2010年09月04日

『水の古道』曹公[土川]−1

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【写真説明】曹公[土川]は台湾三大古[土川]の一つと呼ぶ人もあるようだが、何処でも見掛ける普通の水路である。水利組合に加え、どのレベルの何処の機関が推進しているか判らないが、整備、紹介が進むのには感心している。左写真は水路沿線が整備された曹公[土川]の一例。右写真は何の変哲もない「曹公[土川]幹線六孔制水門」、不可思議な「飲水思源」の碑は民国51年(1962年)の銘があるが、どうも借り物の碑のようだ。両施設とも省道21号線沿線にある。

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2010年09月11日

『水の古道』曹公[土川]−2

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【写真説明】左写真は台湾鉄路、高雄県大樹郷九曲堂駅前。右写真は今は台湾の国定古蹟である「下淡水渓鉄橋」の設計者飯田豊二の記念碑。同記念碑は駅構内にあり、その周りは公園として整理されている。記念碑自身に嵌め込まれた技師小山三郎による銘文以外に、記念碑が立つ裏側には中国語、英語、日本語による案内プレート、更には、駅前から続く自動車道脇には、「飯田豊二是日本静岡県人、在明治年間負責建設屏東線鉄路。在建造下淡水渓鉄橋時、因為負責尽職、積労成疾、逝世於台南医院、享年四十歳。」(原文は旧字体)とこの記念碑の簡潔な案内が、素焼のプレートに日本人にも判る中文で大書されている。

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2010年09月18日

『水の古道』曹公[土川]−3

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【写真説明】昨年2009年8月に台湾を襲ったモーラコット台風(「八八水災」)のことについては以前の記事でも何回か言及した。高屏渓沿線も大被害を受け、旧鉄橋が高雄県側砂州を跨ぐ部分に整備された「旧鉄橋湿地教育園区」は見事に洗い流された。左二枚の写真は同年9月に撮影したものである。水害での犠牲者の慰霊と思しき風景、旧鉄橋橋脚のみは相変わらずびくともしない。中央写真奥に写るのは省道1号線高屏大橋である。

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2010年09月25日

『水の古道』曹公[土川]−4

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【写真説明】曹公[土川]−1に掲載した写真の水路が省道21号線を横切る場所には「曹公[土川]橋」が掛かっている。その写真の撮影者右手に、無傷の「大寮[土川]竣功記念碑」が佇む。中央写真は2009年に撮影したもの。右写真は同記念碑を裏側から写したもので、同写真右上の緑色の道路標識を入れて同碑が自動車道に面していることを伝えた。2006年撮影。

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2010年10月02日

『水の古道』曹公[土川]−5

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【写真説明】前回記事で紹介した竣功記念碑がある場所から然程遠からぬ場所、同じ省道21号線沿線に竹寮取水站がある。浄水道施設である。高屏渓−旧鉄橋湿地教育園区−曹公[土川]に連なる点景である。ここに掲載した写真をご覧になれば判ると思うが、このような形で現役のままで残存しているのには実に驚く。点景という表現をしたが、堂々たる古建築群である。

ゴシック様式と中国様式の折衷と言われる本館を始め施設全体の殆どが当時のままのユニークな建築物が、忽然と幹線自動車脇に立ち現われる。1911年(明治44年)竣工、高屏渓の伏流水を汲み上げ浄水場へ送り込み高雄地区の上水に供してきた施設なのだが、施設の地味な役割に比して建築物外観が当時も今もモダンであり続ける設計者のセンスに感心する。

左写真は施設正門から入ってすぐ目に入る建物。純日本風家屋が豪華な煉瓦とコンクリート構造物の上に鎮座しているのがおもしろい。国旗掲揚台も日本時代からのもの。右写真はこの施設がいまだに現役であることを示す為に掲載した。(続く)
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2010年10月09日

『水の古道』曹公[土川]−6

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【写真説明】左写真は九曲堂駅の近くにある残るパイナップル工場遺構。九曲堂は日本時代、南台湾を代表する缶詰パイナップルの大産地だった。『水の古道』曹公[土川]−2に掲載した写真の九曲堂駅前広場の白亜の像を思い出して欲しい。当該遺構は、もともとは泰芳商会第三、四(鳳梨)缶詰工場だった。経営者は台湾人。その後、台湾合同鳳梨株式会社の事務所として使われた。但し、当時、九曲堂駅周辺にあった缶詰会社は泰芳商会だけではなかった。日本資本も併せ6社が犇めいていたそうだ。詳細は本文記事並びに参考サイトを参照して欲しい。右写真は駅前通りに立つ煉瓦を利用した観光の為の意匠。何故、煉瓦なのか?一つは、旧パイナップル缶詰工場遺構の延長線上にある。もう一つは次回紹介する予定である。

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2010年10月16日

『水の古道』曹公[土川]−7

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【写真説明】台湾歴史建築百景の指定されている三和瓦窯 (三和瓦廠)、赤煉瓦を作り続けて百年、これまで紹介してきた事跡と同様、省道21号線沿いにある。実際は旧鉄橋下と言ってしまっても差支えない場所である。右写真は三基ある窯の内の一つ。念の為に断っておくが、古蹟ではなく、現役の工場である。

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2016年08月20日

『水の古道』曹公[土/川]−8

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【写真説明】曹公[土/川]に因んだ現代のランドマークは鳳山区市街地内にある。まずは、曹公路(左写真)、市街地中心を東西に走る省道1号戌線(光遠路)から暫く入ると、曹公路を隔てて西側に曹公[土/川]開鑿の父、曹謹を祀った曹公廟(中央写真)、東側に曹公国民小学校(右写真)がある。曹公[土/川]開鑿は道光年間だが、日本時代も開鑿、整備が進んだ。曹公廟も日本人と深い関りがあることを、実際拝観した後暫くして気付いた。中央の曹公廟正面写真右奥に白い建物が僅かに写るが、高雄農田水利会ビル(鳳山工作站)、日本時代も同じ場所に水利組合があった。『八堡[土/川]−2』で紹介した林先生廟と彰化県農田水利会の関係とストライキングな類似である。日本時代、日本人が如何に水利事業を大事にしたかが覗われる。
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2016年08月27日

『水の古道』曹公[土/川]−9

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【写真説明】オリジナル開鑿の曹公旧[土/川]が今現在どうなっているか?を市販地図で見当を付け、鳳山市街地を貫く省道1号線を東に少しばかり辿り、成功路から入ってみた。台湾鉄道屏東線後庄駅近くで撮影したもの。左写真は曹公旧[土/川]を渡る成功橋の袂に建てられていた簡易地図、地図右側に曹公[土/川]の記載がある。中央写真、並びに右写真は曹公旧[土/川]の光景。道光年間開鑿の灌漑水路の今の姿である。
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2016年09月03日

『水の古道』曹公[土/川]−10

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【写真説明】左写真は曹公[土/川]抽水(取水)口に併設されている高雄農田水利会九曲堂工作站内に引き込まれた取水口からの水路。同水利会鳳山工作站と同じように、日本時代から同地に存在したはずだ。中央写真は、現在の曹公[土/川]取水口の様子。右写真は、道光年間開鑿時の取水口の現在の様子で、筆者の背中に古水門が保存されている。下掲載写真は、曹公[土/川]史蹟公園の駐車場とその中に設けられたバス停。
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2016年09月10日

『水の古道』曹公[土/川]−11

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【写真説明】構造上「五孔圓拱閘門」と呼ばれる曹公旧[土/川]取水口水門。左、中央写真に見られるように水門が五分割されているからである。道光年間起工時の「曹公[土/川]」と光緒年間修復時の「重脩(修)曹公[土/川]」の二枚のプレートが嵌め込まれている。左写真古水門上部、並びに、中央写真右側上部が史蹟公園駐車場。下掲写真は、それら二枚のプレートの拡大写真。但し、今に見る古水門は日本時代再建だが、二枚のプレート並びに上掲載写真に写る水門足下の五個の煉瓦が露出した構造物が清代遺構。
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2016年09月17日

『水の古道』曹公[土/川]−12

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【写真説明】左写真は高屏渓右岸に設けられたサイクリングロード上に立つ曹公旧[土/川]の案内板。通称「五孔水門」であるがこの案内板では「五孔頷」となっている。実際この案内板が立っているのは曹公新[土/川]取水口近くである。中央写真は、曹公新[土/川]取水口近くに設けられた公園兼駐車場。どのような人々の来訪を意図したものか判然としないが、恐らく偶々新[土/川]取水口付近に位置しているだけだろう。新[土/川]取水口に関する一切の案内板は見当たらない。同写真左側に進むと新[土/川]取水口に行き当たる。右写真は、中央写真の筆者の背中側に位置する或る工場外側路地。同写真中央に写る路地奥で左側に写る工場のコンクリート塀が切れるが、そこに日本時代再建の新[土/川]取水口が取り込まれている。
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2016年09月24日

『水の古道』曹公[土/川]−13

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【写真説明】然る日系会社台湾子会社東側、高屏渓側に面したコンクリート塀取っ付きに組み込まれた日本時代再建の「新[土/川]水制門」の様子。左写真はサイクリングロード側から臨む工場のコンクリート塀、同写真中央部の白色トタンの下が水門。中央写真はその拡大写真、電源盤、ケーブルは工場の物。右写真上に、日本時代の新[土/川]水制門の刻字、右側の樹の陰に[土/川]の文字。曹公旧[土/川]水門がその構造から五孔水門と通称されるのに対し、新[土/川]水制門は三孔水門と通称される。この工場が解体されない限り残り続けるであろうが、いざ解体されコンクリート塀も壊される時、この由緒正しき水門を残そうと云う声が聴かれるだろうか?(続く)
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2016年10月01日

『水の古道』曹公[土/川]−14

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【写真説明】改装された鳳儀書院内は被写体としては魅力に富むのだろうが、余りに真新しく下手の横好きでは見栄えのする写真が撮れず割愛。左写真は同書院内の資料室にある「鳳山雙(双)城古道」のパネル。短い解説で通常なら翻訳を供したい所だが、今はその気力無し。申し訳ありません。中央写真はその古道(赤線)詳細図。同写真左上の囲みの鳳山県旧城(高雄市左営区)と右下の囲みの鳳山新城(同市鳳山区)を南北に結んでいる。右写真は鳳山市街地で見掛けた日本時代の家屋、写真に写る三軒すべてで、このように鳳山市街地にはまだまだ日本時代の建築物が多く残る。これは余談だか。
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