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2006年08月20日
『水の古道』竹仔門発電所(1)
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2009年01月03日
『水の古道』竹仔門発電所(2)
【写真説明】左写真は発電所本館外観。二枚目の写真は避雷針、前回ブログでも触れたが建立当初からのものだと思う。三枚目写真は発電所内部、水車と発電機。発電所側の説明ではドイツ製でいまだに現役。同時期、茨城県に設置された石岡第一発電所の設計・建設に関わった日立製作所の創業者、小平浪平は日本自前の発電技術に拘ったようだが、発電所核心部のこれら水車・発電機は外国製に頼らざるを得なかった。左写真は、圧力水管上部の堰堤、この構造を専門用語で何と呼ぶのかは判らない。同写真奥に僅かだが極彩色の小さな祠が写っている。土地公で、発電所建設後地元の人によって設えられたもののはずだ。日本風に言えば水神様である。これとは別に構内には神社も作られたが今はその遺構は階段のみ、筆者は実はその位置は未確認。この外、圧力水管に加え沈砂池、水槽等と思われる発電所の上部構造を撮影した写真も持ち合わせているが、私自身が専門家ではなくうまく説明出来ないのと、それらの解説はこのブログの主旨ではないので割愛した。ご興味のある方は遠慮なく申し出ていただければそれらの写真を喜んで提供する所存である。
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2009年01月10日
『水の古道』竹仔門発電所(3)
【写真説明】竹仔門発電所構内には、発電所構造以外にも幾つかの日本時代の遺構が残る。防空壕もその一つである。その中で四基の石碑は代表的なものであろう。左写真は、発電所入口に繋がる道路脇に残る竣工記念碑、国定古蹟指定以前(当時は国家三級古蹟)は、刻まれた文字には塗料は施されていなかったが、指定後、黒塗りされた。更に、この碑が国定古蹟の一部を為すことが表示された。以前はこれが竣工記念碑などとは誰も気に留めなかったであろう。発電所構外にあるので持ち去り自分の家の庭石にすることさえ出来たはずである。それがいまだにこうして残っているところが台湾人の人の良さというより、地元の人がよくよく竹仔門発電所の存在意義を了解していたからだと思う。右写真は構内に今でも残る日本人三人の殉職碑。三人の殉職の原因は三人三様である。即ち、感電死(1910年・明治43年)、風邪をこじらせ病死(1927年・昭和2年)、取水池で作業中に転落、溺死(1937年・昭和12年)。
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