2023年11月11日

『水の古道』旗山圳と三大水橋ー西圓潭水橋(1)(美濃古道−16)

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【写真説明】ここに掲載した写真は、本投稿中で引用したウェブ版『公民新聞』の記事中、最初に紹介されている「西圓潭水橋」である。正確な行政区画上の位置は、高雄市旗山区永和里六張犂巷。先ずは当該水橋部分のグーグル・マップの航空写真を埋め込んだ。口隘渓を渡河している部分のみならず水路全体が旗山圳第ニ幹線と成る(第一幹線は別途紹介予定)。口隘渓も旗山圳も北から南に流れる。上段左写真は、六張犂の集落入口付近、同写真中央の水路は正に水橋を通り抜けて来た水が流れる第ニ幹線。中央写真は水橋を西側から見る。後段で台湾のニュース記事を引用しているが、そこに描かれているようなのどかな水橋の風景とはいかない。一応立入・横断禁止だ。右写真は水橋上部詳細、六連のコンクリート製直方体筐体を組み合わせ、逆V字型の橋脚で支える。下段左・中央写真は口隘渓の川底に降り撮影、水橋を下部から観察。後段のニュース記事「底部を水流方向に沿って階段状の鉄筋コンクリート製の大小の楕円柱で固定、流れを作り、強くて丈夫な構造を保持している」様。右写真は水橋をたった今渡って来た圳水、台湾の圳水はどこでもそうなのだが、清烈だ。ここも例外ではない。
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2023年12月02日

『水の古道』旗山圳:三大水橋−西圓潭水橋(2)(美濃古道−17)

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【写真説明】この最初の水橋紹介に関し一つの余談がある。どう云う切っ掛けがあったのかすっかり失念してしまったが、当時六張犂の住民と日本人が作った水路に関し話をしている。そしてお隣の内門区からの日本時代敷設の導水路が今でも現役だと説明を受けた。場所は六張犂巷を更に進み最後の人家を過ぎた所を右折(東進)し暫く行くと導水路のトンネルに出会うが日本人が作ったものだと謂う。このダイヤグラムの赤点線が筆者の進入ルート、本稿掲載写真上段三枚+下段左二枚参照。その通りに入り込んで行くと確かにトンネルに突き当たり、北側に水路を200b程進むと、水路の流れを二分している水門に突き当たり(下段右写真、筆者の撮影した構造物はグーグル・マップで確認出来る;前述のダイヤグラムの囲み写真参照)、それ以上は愈々軍管区(陸軍指揮部)となり入り込めないので引き返した。この謎の水路の取水口位置は六張犂の方に教えて頂いたような微かな印象があるがこれも思い出せず。いずれにせよ、この水路の日本時代との関わり合い、取水口位置、目的等々不明のまま。又、更に余談になるが、上段左写真後方に写る山は、大山(ダイサンと発音していたか?)、標高266b、日本時代の三角点が埋定されているはずだが未踏、これも筆者の宿題事項のままだ。(続く)
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2023年12月23日

『水の古道』旗山圳:三大水橋−頭林水橋(美濃古道−18)

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【写真説明】前々回の投稿で引用した『公民新聞』がリストアップした二番目の水橋は頭林水橋だ。水橋の高さ、延長は各々10b、56bの堂々とした構造物のはずで、グーグル・マップで俯瞰した西圓潭水橋の絵を掲載したように、大いに目立つはずなのだ。頭林水橋に対しても同じ作業を実行したのだが、見附け出せなかった。筆者が踏査した2019年当時、筆者の手元に地上10bの空間に渡槽が架けられていると云う情報を持ち併せていたかどうか?自信はないが、踏査区域−旗山市街地南部に隣接する雑踏地区。上段左・中央写真は今回の踏査区域内の旗山圳の風貌−は当時の手元情報に忠実だったと思う。筆者の利用している『台灣全覧』の縮尺は25,000分の一だが、頭林水橋の在処と思しき場所へのアクセスの手掛かりとして「過水橋」(水橋の意)と「魚市場舊址」(旧魚市場、右写真)が明記されている。それらのランドマークを含めたこのダイヤグラムは頭林水橋周辺の衛星写真で、ピンク実線部(=旗山圳)と点線部の交差地点に水橋があることになっている。確かに水橋は現場(下段三枚の写真)にあったが、公民新聞の報告にある水橋スペックに程遠いし、日本時代の遺物ではない。尚、右写真はミニ渡槽が掛けられている小川である。尚、前出のダイヤグラム上の右側、ピンク破線の終点は「旗山水利站」で『台灣全覧』からの転記だ。 ご覧のように大規模施設を抱合した地点なのだが、グーグル・マップ上に当該地点の記載はない。恐らく上水道施設かもしれないが、奇異の感じがある。テロ対策か?(続く)
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2024年01月13日

『水の古道』旗山圳:三大水橋−武鹿坑水橋(美濃古道−19)

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【写真説明】明けましておめでとうございます。今年も本ブログをご贔屓賜りますようお願い申し上げます。

さて本渡槽は旗山圳三大水橋の中で今現在最も人口に膾炙しており、グーグル・マップ上では高空水橋の名で観光名所として登録されているのは、灌漑水路としては特異な概観を呈しているからだが、幹線自動車道台29号線の直ぐ西側にその威容(異様)を晒している、詰り露出度が高いからだ。このような恐らく百年古蹟に成らんとするとは言い乍ら変哲も無いコンクリートの水路が話題になるのも武漢肺炎渦のお陰、要は暇人が増えたわけだ。何故ここに渡槽を掛けたのか?はパズル、素人には判らない。台29号線が武鹿渓を横断する地点には当然橋(武鹿橋)が架けられているが、その直ぐ西側には旧台29号線に架けられていた同名の橋がそのまま残してある。更にその西側にもう一本橋が架けられていたようで橋桁のみが残っており恐らく日本時代の武鹿橋かもしれない。この三本目の武鹿橋に並ぶように渡槽、即ち武鹿坑水橋が架けられている。この水橋を西側から望み且つ三本の武鹿橋との関係が判るようにグーグル・マップのストリートビューを調整したのがこのダイヤグラムだ。尚、グーグル・マップ上の渡槽位置は不正確、筆者の方で黄色4点でマーキングしたのが実際水橋が架かっている位置だ。

左写真は現存する旧武鹿橋より更に古い武鹿橋橋桁と水橋方面。中央写真は基本前出のダイヤグラムと同一方向から撮影。専門家が見れば構造上色々面白い箇所が見い出せると思うが、筆者の興味が向いたのはこの一箇所だけだったようだ。中央写真左側(武鹿渓北側、旗山方面、反対は高雄方面)に旗山圳の余剰水を落下させているように見えるがこれ以上の詮索は止めにする。いずれにせよ日本時代に組み込まれた仕組みだと思う。

三大水橋が旗山圳上の渡槽であると云う認識を2019年当時の集中踏査の際に持ち合わせていたかどうか?は実に怪しい。どのような媒体を通してその存在を知ったか思い出せない。西圓潭水橋と頭林水橋は筆者の方で狙いを定めて訪ねて行ったのだが、武鹿坑水橋の場合は事情が異なる:向こうの方から勝手に立ち現れたと言うべきだろう。と謂うのは旗山地区の幹線自動車道の一つである台29線(国道29号線に相当、旧省道29号線、通称旗甲公路)を走り武鹿坑橋を渡る際、ドライバーの目に大振りな渡槽が飛び込んで来るからだ。空中で総延長50bを超える渡槽を支える逆V字型の高架橋は今にも折れて倒壊しそうな危うさと戦後を生き抜いてきた逞しさが同居しているような印象を受ける。筆者が初めて遭遇した際は恐らく極めて少人数の人々の関心を引いていたに過ぎなかったはずだが、今はグーグル・マップ上で「高空水橋」の名を冠されて観光名所の扱いになっている。美濃・旗山地区には複数の高空水橋が今尚現役として残留しており、カテゴリー『水の古道』美濃水橋で紹介した一架はそれまでは南台湾では最も著名であったが、実は唯一のものではなかったのだ。(続く)
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2024年02月24日

『水の古道』旗山圳;第一幹線取水口

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【写真説明】当該灌漑水路の全体俯瞰図は既に以前の投稿記事の中で紹介済みだ。灌漑設備の殆どはコンクリート製の水路なので、読者の興味を引くのは極めて難しいと考えている。勢い踏査の熱心さも冷めがちだ。それで筆者の場合、頭とケツだけを押え踏査を都合よく端折る手段に出るわけだ。旗山圳を踏査した当時、第一幹線取水口(らしきもの)まで特定していたと云う記憶は疾うに飛んでいた。かと言って踏査地付近で筆者自身で撮影した写真を利用し踏査地を正確に特定するに、筆者の記憶力は余りにも雑だった。それでも意図不明の写真群とグーグル・マップを睨めつけながらやっと探し出した。グーグル・マップからの切り貼りも貼り付けてあるが、発見の正当性をバックアップするものだ。

先ずは特定した旗山圳第一幹線取水口付近と思われるグーグル・マップから起こした地勢図。各点線は赤=旗山圳第一幹線、黄=楠梓仙渓(同河川主流からの取水用引き込み線?)、茶=日本時代構築の堤防(「ストリート・ビュー」から切り取り、何故ここに堤防が必要だったのか?未調査)、水色矢印=取水口設備の一部と思われる。但し、日本時代興建かどうか?未調査。

ここに掲載した筆者自身撮影の写真は左から:堤防上から取水口システムの一部と考えられるコンクリート建造物をバナナ畑越しに見る:(中央)左写真の近影:(右)中央写真の近影、設備上に「旗山圳一幹線4號制水門」の表札あり。このようなケースで大変な作業はストーリー作りとそれに沿った写真の選択、今回の僅かな投稿記事を認めるのに膨大な時間を費やしている。。。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 『水の古道』旗山圳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする