「梅子坑生番界碑」との付記があるが、観光用語としては、冒頭の件名に記した呼称が通例だ。筆者が興味を持ったのは開拓民である漢人と生番こと台湾原住民との抗争が実在したことを証明する生きた証だからだ。碑文には「乾隆參拾參年參月」(1768年)の銘がある。日本が台湾を領有することになる約130年以前である。碑文の中に「以大山脊分水爲界山前屬民山後屬番」と漢人開拓民と原住民との活動区域の線引きが極めて単純に定義されている。筆者が想像するに「大山脊分水」とは、雲林県と嘉義県の県境に聳える雲嘉大尖山(台湾小百岳、一等三角点、1,305b)に繋がる稜線(分水嶺)を指していると思う。その稜線の西側(山前)が漢人区、東側(山後)を原住民区として線引きしているということになる。(終り)
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2021年12月04日

《嘉義県の古道》半天古道(梅山郷):「徐徐品創」

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【写真説明】梅山は元々は梅仔坑と呼ばれていた地で、大正9年(1920年)の地方制度大改革で台南州嘉義郡小梅(庄)となる。戦後、台南県嘉義区梅山郷、1950年に嘉義県梅山郷となり現在に至っている。小梅は所謂日式地名で大正9年の行政区画再編の際、台湾全土に持ち込まれたという歴史がある。枚挙に暇が無い。梅山市街地の観光名所と謂えば日本時代に開園した梅山公園ぐらいだと思うが、印象に乏しいのは日本時代の遺物が皆無だからだろう。但し、梅の季節は賑わう。そんな中で、昭和5年(1930年)に棟上げした嘉南水利組合の事務所跡を襲った食堂兼コーヒーハウスは直ぐ目に付いた。台湾各地に少なからず水利組合関連の建築物は残っていると思う。さもなくば、跡地に戦後の水利会のビルが建っているのが恒だ。(終り)
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2021年12月25日

《嘉義県の古道》出水坑古道−1

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【写真説明】上段は遊歩道としての出水坑歩道の景観。右写真は歩道終点であり、東側へ下り阿里山森林鉄道交力坪駅へ至る道と南側へ更に登山道へ繋がる道との三叉路になる。下段はその遊歩道部分の最下段(左写真)、最上段(中央写真)の各々に鎮座する土地公に加え、遊歩道部最上段からそのまま南側に繋がる廃棄された産業道路と四大天王山連峰への登山道とが交叉する場所にあるもう一基の土地公。これら三基の土地公は遊歩道として整備された出水坑歩道が実は出水坑古道と呼称されるべき証左であると思う。
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2022年01月01日

《嘉義県の古道》出水坑古道−2:篤鼻山・青園山(四大天王山連峰)

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【写真説明】先ず竹崎大坑山頂上から望む四大天王山連峰の大判の写真を埋め込んだ。「《嘉義県の古道》水水古道(竹崎郷)」で紹介したパノラマ写真と比較すると左側(北側)のピークが明瞭だ。出水坑古道から続く稜線で、篤鼻山、青園山北峰、青園山、知鳥山、四天王山と実際は五峰が並ぶ。篤鼻山山頂のみ三角点(地籍三等)が埋定されている。同写真の左側稜線の最初の鞍部から台地状の稜線間が出水坑歩道並びにそれに続く産業道路の部分に相当する。そこから登りの登山道となり連続する三座のピークが左側から篤鼻山、青園山北峰、青園山、そこから大きく切れ込んだ鞍部に続く右側二座が知鳥山と四天王山となる。ここに掲載した三枚の写真は筆者が先月登った三座各々の頂上の風景である。何れも眺望無し。

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2022年01月08日

《嘉義県の古道》大坑山古道−2:大坑山基点峰

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【写真説明】大坑山歩道の方が圧倒的に人口に膾炙しているので、大坑山をその歩道が整備されている山間部と誤解している向きは多いようだ。三角点を擁する大坑山については、これまでの嘉義県の古道を紹介する中で、既に数葉の写真を掲載して来た。良く目立つと云うのもあるが、すくっと立ち上がった三角錐の山容は筆者の好みである。そこで是非登ってみたいと云う思いは強かった。ところが、ネット上での山行記録が非常に少ない。しかもその内容から察するに、登山口迄の道路状況が劣悪でハイカーに敬遠されているのだと考えた。要は四輪駆動車が無ければ嘗ての登山口迄のアクセスは危険極まりないと云う意味である。そこで、阿里山一帯の道路事情に精通しているG博士の弟に筆者の社有車(カローラ)を運転して貰い、とにかくアスファルトかセメントで舗装されている限りは入り込んでみることにした。大坑山歩道方面、大坑山東側からのアクセスに挑戦した。結果は散々だった。最後は最近地場の農民の作業車さえ入り込んだことが無いのが明白な、車道両側から茅が多い被さり路面が見えない状態の中をそのまま運転、そこを潜り抜けると物置らしき一軒の家屋があるちょっとした広場状の場所に出た。そこで急に視界が開けた。山頂直下である。更にコンクリートの幅の広い登りの車道が付いている。頂上だ。頂上にはコンクリート製の「逍遥亭」と額した大振りの東屋が立つ(左写真)。山頂付近に東屋が立つのはネット上で探し出した登山記録に付された写真で見てはいたが、山頂に立っているとは思わなかった。草茫々の中に寂しく佇んでいるものとばかり予想していた。竹崎市街地の足下の眺望、その先の獨立山を含む阿里山方面の山塊。。。大坑山の位置からして、息を呑むような大パノラマも当然と云ったような風情だ。地籍三等三角点は逍遥亭の東側にある(中央写真)。筆者の車より大型の乗用車で乗り付け逍遥亭で喫茶を楽しむ一団と出会う。明らかに山登りとは無縁の出で立ちだ。筆者が辿って来た同じ産業道路を潜り抜けて来たとは思えない。詰り、山頂迄至る別の車道があるということだ。筆者の車体に無数の引っ掻き傷を作りながら抜けて来た道路は、物置小屋脇の小広場からそのまま広く快適な車道に替わり西側に下って往くのだが、暫く下るとピカピカのお寺が現れた。佛寶寺である(右写真)。ここから大坑山頂上へ至る登山用階段が付いているのを確認した。漸く合点が行ったのは、何故大坑山の山行記録が極端に少ないかということだ。普通車で山頂迄辿れる山に対しわざわざ山行記録をネット上で公開する意味は無いのだ。それでも筆者にしてみれば普通車も運転手の技術と勇気の持ちようでは四輪駆動と引けをとらないぐらいに悪路を走行可能と云う痛快な発見だった。(終り)
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