2010年10月23日

挑塩古道−1

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【写真説明】2004年5月に苗栗県三義市街の木彫博物館脇に設えられた「四月雪小径」で撮影した油桐(アブラギリ)の花。ウィキペディアに曰く「台湾で『桐』という字はアブラギリを指す。台湾を代表する植物である。」が、日本にも自生する。今や、台湾では油桐花は客家文化と抱き合わせになり、まるで苗栗県の専売特許の様相を呈しているが、実際は初夏になると台湾各地で見られる。台湾を代表するようなイメージを帯び始めたのは、日本時代、油採取の為に栽培が奨励されたからというのが私の聞き齧りの知識なのだが、手元にその確証を持ち合わせていない。いずれにしても、満開の油桐花は純白故、実に心が洗われる気分になる。因みに、博物館の名前が示す通り、三義には木彫工房、販売店が集中する。私はこの博物館の駐車場を台湾北部に出掛ける際の露営地として愛用している。

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2010年10月30日

挑塩古道−2

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【写真説明】挑塩古道を示すモニュメントと古道指導標。前者は通霄鎮と銅鑼郷の境界にある九華山(標高375メートル、大興善寺というお寺あり)への自動車道昇り口にあり、後者は現在整備されている挑塩古道の一番高所に設けられた展望台脇に立つ。モニュメントの透かしは前後二つの塩を盛った籠を担ぐ人である。

「挑」は「いどむ」以外に「かかげる」という訓読みがある。文字通り「塩の道」、沿岸部で精製される塩を塩の生産出来ない山間部へ運搬する為の道路だ。海岸線を持つ国ならばどこでも自然発生的に形成される道だとは思うが、台湾の塩の道として古道扱いされているのは現在の所、苗栗県のものだけのようだ。

但し、現在の古道が形成された当時からそう呼ばれていたのかどうかは大いに疑問である。現在の台湾の古道ブームの影響かどうか判らないが、「挑○古道」というのは各地でよく目にするようになった。同じ苗栗県三義では「挑炭古道」というのがあるし、その他、「挑柴古道」、「挑魚古道」と称されているのを筆者自身歩いたことがある。要は嘗てはこれらの物資を中心とした交易道であり、開発の波に洗われず運良く生き残った歩道のことだ。>(メルマガ「台湾の声」2009年1月12日掲載分『苗栗県の古道』の一部を改編)次回へ続く...

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2010年11月06日

挑塩古道−3

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【写真説明】挑塩古道の様子を示す二枚。古道は大興善寺へのアスファルト道と並行して走る。

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2010年11月13日

挑塩古道−4

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【写真説明】左写真は、虎頭[山/(土欠)]三角点、標高322メートル、ここと前述の九華山(同375メートル)間を結ぶ丘陵地帯をサイクリング道が走る。虎頭[山/(土欠)]が北側起点、九華山が南側起点、前者付近に虎頭[山/(土欠)]古道、後者付近に挑塩古道が残るという大雑把な解釈でいいと思う。中央写真は虎頭[山/(土欠)]三角点側に立つ「銅鑼サイクリング・コース(銅鑼自行車道)」指導標、右写真はサイクリング道上に嵌め込まれた煉瓦のプレート。行き先が九華山方面であることを示している。

虎頭[山/(土欠)]古道と称される道にも挑塩古道と称される道にも見事に敷かれた長径が20〜30センチ程度の大振りの卵型の石を見ることが出来る。1,237段がどちらの道に敷かれたのかは、サイト上は全く正反対の説明が混在している。前者は僅か100メートル程度しか残っておらず、後者は途中自動車道に分断されるが、総延長500メートル程度ある。どちらも非常に短い古道であり、それだけに誰でも歩けるし古道の雰囲気を十分に味わうことが出来る。

尚、この卵型の石、丘陵地帯下の田圃の畦(あぜ)を形成するのに広く使われており、ここら一帯の田園風景を一種独特なものにしている。台湾の田園風景の中でも私が最も好きなものの一つだ。>(メルマガ「台湾の声」2009年1月12日掲載分『苗栗県の古道』の一部を改編)次回へ続く...

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2010年11月20日

挑塩古道−5

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【写真説明】左写真は、銅鑼サイクリング・コースの北側起点を南側に進むとすぐの場所にある虎頭[山/(土欠)]古道の入口。ここには祠(土地公)があり、地元の年配の方の憩いの場になっている。中央写真はその降り口下から覗いた古道の様子。同じように石を敷き詰めた状態の古道は約100メートル程丘陵を海岸側に下り、やがて自動車道と合流する。右写真は台湾海峡を望む丘陵地帯に植えられた茶畑の中を走るサイクリング・ロード。

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2010年11月27日

挑塩古道−6

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【写真説明】左写真は銅鑼サイクリング・コースが走る丘陵地帯から苗栗県通霄方面と台湾海峡を望んだもの。海岸沿いに白い数本の棒が見えるが通霄火力発電所の煙突、その右側の白い塊が通霄の市街地、更にその右の低く裾を引くのが虎頭山。二枚目写真はその虎頭山頂上にある「台湾光複記念碑」。実は砲身と碇を組み合わせたデザインの「日露戦役望楼記念碑」である。元々、日露戦争時、虎頭山頂上に置かれた監視処が台湾海峡を通過するバルチック艦隊を発見、この通報がその後の日本海海戦の勝利に大いに貢献したという「故事」が背景にあるかもしれない。三枚目の写真の碑の下部詳細。碑上の年号は日本年号では1946年、昭和21年、日露戦役記念碑が光復記念碑に変えられた日付けである。右写真は虎頭山頂上二等三角点、日本時代に埋定されたもの。

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2010年12月04日

挑塩古道−7

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【写真説明】恐らく台湾の神社にご興味のある方には虎頭山中の通霄神社は非常に知られていると思うので、記事や写真を掲載するのを躊躇したのが、個人的には余りにも見事に保存されているのに仰天した故、敢えて掲載させていただく。左から順に、鳥居、本殿基座、社務所。前回の記事の社務所に関する下りのように通霄神社は荒れるに任せてあるわけではなく、実は公園の一部としてきちんと整備されているのである。どれくらいの意気込みで、そして何時整備されたか?公園内の通霄神社遺構の核心部に立つ案内板全訳(原文は中文:筆者拙訳)を以下に掲載する。最後の段の訳は日本語になっていないが勘弁していただきたい。日本人は苗栗県と通霄鎮に感謝しなければならないと思う。

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