2009年01月17日

蘇花古道−1

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【写真説明】清朝羅大春提督に依る蘇澳-花蓮間道路開鑿に纏わる碑は三基が現存している。台湾鉄路蘇澳駅横のアーケード街に隣接する晋安宮。ここにはその内二基、「北路里程碑」或いは「羅提督里程碑」と通称されるものと「羅提督義学碑」、もともとは別々な場所に建立されていたものだ。前者には、蘇澳を起点とし花蓮までの各マイルストーン地点の距離が刻まれている。右写真はその拡大図。国、県等に依る古蹟指定にはいまだなっていないようだが、盗難防止の為か、石碑背面をご丁寧に壁に接着させてある。筆者はオリジナルの蘇花古道開鑿に関わる第一級の古蹟と考えているので古蹟をこのように取り扱っていいものか?と疑問を感じるのだが、他方、このように屋根付きで守り地元の人の信仰の対象になっているので、寧ろ石碑にとってはその方が有り難いのかもしれないとも思う。

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2009年01月24日

蘇花古道−2

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【写真説明】道路開鑿に伴い設営された営盤(この場合は、羅大春提督駐留軍駐屯地)は古道沿線各所に残存するが、古蹟指定等の保存活動は筆者の見た限りでは一切なされていないので、写真で見るように、普通の石壁、石垣と区別が付かない。左、中央写真は住居の一部になって残存している例(宜蘭県員山付近)、右写真は道路脇の石垣として利用され残存している例(花蓮県新城付近)である。中央写真の石組みは「人」の字型と表現されるが清代営盤石組みの特徴だそうだ。

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2009年01月31日

蘇花古道−3

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【写真説明】清水断崖に代表される、太平洋の荒波が洗う台湾東海岸の絶壁を貫いて走る蘇花公路(省道9号線)の前身は、日本時代に建設されたものである。戦後、本格的な自動車道化が進められる過程で、安全確保の為、従来の道路を出来る限り海岸から離し山側へ寄せる工事が為されてきた。その為、もともとは日本時代に開鑿された部分が写真で見られるように残ることになる。写真は現在の蘇花公路174キロ付近にある錦文トンネル(戦後清水断崖付近の工事で殉職した呉錦文氏に因んだもの)横に残る旧道の様子である。

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2009年02月07日

蘇花古道−4

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【写真説明】記事に相応しい写真を探してみたが適当なものがない。そこでここに掲載の写真は今回の記事とは余り関係がない。蘇花古道の出発点にして現在の蘇花公路の白眉の一つ、蘇澳湾全景。蘇澳の街を花蓮方面へ省道9号線を辿るとすぐ坂になる。その坂を登り切るとこの風景が広がる。ここから遠く望む亀山島(同写真左一番奥)は正に亀の姿である。蘇澳湾に関する説明は次回の記事を参考にして欲しい。

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2009年02月14日

蘇花古道−5

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【写真説明】筆者は神社の専門家ではないので、高台に位置するという意味では蘇澳のよく知られた観光スポットである砲台山の神社遺構は単純に「こんぴらさん」と呼んでいた。これ自体は間違いないのであるが、新ためて台湾のサイトを見ていたらそのどれもが「金刀比羅神社」と記してある。あれれ?である。日本語パソコンで「こんぴら」の自動変換は「金毘羅」である。なら「金刀比羅」は何と読むのかしら?日本人として恥ずかしい限りである。要は金毘羅神社、或いは金毘羅宮として日本全国津々浦々に留まらず台湾にまで渡って来た神社は、香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮を総本社とし、大物主神(おおものぬし)を祀っているのだそうだ。今回の記事を書くに当り初めて知った次第だ。

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ラベル:台湾 古道 宜蘭 花蓮
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2009年02月21日

蘇花古道−6

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【写真説明】右写真は蘇澳市街地を見下ろす金字山日月宮の建設中(2006年当時)の新廟内の納骨堂に仮安置された清軍墓標。疫病と原住民の襲撃で命を落とした。もともとこれらの墓は日月宮の後方、中央写真の地にあったものだ。右写真は日月宮から望んだ蘇澳市街地。同写真右側後方の小山が砲台山、嘗てこんぴらさんが祀られていた場所だ。

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2009年03月21日

蘇花古道−7

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【写真説明】左写真は蘇花公路上の白眉の一つ、東澳慶安堂兼「蘇花公路開路英雄世代永生記念園」からの東澳の海岸線と鳥石鼻を望んだもの。ここでは何時も逆光になってしまうのでこの程度の写真が関の山であるが、海の色の鮮やかさは見てとれると思う。本来は慶安堂に安置されているもともとは日本時代の小振りな遭難碑の写真を掲載したかったのだが何とも間抜けなことに見付からない。それで仕方なく右写真の無粋な碑を掲載し、記事本文中に借り物の写真を埋め込んでおいた。「開路英雄世代永生」と刻みながら日本人遭難者のことを想ったかどうか?

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2009年03月28日

蘇花古道−8

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【写真説明】今は朝陽という地名になっている南澳渓河口には小さな港が付設されている。日本時代は「浪速」(なにわ)という地名だった。朝陽とは誠に響きの良い地名であるが、その由来は判らない。この「なにわ」は今は「娜娘」という漢音訳で残る。それが左写真である。中央写真はその港の風景。右写真は、朝陽の小さな小さな繁華街の中を通る朝陽路脇に残る浪速駐在所の跡地である。この朝陽地区は日本時代には銅、水晶、胆礬(たんばん:カルカンサイト)、翡翠採鉱の為の坑道が築かれ、海岸部には銅鉱跡が残ることを後で知った。因みに、同じ南澳渓河口、朝陽の南隣は「海岸」という地名で、これは日本時代から引き継がれている。

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2009年04月04日

蘇花古道−9

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【写真説明】蓬莱国民小学校から少しだけ朝陽海岸側へ道を辿ると震安宮という大振りの廟があり、その横に今は贅沢に小屋掛けして「羅提督開路碑」が祀られている。左写真奥が震安宮、道路脇のコンクリート製の祠の中に碑が鎮座する。右写真を見ると碑はレプリカのように見えるが、オリジナルのものである。その碑文の全訳を紹介しようと試みたが、筆者の漢文力では読み下せない部分が多く、諦めた。その中に以下の一段があり、通常二字の熟語(斧斤、階級、[石/周]堡、説招)をぶつ切りにしてあるが、道路開鑿に当たり原住民の攻撃、撫順に如何に苦労したかを描く為の、一種の強調句法なのだろうと想像するのだが(旧漢字は改め、句読点を加えた)?:「...兇番伏戌大為民害、大春徴募済師斧之斤之階之級之[石/周]之堡之、叉従而以番説番招撫之...」。尚、碑文では原住民を表すのに「蕃」ではなく「番」の字を充ててあることが判ると思う。

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2009年04月11日

蘇花古道−10

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【写真説明】サヨンの碑と鐘については読書の皆さんはよくご存知かと想像するので書かない。この碑が元々何処でどのように「発見」されかもよく知られている。今現在は、掲載写真のように現在のブター社を見下ろす位置に立っているが、以前は、筆者の撮影地点より更に後方の道脇に立ててあったのを移動させてきている。理由は判らない。「乙女」と「遭難」の文字だけがやっと読める。旧ブター社は現在の地より南澳渓を西に遡ること二十キロは優にある。今でも地元の方に案内を頼めば入れるはずである。事実、村の古老と思しき方にそう説明を受けた。

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2009年04月18日

蘇花古道−11

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【写真説明】左写真から順に、以下記事説明が続く:

[ルキヨフ(ルキヨー)](タイヤル語地名日本語表記漢音訳:魯基岳夫)
武塔を通り過ぎ暫く進むと再び坂を登り、登り切ると太平洋が見えてきて、ここから先は大濁水渓河口に到るまで海岸沿いを走る。この坂を登り切った場所の公路脇に万年休業状態と見受けられる小さなドライブインがあり、その前は広い駐車スペースになっている。それが上掲の写真。一見何の変哲も無い場所なのだが、このドライブインのある場所がルキヨフ駐在所跡だ。

1932年(昭和7年)に完成した臨海自動車道は断崖脇を走る性格上、片側通行、このルキヨフ駐在所前で待ち合わせ、双方向通行を行っていたそうだ。

[ゴイン](現代地名:鼓音)
蘇花公路上は武塔−大濁水渓河口のほぼ中間点で一箇所だけ道路が山側に入り、そこに大きな石に描かれた観音菩薩が安置されちょっとした駐車スペースがある。この観音菩薩の後方には滝がある。この付近がゴイン駐在所跡だ。「鼓音」も「観音」もタイヤル族の現地名の日本語表記「ゴイン」に引っ掛けたものだ。更に、日本語音でそのものずばり、御恩山という山名でも残っている。

武塔から大濁水渓河口北側の漢本までの公路下は、北廻鉄路のトンネルが、以前は三本(北から、観音、鼓音、谷風トンネル)走っており、丁度このゴイン付近の海岸線でそれら三本のトンネルが顔を合わせていたのだが、2006年になり、これを一本化、総延長10キロ強、台湾で最も長い鉄道トンネルになった。

[ベレフン(ベンフン)](現代地名:谷風)
ゴインを過ぎると大濁水渓河口に向かって下りに掛かる。漢本のセメント・石灰石の為の引き込み線、大濁水渓対岸の約7,000ヘクタールと云われる広大な和平セメント専業区が見えてくる辺りがペンフンで、ベンフン駐在所跡は、公路横の道を海岸側へ降りた所に安検站(港湾・海岸に於ける検査管理所)として残っているが、現在はこの安検站も既に廃棄されている。

大濁水渓は現在は宜蘭県と花蓮県の県境になっており、漢本は、当時この地が丁度蘇澳と花蓮の中間点、即ち「半分」に当っていた為、その漢音訳だと謂われている。大濁水渓は今は和平渓と改められているが、これは現在の彰化県と雲林県の県境を西海岸(台湾海峡)側に流れ込む濁水渓と紛らわしかったからだそうだ。北廻鉄路は一気に大濁水渓を渡るが、蘇花公路の方は一端上流側に迂回し澳花村(日本時代:大濁水)の横を対岸の小克宝村(日本時代:キネボー)に渡る。(メルマガ「台湾の声」2007年6月15日掲載分の一部を改編:終わり)
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2009年04月25日

蘇花古道−12

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【写真説明】グークツ駐在所。こういう形で日本時代の駐在所が残っていることは甚く驚いた。最初に訪ねたのが2006年10月、その時は次回も必ず寄るからと約束し、翌年の旧正月2007年2月に再訪したが、お孫さんを連れて帰省していたお嬢さんが出て来て「母は花蓮の方へ出掛けている」とのことであった。その後当地まで足を運ぶ機会が無い。早いものでもう二年を経過した。

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2009年05月02日

蘇花古道−13

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【写真説明】左写真の右側に写るトンネルは大清水トンネル、蘇花公路・和仁休憩所方面から南側を望んだもの。清水大断崖核心部北側の様子。但し、天気は良くないし、私の撮影の腕では誠にこの大断崖に対して申し訳ない。中央写真は蘇花公路・匯徳休憩所を北廻鉄路まで降りてみたものである。小清水と清朝開鑿時から呼ばれていた場所で、日本時代は清水駐在所が置かれていた。同写真右側が清水トンネル、左側が新清水トンネルで、駐在所は清水トンネル脇に置かれていたのだが、今は右写真のような有様だ。途中まで薮を漕いでみたが途中で諦めた。

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2009年05月09日

蘇花古道−14

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【写真説明】蘇花公路・和仁休憩所から僅かばかり蘇澳方面に戻るカーブ脇に道路建設に因む殉職碑が二基並んで立っている。左写真右側の碑が戦後のもの、左側の碑が日本時代のものである。右写真はその日本時代の遭難碑の拡大写真であるが、あれれ?である。「(中華)民国十一年立」、「民国四十六年修復」とある。民国十一年立、つまり大正十一年(1922年)設立ということだが、良心と考えるべきか?傷みが酷かったので修理してあげましたという意味だろうか?因みに民国四十六年は昭和三十二年(1957年)である。同写真上部を見ると判るが、日本時代の碑が僅かに頭を覗かせている。大正時代設立時は、五十一名の犠牲者の冥福を祈ったものである。同写真左奥に写るのは、和仁休憩所の駐車場である。

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2009年05月16日

蘇花古道−15

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【写真説明】新城にはいまだに日本時代建築の民家が目立つ。日本人観光客の目を楽しませてくれるかもしれないが、結局は経済的な賑わいは南隣の花蓮市の方へ集中してしまい、取り残されたからと言えるかもしれない。左写真の写真屋さんは日本時代から代々写真屋を営んできたのではないかと勘ぐらせてしまうぐらいに古い。今のデジタル化の大波もここまでは届きそうもない。

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2009年05月23日

蘇花古道−16

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【写真説明】新城は嘗て第四代台湾総督佐久間左馬太の号に因む研海支庁の庁舎が置かれた場所である。当時の建物は残っていないが、庁舎を囲んでいた門柱、コンクリート塀は当時のままである。右写真は研海支庁舎を襲った警察署。中央写真は当時の門柱と塀。右写真は、警察署の向かい側に残る廃屋となった新城村弁公処。日本時代、支庁舎の一部だった可能性が高い。

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2009年05月30日

蘇花古道−17

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【写真説明】左写真は瑞穂温泉入口に立つ看板。「日本時代の警察招待所」というキャッチでお客を呼べるところが台湾の良さである。で、その警察招待所はいまだに健在である。床下の構造を見れば判る。それが真ん中の写真。右写真は花蓮県の紅葉温泉のお馴染みの入り口。色々な写真を見たが、どんどんけばけばしくなっていく。

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2012年11月10日

蘇花古道−18(大南澳越嶺段−1)

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【写真説明】左写真は、これまでは気付かなかった古道指導標が宜蘭県蘇澳鎮朝陽村内に立てられていた。それが左写真。中央写真は、宜蘭県蘇澳鎮朝陽村のメイン・ストリート朝陽路沿いにある天后宮、同写真左側奥の小道の突き当たりが蘇花古道大南澳越嶺段南側起点である。右写真は大南澳越嶺段南側起点。

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ラベル:蘇花 蘇澳 花蓮
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2012年11月17日

蘇花古道−19(大南澳越嶺段−2)

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【写真説明】大南澳嶺を目指す前に、浪速村、現代の朝陽村で一休みすることにした。上段左写真は、日本時代に開鑿された水路だそうだ。浪速文史工作室に勤める然る女性が教えてくれた。中央写真は、サイクリスト向けの指導標で、写真サイズを小さくした為見え難いが、前回紹介した「天后宮」と「南澳朝陽漁港」を指している。同写真のカーブミラーに写るのは亀山。右写真は朝陽漁港入口にある亀山への登山口。日本時代は亀山頂上には砲台が築かれていたそうだ。下段左写真は、朝陽漁港全景、「蘇花古道−8」掲載の中央写真と同じ場所であるが、今回の場合は、大南澳嶺全景をバックに据えた。中央写真は、私のお気に入りの朝陽路沿いで海鮮料理を提供する「郷味津」食堂。朝陽漁港は写真に写る通りのミニ漁港だが、「郷味津」には平日昼間から遠来の客で賑わう。興味津々を捩ったかな?まさかね。右写真は、私自身は初めてみた甲殻類。源五郎のような艶と形、はたまた、羽の退化したゴキブリ、即ちアマメ(サツマゴキブリ)をも髣髴とさせる。(続く)

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2012年11月24日

蘇花古道−20(大南澳越嶺段−3)

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【写真説明】左写真は南側入口に立つ指導標、全段4キロが示されている。中央写真は古道景観の一つ。右写真は、私が行き当たり引き返して来た地点にあった南澳嶺西南峰花崗岩基点、標高305メートル。正面に彫られた文字は「圖根補點」(図根補点)、「補」の文字の判読が難しい。その反対側の面には「總督府」と刻まれているはずだが、当時は未確認、日本時代の遺産である。

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2012年12月01日

蘇花古道−21(大南澳越嶺段−4)

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【写真説明】蘇花古道と、旧省道9号線(省道とは今の台湾では実質国道の意味)との出会いの風景四枚。何回か記述したが、旧省道の大南澳嶺越の段は、日本時代の蘇澳−花蓮間を結ぶ道路の最終形態である自動車道「臨海道」を襲った部分である。従って、この部分は、今現在は物理的には二本の道路が交差しているが、歴史的には三本の古道、清代末開鑿の後山北路、日本時代の臨海道、そして戦後の省道が交叉していることになる。この旧自動車道が最終的に廃棄されたのは1985年と謂うから、ここに写るのは優に二十五年後の姿である。

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2012年12月08日

蘇花古道−22(大南澳越嶺段−5)

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【写真説明】左写真は現在の省道9号線が南澳嶺を越える段に設けられた新澳隧道北口で、旧省道との出会いでもある。このトンネルは1983年に完工、この時点で、新省道9号線が開通したのだが、新線は花蓮方面への南下り専用であり、蘇澳方面への北上りは旧省道を継続使用していた。1985年に旧省道上で大崩壊が発生、修復を断念、これ以降、上下線とも新線、現行の省道9号線を使用している。新澳隧道北口は同時に、蘇花古道南澳越嶺段北口でもあり、同写真左端にゲートが写る。進入禁止の赤い警告板(中央写真)が開け放たれたゲートの脇に立つ。ゲートの反対側には古道への指導標(右写真)。。。このまま入っていいのかどうか?入れるとしたら車での進入はOK?複雑なシグナルを受け、暫し佇んでいた。

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2012年12月15日

蘇花古道−23(大南澳越嶺段−6)

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【写真説明】上掲左写真は南澳観光バス「南澳神社」停留所。同写真に映る道路は中正路で南澳市街地に向かう。同写真左側に神社跡があり、右側にはカソリック教会がある。中央写真は、神社本殿跡まで境内の階段を登り切った場所から太平洋側を望んだもの。右写真は同位置から南澳市街地側を望んだ。住民の殆どがタイヤル族である。

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2012年12月22日

蘇花古道−24(「遭難碑」)

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【写真説明】「蘇花古道−7」で紹介した東澳慶安堂の御本体、「開路先鋒爺」、即ち、日本時代の「遭難碑」である。先般の記事を投稿した時点では、それまで当該廟は何度も立ち寄っていたにも拘わらず、前回記事に認めたような経緯に無知だった為、廟内に入り同碑を仔細に眺めるような機会が無かった。今年2012年1月に再び同地を訪ねる機会に恵まれ撮影したものである。廟内は更に豪華になっていることに、前回掲載の新旧比較図を見ていただければ判ると思う。(終り)
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