2022年08月13日

六亀特別警備道−61:第49宿「土山」(2)

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【写真説明】此処迄書き殴るようにして綴って来た六亀警備道の踏査行だが、大津〜土山間最南段の終りのみに留まらず、六亀警備道踏査行としても恐らく最後の稿となるかもしれない。土山分遣所跡地迄を踏査し判った事は、草津〜水口間の分遣所は痩せ尾根気味の稜線上に設営された為、設営地を囲む石塁は力学的には稜線両側に引っ張られる格好になり崩壊も速い。この為遺構としての残存状況が極めて悪い。従来の登山道としての六亀警備道南段起点は南真我山、ここから北側へ向かい稜線を登り詰めていく恰好になるのだが、稜線の広がりが大きくなる。こうして土山分遣所跡地の石塁はそれまでの南側駐在所遺構に比べると格段に良い残存状況を呈していた。上段左写真は、南真我山山頂直下の登山口からそのまま山頂を経ずして延びる農道(同写真左側)と、山頂を経由する農道との出会い、農道と旧警備道が並行して開鑿されている部分。中央写真はその農道(同写真中央)と旧警備道が交錯しており、農道は登山道として右側に分岐していく地点、石塁が残っている箇所があり、筆者が以前坂下分遣所跡地として推定した場所である。しかし実際の分遣所跡地はこの分岐点と出会う旧警備道と思しき別の農道を僅かに南側に戻った場所にあるがほんの僅かに戻るだけである。その旧警備道と思しき別の農道との出会いが右写真である。下段左写真は上段右写真より更に土山分遣所に寄った地点で分遣所跡地出入口、中央写真は最初に出会う土山分遣所正面石塁、右写真は分遣所後方の石塁、これら正面裏面石塁の規模が判るようにパノラマ写真を埋め込んだ。土山分遣所遺構の残存状況と規模の大きさを感得出来るかと思う。土山の次の宿場、坂下分遣所跡地以降は従来より歩かれて来た古道としての六亀特別警備道沿線で確認可能となる。(終り)
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2022年08月06日

六亀特別警備道−60:第49宿「土山」

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【写真説明】石部-水口-南真我山間は旧警備道の風貌を色濃く残す段である。石部、水口の各分遣所跡を正確に特定するには各々の遺構の残存状況が芳しくない。それでも現在の登山ルートが警備道を襲った部分か産業道路と錯綜している部分なのかは想定がそうそう難しくない。左写真は南真我山直下の警備道の景観、但し警備道は同山山頂を越しているわけではなく、あくまで頂上直下、付近である。中央写真は南真我山頂上、以前「六亀特別警備道−13(南真我山基点)」でも紹介済みでもある。当時は南真我山頂上直下を土山駐在所跡地と想定していた(「六亀特別警備道−12(土山駐在所?)」)のであるが、実際の跡地は更に北側の当時坂下駐在所跡地と想定していた場所(「六亀特別警備道−14(坂下駐在所?)」)とニアミスしていた。ニアミスの意味は次回の投稿で説明する。右写真は南真我山頂上を超えて真我山方面、詰まり伝統的な六亀警備道南段の南側端緒である。(続く)
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2022年07月30日

六亀特別警備道−59:第50宿「水口」

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【写真説明】二回目の大津段踏査の際辿ったルートを三回目も忠実に辿った後、水口分遣所跡地、南真我山山頂、更に土山分遣所跡地を確認した。大津、草津、石部間は赤色ビニールテープが張られる形で旧警備道に沿う登山道は確保されていたが、石部-水口-南真我山(筆者が嘗て頂上直下を土山分遣所跡地と推定)間は乏しい布条(登山用マーカー)に頼るしかなかった。それでも旧警備道部分は左写真に見るような路側石が残存している部分があり、目指す南真我山の方向は明確だった。分遣所跡地遺構は草津、石部と同様特筆すべきものは無かった。中央写真はハイカー、或いは警備道踏査チームに依って掘り出されたもの、右写真は分遣所跡地と推定される平坦地。(続く)
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2022年07月23日

六亀特別警備道−58:第51宿「石部」

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【写真説明】草津から石部に至るに旧警備道に依って辿ることをせず、セブンイレブン駐車場から茂林市街地北側へ移動、姿沙里沙里歩道(左写真)から辿ることにした。理由は前述したように世界二大胡蝶越冬地を目撃したかったからだ。今現在は大量のルリマダラ類胡蝶の乱舞のピークを迎えているので、確かに個体数は多いと形容するには相応しいとは思へど、筆者の目撃したものが、典型的な個体数なのかは判らず。当該歩道は胡蝶生態園を離れると旧林道を伝い高度を稼いで行くが、九十九折を繰り返す旧林道のカーブ地点二箇所で旧警備道と交差する。左写真は下側の交差点から入り込み警備道と交差したことを確認した地点、旧警備道沿いの赤のビニールテープは石部分遣所跡地まで張られているのを確認した。草津分遣所跡地と同じく、石部跡地も右写真で見るように石塁の残存状況は悪い。旧警備道は、上側交差点で突然ビニールテープ誘導が打ち切られていたので、そのまま旧林道を辿る(下段左写真)とその終点に至った(中央写真)。林道はそこで終わりだったが、そこから更に南真我山山頂へ向かう登山道が確保されているのを確認(右写真)出来たので、次回踏査の目標とした。(続く)
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2022年07月16日

六亀特別警備道−57:第52宿「草津」(2)

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【写真説明】左写真は前回掲載下段右写真に写る稜線最上部の景観、低価格のビニールテープだが実に心強い。中央写真は左写真の稜線を登り詰めた箇所で見出した、正にそのテープ張りの現場、散乱している飲み物容器からテープ張り作業は原住民に委託された模様だ。右写真は草津分遣所跡地、同写真左側に崩壊した石塁が見られる。右側が旧警備道。このように分遣所跡地としての遺構は僅かに平坦地と嘗ての石塁が見て取れる程度の残存状況だ。それでも草津-大津間は往時の警備道の景観が良く保たれている段だ。(続く)
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2022年07月02日

六亀特別警備道−55:第53宿「大津」(3)

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【写真説明】左写真は、ウィキペディア中文版『六龜警備線』中の「大津」分遣所の位置情報「推定地点はコンクリート階段の左側」のコンクリート階段、茂林風景区大門駐車場北端のコンビニの台27線を隔てて向い側、何故今までこの階段に気付かなかったのだろうか、極めて不可思議。その左側は空き地だ(中央写真)。右写真は、階段上から台27線向い側(コンビニ側)を望んだ。

品川分遣所跡地を押えた後、俄然第53宿大津以北を南真我山迄辿れるだけ辿ろうと云う気が湧いて来た。大津分遣所跡地が茂林国家風景区大門駐車場だとして、第52宿「草津」分遣所跡地迄辿る為の出入口は何處か?2016年という古い投稿にその写真を見付け、灯台下暗しを恥じた。2016年の段階で大津より艱難辛苦して南真我山まで至っているので、今現在は更に入り込むハイカーの数は減っているのが予測され、草津分遣所跡地まで辿れれば善しとすることにした。品川跡地と同じ扱いと云うわけだ。件のコンクリート階段を登り切ると直ぐに旧警備道と思しき道が現出している。既に廃棄された産業道路と交錯しているが、大概の部分で旧警備道とその後開鑿された産業道路は区別出来る状態にあると思った。驚くべきは、旧警備道と産業道路を交差させつつ高度を稼ぐ六亀警備道最南端の登山道に沿い赤いビニールのテープが張られていることだった。古道研究グループか心あるハイカーか?何れにしても、この分だと筆者が以前特定を試みた南真我山登山口イコール土山分遣所跡地までテープが張られているのを必然と思い出してしまった。

今回、第53宿「大津」から東進(実際は北進)、第49宿「土山」迄をコースを変えて踏査した。添付ダイヤグラムの赤線が第一次、グリーン線が第二次、オレンジ線が第三次、各々今年2月13日、3月5日、3月13日に敢行した。大津-草津間は忠実に稜線を踏んだ。草津-石部間は稜線を辿らず、姿沙里沙里歩道から旧林道を辿り石部に至り、更に林道を終点迄辿り、水口方面へのアクセスを確認した。第三次は第二次と同じルートで石部に至り、林道終点から南真我山、土山に至り下山した。従って、草津-石部間の警備道踏査はスキップされたことになる。このようなルートを組んだ理由の一端は、夙に有名な「紫蝶幽谷」(日本人観光客向けには「茂林ルリマダラ生態公園」)にて「世界二大越冬型蝶谷」(以上、茂林国家風景区公式日本語サイトより)の一つで胡蝶の乱舞する様を垣間見たかったからだ。初めて茂林風景区大門を潜った時より既に二十年を超えてしまった。
(続く)
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2022年06月25日

六亀特別警備道−54:第1宿「品川」(2)

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【写真説明】品川跡地はの石塁は残存状態の良いものは見当たらず、残骸が散乱しているような塩梅だった。分遣所建屋敷地は二段、若しくは三段の層構造を為しており複数箇所でビン類、碍子の散乱場所があった(以上、現場スケッチ参照)。左写真は最初に行き当たった竹林の中の土塁跡と思しき地点で掘り起こされたビン類、その中に、中央写真に写る瀟洒なガラス瓶があった。化粧水か薬液かは判らないが、ビン底に旭日旗に似たものがあしらわれている。ヤフーの古瓶のオークションの中に同じ物を見付け、少し驚いた。留佐屯山西峰頂上は地形的に突出してはいないので、GPS情報は手元に在りながら三角点を探し出すのに苦労した。そこから川崎、神奈川方面へどう辿るか?は考えないことにした。第1宿分遣所遺構を確認出来ただけで大いに満足したからだ。(続く)
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2022年06月18日

六亀特別警備道−53:第1宿「品川」

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【写真説明】([口|戛][口|拉]鳳(カラブン)吊橋を渡り切りそこを走るセメント舗装の道路(ガニ農路)を右側、即ち南側に折れる。直ぐに留佐屯山西峰方面への三叉路に行き合う。最初からいきなりの登りで筆者の運転技術では疑問の急坂が見て取れる。。。と以前書いた。日本橋分遣所の踏査が今年1月16日、約一箇月半後の2月26日にガニ農路に車を乗り入れ品川分遣所跡地の踏査を目論んだ。予想通り、ガニ農路は悪路であった。四駆は必須の悪路を普通乗用車で挑戦した。無論、筆者の運転に非ず、G博士の弟にお願いした。農路入口から品川跡地と目される留佐屯山西峰頂上に至る登山口まで落差600b、距離7〜8`を見込んでいた。当日、農路約1.5`地点で農道は倒木の為に大いに崩壊(上段左写真)、前日か当日早朝に発生したものと思われた。そこから徒歩を強いられたが、3`弱で登山口の貯水槽に辿り着いた(中央写真)。詰まり、品川跡地に至るには、ガニ農路の落差、正確には550b、距離大凡4.5`を征する必要があると云うことだ。熟練ハイカーなら最初から徒歩でも苦にはならないと思う。農道進行方向左側にある貯水タンクを横切り斜面を僅かに上がる(右写真)と、警備道跡を想起させる窪地(下段左写真)に出会う。そのまま辿ると石塁の残骸(中央写真)を見付けた。この石塁の後方は竹林で土塁跡を思わせる土手があり(右写真)当時の生活遺物が多数掘り起こされていた。明らかに品川跡地である。筆者の現場の簡単なスケッチを添付した。(続く)
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2022年06月11日

六亀特別警備道−52:第12宿「沼津」(2)

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【写真説明】沼津分遣所跡地では正面門に至る回廊ばかりに関心が集中し、駐在所構内の遺構の確認は疎かになった。残存状況の優れた石塁二箇所と使途不明の遺構ぐらいしか撮影したものが残っていない。。。記事の穴埋めを意図しているわけではないが、読者の方々の混乱と筆者自身の困惑を少しでも緩和する為に、ここで少々脱線することにした。これまで、駐在所、警戒所、監督所、分遣所という呼称を横断的に使って来たが、これはウィキペディア中文版「六龜警備線(警備道)」に収録されているリストに依っている。その情報源の大部分は台湾大学登山社(山岳部)の踏査結果がベースになっているというのが筆者の理解だ。台大学側の拠り所は不明だが、以下三つの資料に依り、前出の対原住民警察機関に関し些かコメントする:

『戟戰奇萊−隘勇線與駐在所』、林一宏、國立臺灣圖書館《臺灣學通訊》第82期
『從隘勇、警手到蕃地警察』、鄭安睎、國立臺灣圖書館《臺灣學通訊》第88期
「隘勇」、『ウィキペディア』(中文版)
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
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2022年06月04日

六亀特別警備道−51:第12宿「沼津」

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【写真説明】旧沼津分遣所跡地(その景観は[1][2][3]の埋込写真参照)の稜線上平坦地に掛かり再び下り斜面を降り切る(上段左写真)と、あっという視覚衝撃を受ける回廊が現出する。台湾人の言う「完整」な浮築橋である。目測40bの完璧な残存状況を呈した先に、日本人なら思わず「大手門(追手門)」を想起させる駐在所正面門が待ち構えている。そう、山中の城である。中央写真はその回廊にステッキを渡し幅をイメージ出来るようにした。優に2bはある。右写真は石塁の高さをイメージ出来るように撮影したもの。下段左写真は正面門を背にし回廊を撮影したもの。中央写真は正面門の景観、右写真は正面門下に設営された階段。更に二枚のパノラマ写真を添えた。[4]は上段左写真と同じ大手門、[5]は更に宝来渓方面に進んだ先にある裏門、搦手門の風情がある。(続く)
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2022年05月28日

六亀特別警備道−50:林務局護管所(廃棄)

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【写真説明】例えば、ウィキペディア中文版の「六龜警備線(六龜警備道)」項の解説では、二箇所の護管所(遺構)を警備線沿線の駐在所遺構の中に含めている、或いはそのような意図が見える。筆者には日本時代の警察機関としての駐在所と、これら戦後の林業行政統括機関とがどのような関係にあるのか?未だ明確ではない。が、林務局公式サイトを閲覧してみると、護管所という林務局機関は最早存在しないようだ。その意味では今回の投稿に掲載した写真を見ていただければ感得いただけるように、日本時代の駐在所と同じように護管所も「古蹟化」しつつあるということだ。林務局サイトのホームページを「山林資源」→「森林保護及管理」→「森林保護」→「森林護管」という順で追い掛けて行くと、最後は以下のような説明に当たる(筆者拙訳):「本局は管轄する全台湾の国有林を8箇所の林区管理処(管理事務所)とそれらの統括下に35箇所の工作站(事業所)に分割し、国有林巡視並びに管理業務を実施している。同時に千人以上の森林護管員(巡山員)を配置し森林巡護の責任体制を敷いている」。要は、林務局の「護管」とは「森林巡護」のことであろう。尚、台湾の森林護管員は、日本の「自然保護官(レンジャー)」と同等のものかどうか?筆者は知見無し。いずれにしても、現在の六亀特別警備道が属するのは屏東林区管理処、その公式サイトの沿革の部分には、現在の機関の前身として明確に「高雄州産業部林務課出張所」との記載があるも、警察機関との関係に触れた部分は無し。上段左・中央写真は残存状態の最も良い棟、右写真はその棟の東側にある崩壊した別棟、下段左写真は日本時代との関係を示唆しているような古石塁、中央写真は沼津分遣所跡地に近付くにつれ立ち現れる宝来渓対岸の急斜面、第13宿「原」分遣所以降が設営された方面になる。右写真に写る最高山塊は渓南山、同写真中央手前の丸い稜線を呈するのは小田原山、渓南山右側の三角錐を呈するのは渓南山前峰、その頂上南側が第17宿「興津」分遣所跡地とされている。原宿から、藤枝国家森林遊楽区内の府中宿までの警備道概念図を埋め込んでおいた。「小田原」、「七坑温泉」、「渓南山」、「渓南前峰」等が警備道開鑿位置をイメージするのに便利だ。兎にも角にも、ため息が出る程に圧倒される高度と距離だ。(続く)
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2022年05月21日

六亀特別警備道−49:第11宿「三島」

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【写真説明】「沼津」分遣所遺構の踏査には丸一日を充てたことは既に紹介した通りである。小関山林道約10`地点にある路側に駐車スペースのある場所に車を停め、林道入口方面に歩き返しながら宝来渓方面への折口を探した。すると直ぐに廃棄された林道支線に当たり(左写真、筆者の正面が林道入口、林道支線は左側イコール東側)その廃棄林道を暫く辿った後に谷側へ降りた(中央写真左側が谷側への折口、GPS軌跡も参照)。右写真は谷側へ下り出した斜面の景観。そこから200b程度下ると三島分遣所跡地と思しき平坦地に往き当たる。沼津跡地に至るまで基本同じような景観で、明晰ではないにしろ大凡旧警備道跡をトレース出来る状態にある。三島跡地は目立った駐在所遺構が無い代わりに、次に立ち現れる林務局護管所遺構までの間に駐在所遺構と思しき小規模の石塁が間歇的に続く。そんな中で割と残存状態の良い石塁のパノラマ写真を埋め込んだ。(続く)
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2022年05月14日

六亀特別警備道−48:第10宿「箱根」

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【写真説明】「箱根」分遣所跡地は、小関山林道沿いの六亀特別警備道の最南の駐在所跡地となり、林道約10.5`地点から西側(林道起点を背にして左側)に入り込むとそれらしき石塁(左写真)に突き当たる。パノラマ写真も参考までに添付しておく。駐在所跡地として疑いようがないのだが、ダイアグラムを見て判る通り、箱根−沼津間は駐在所遺構と思しき箇所が一箇所多い。この謂わば「字余り」の解決策として、台湾ネット上の公開報告を見ていると、二通りある:一つは、ダイヤグラムの様に、沼津分遣所を新旧の二つに分ける方法。これはそういう歴史的なイベントが存在したのかもしれないが、二つの沼津跡地は接近しているので説得力はある。もう一つは、小関山林道西側遺構は無視して、ダイヤグラム上に筆者の方で「三島」分遣所跡地と表記した地点を箱根跡地として見做す方法。筆者の手元の市販地図帳では、この箱根跡地と思しき場所に「林務局富園駐在所(廃)」の標記がある。林務局機関としての駐在所という呼称を目にしたのは初めてのことだ。日本時代の警察機関としての駐在所と混在して使用しているのかどうか?は定かではない。現地には塩ビの水管が渡されていたるのを目撃した(中央写真)ので、林務局の苗圃が嘗て在りその為の駐在員の作業場兼宿泊所が存在し地図帳の標記になったかもしれない。六亀警備道は箱根を過ぎると、小関山林道を離れ、沼津分遣所に向かい急降下、そのまま宝来渓まで降り切り渡渉し対岸の山に取り付くのだが、その宝来渓沿いに湧き出る温泉の中に、富園橋温泉と云う標記を見付けた。宝来渓は、玉山連峰に源頭を持つ荖濃渓の支流の一つだが、渓谷沿いに複数箇所で温泉が湧き出しており、地図上では通常「七坑温泉」から始まり「十三坑温泉」までの標記がある。要は古来から十箇所以上の湯場があったという意味だ。これらの温泉は、極めて著名な温泉街を形成している宝来温泉の源頭になるはずだ。何れにしても、富園駐在所と富園橋温泉の標高差は500bもあるのだが、何故これら二つの地点を結び付けたのかは不明。右写真は箱根跡地で目撃した約9箇月前の日付けをマークした布条、「六亀警備道踏査」と読める。これも筆者が当地を箱根跡地として特定した理由の一つである。(続く)
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2022年05月07日

六亀特別警備道−47:第9宿「小田原」

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【写真説明】今回の三日間の踏査行の中でどうしても尋ねたかったのは、小田原と沼津分遣所遺構である。規模が極めて広大と聞いていたからだ。小関山林道沿線の藤沢〜箱根間で、最も林道からの距離が長いのが小田原分遣所跡地である。それでも林道からの距離と落差は各々凡そ200b、50bに過ぎなかった(筆者の現場での実際のトレース参照)。小関山林道11`地点に車を停め適当な入山地点を物色、最終的に選択したのが左写真だ。中央写真は小田原跡地の最も南側と思われる地点に現れる、殆ど崩壊した石塁。最も丈の高い石塁は跡地の最も北側に位置する分遣所遺構を支えていたと思われる。右写真に見るように大人の背丈を超えている。遺構のスケールを感じ取って貰う為に、以下三枚のパノラマ写真を添えた。先のトレースでも判るように傾斜地に設営された駐在所である::

パノラマ#1:跡地の東端の石塁の一部。
パノラマ#2:南端に位置すると思われる最も規模の大きな石塁。上段右写真の石塁を抱合。
パノラマ#3:跡地の西側の景観、何処まで広がりがあるかは未確認。(続く)
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2022年04月30日

六亀特別警備道−46:第8宿「大磯」

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【写真説明】大磯分遣所跡地は小関山林道約12.5`地点、立地は平塚と全く同じだと言えるが、更に林道に隣接している(左写真は筆者の背中が林道起点側、左側土手から進入)。これも平塚と同じだが、旧警備道と思しき跡を辿る(中央写真、右側が林道側)。平塚跡地と比べると藪から解放されており、嘗て畑地、恐らく林務局の「苗甫」(花卉樹木の苗育成所)として利用されていた可能性は平塚より更に高いと予想する(埋込パノラマ写真参照)。但し、遺構の残存状況は平塚に比べると見劣りがする。右写真の中央部に写る石塁が唯一の駐在所遺構かと思われた。(続く)
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2022年04月23日

六亀特別警備道−45:第7宿「平塚」

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【写真説明】平塚分遣所跡地も大磯分遣所跡地も、小関山林道の起点を背にして左側(西側;右写真右側土手)にあり、林道に隣接していると云う表現でも良いぐらいの距離しか無い。但し、藤沢跡地の三角点のようなマーキングがあるわけではないので、GPS座標無しで探し出すことは困難だ。平塚分遣所は林道約13.5`地点、林道から入り込んだ地点が実際の跡地より北側だったので、暫く林道沿いに警備道の痕跡と思われる部分を南側に歩かされる羽目になった。跡地は山側だが平坦地、以前は畑地として利用されていたのではないか(前述の警備道痕跡も農道跡かもしれない)と思わせるような茅が大勢を占める立地である。石塁の丈が高い分遣所遺構はかなり良く残っている(埋込パノラマ写真1とパノラマ写真2を参照;中央写真はパノラマ写真2に写る石塁の拡大図、両遺構は別棟)。(続く)
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2022年04月16日

六亀特別警備道−44:第6宿「藤沢」

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【写真説明】六亀警備道上の駐在所遺構を求め小関山林道を何処まで辿るかについては、実は藤沢分遣所跡地が適当でないか?と最初から目論んでいた、と言うより決めていたというのが正直な所だ。何故なら、森林三角点を擁する小斯拉巴庫山(標高1,377b)山頂が藤沢であるという知見があったからだ。筆者は日本時代に埋定された三角点は山頂の高低に拘らず機会があれば尋ねることにしている。しかも林道脇の登山口から5分程で山頂まで辿れるという山行記録も目にしていた。登山口は二箇所、林道起点を背に右側(東側)にあり、南北両方から林道に沿い、緩い登りが付いている。これがそのまま警備道であることは、僅かに路肩擁壁の石塁が散見されるので直ぐに感得出来る(左、中央写真)。三角点は分遣所跡地の中に埋定されている(埋め込みパノラマ写真;三角点は左端に小さく写る)。殖産局森林課に依る三角測量は、大正14年(1925年)から始まり昭和19年(1944年)迄継続されている。六亀警備道の整備が進むのは五箇年計画理蕃事業の最終年、大正4年(1915年)なので、分遣所設置の方が明らかに早いはずだ。三角点が埋定された時は、藤沢分遣所自体既に閉鎖されていたかもしれない。小斯拉巴庫山山頂はそれ程広いとは思えなかったが、敷地を囲む石塁は殆ど崩壊している様子が落ち葉に覆われた起伏で判る。山頂南側の正門と思しき遺構の石塁の残存状況(右写真)は良好だった。尚、「斯拉巴庫山」(標高2,757b)と云う玄人ハイカー向けの山が、藤沢分遣所が設置された小丘陵より遥か北側にある。ブヌン語の漢音訳だと思うが、日本時代のカタカナ表記は「スーラバタン」、由来判らず。藤沢分遣所が設置された山はこのスーラバタン山に対峙させたものらしい。(続く)
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2022年04月09日

六亀特別警備道−43:小関山林道

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【写真説明】上段左写真は小関山林道約7.5`附近の検査哨、正式には、高雄市政府警察局六亀分局宝来検査所、今回の六亀警備道の踏査に際し、実に2006年以来久々にここのゲートを越した。既に標高1,200b程度ある。中央写真は、今回の踏査行の北限の駐在所、藤沢分遣所の在処、小関山林道14`地点の今は廃棄された検査哨、林道起点に向かい撮影、藤沢遺構直下南側、同写真左側から駐在所跡地へ辿れる。右写真は、中央写真撮影地点から林道を更に600b程北へ辿った先の新(左)旧(右)林道分岐点、右側林道は既に封鎖、藤沢遺構直下北側、同写真右手から駐在所跡地へ辿る。詰り、小関山林道14`附近で、林道脇の南北両方から藤沢跡地にアクセス出来るという意味である。尤も、この地点迄入り込み南北何れか側から進入する物好きは駐在所ハンターには非ず、三角点ハンターである。藤沢分遣所跡地=小斯拉巴庫山山頂だからだ。
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2022年04月02日

六亀特別警備道−42:第28宿「見附」(3)

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【写真説明】見附の次は第29宿「濱松」分遣所に至るわけだが、GPS情報を取得出来ず、見附分遣所から緩く広がる下りをどれほど辿れば行着くのか見当付かず。しかも見附山山頂まで至るのに随分時間を要してしまった。それで、六亀警備道関連の投稿サイトに最近よくアップされている五輪塔だけは見ておこうということで、濱松方面へ下った。それらのサイトでこの五輪塔は「神社」遺跡として紹介されているが、これは仕方のないことだろう。神社とお寺の区別をきちんとできる台湾人はそう多くないはずだ。サイト内に「日本人祭祀先人的紀念塔」のコメントを見付ける。そもそも五輪塔は卒塔婆、墓である。高さ40a程度の五輪塔は稜線右側(西側)端に佇んでいた。土台はセメントで固定されている。台湾サイト内の写真では転がしてあるように見えていたものだ。誰が何時どういう事由で持ち込んだのか?五輪塔は日本で独自に発達したとも言われるので、戦前の日本人だろうが、警備道開鑿と関係があるのかどうか?五輪塔はその下方の平坦地(中央・右写真)を望むような場所に立っているので、その平坦地が濱松分遣所跡地ではないかとも考えたが、見附分遣所との距離が200b程、近過ぎる。それでも中央写真に見られるような人工の石塁があった。(続く)
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2022年03月26日

六亀特別警備道−41:第28宿「見附」(2)

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【写真説明】見附分遣所跡地は、見附山頂上から僅かに南側に下った場所にある。跡地は広大でその敷地を囲む石塁の残存状況も悪くない。上段左写真は分遣所の正門を分遣所内側から撮影した。濱松方面はこの正門を右に折れる。中央写真は正門に外側から対し左側(左翼)の石塁、右写真は右翼の石塁。下段左写真はその右翼の石塁の延長である。中央写真は正門に繋がる石塁ではなく、左翼の囲み、右写真は撮影場所を失念したが、人工の石積が如何に崩壊していくか?の一例。筆者はこのような遺構を基本どのように記録していくかの教育を受けたことがないので、このように適当に撮影して並べているだけだ。従って広大な遺構という表現しか出来ないのだが、分遣所を囲む凡その石塁の四辺のサイズ、残存箇所、方向ぐらいはスケッチ出来れば望ましいと思う。それには時間と体力が必要で既に遅きに失した。撮影したのも正門の両翼中心、実際は正門の向い側も含め分遣所を囲む石塁はぐるりと残っている。筆者の踏査をサポートしてくれた登山ガイドに依ると長辺は目測35bあると言っていた。(続く)
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2022年03月19日

六亀特別警備道−40:第28宿「見附」(1)

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【写真説明】先ずは見附山(標高1,686b)頂上で出遭うのは台湾省政府図根点(左写真)。更に歩を進めると陸測三等の標石(中央・右写真)に迎えられる。中央写真は筆者背中が袋井方面、向い側が見附分遣所へと繋がる。山歩きが専門の筆者としては三角点標石の紹介のみで今回の投稿を完了させることにする。(続く)
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2022年03月12日

六亀特別警備道−39:第27宿「袋井」

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【写真説明】バリサン警戒所跡地を含む二つの丘陵上のピークを越えた後は大きく高度を落とし袋井分遣所跡地に至る。丁度見附山との鞍部になる。小規模な遺構であるが、分遣所跡地を即座に特定出来るだけの石塁は残っている。上段左写真と中央写真は分遣所跡地。右写真は分遣所の掛川側出入口と思しき石塁、下段左写真は見附側の出入口と思しき石塁。袋井分遣所の見附側下方には小さな沢が流れ込んでいた。六亀警備道の場合、駐在所は稜線上のピークに設けられたケースが多いので意外に思った。袋井から見附山頂上までは長い登りの連続となる。その間に掛川〜見附間の警備道上路肩擁壁の最も残存状態の良い部分があった(下段中央・右写真)。(続く)
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2022年03月05日

六亀特別警備道−38:バリサン警戒所

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【写真説明】「バリサン」の漢音訳は種々ある。元々はブヌン族バリサン社に対し使われた表記で、日本時代は片仮名で統一されていたが、戦後の漢字表記は様々。基本カタカナで表記されていた原住民集落の漢字化にルールが存在しないからだ。「媽哩散」、「蕃里山」、「馬里山」、「巴里山」。。。当時の地形図を見ると、三つの「バリサン」表記がある。原住民集落、内本鹿越嶺警備道(内本鹿古道=黄色線)上の駐在所、加えて、六亀警備道(=赤線)上の駐在所である。本投稿記事は無論六亀警備道上の警戒所(監督所)である。これらバリサンの在処を確認する際一つ気付いたのは、内本鹿警備道西段と六亀警備道北段の交差点、藤枝駐在所から前者の支線たる警備道が延びておりその終端がバリサン社駐在所であったことだ。通常バリサン駐在所の在処は、雲山林道(出雲山林道)起点から2.5`程南下した場所とされ壮大な遺構が残存している(後日「内本鹿越嶺古道」として紹介予定)。ところが、林一宏『蕃地駐在所建築』論文で紹介されているGPS座標は更に南下した地点を指し示しており混乱中。他方、六亀警備道上のGPS座標を何処で入手したか失念してしまった。掛川分遣所跡地とバリサン警戒所跡地(推定)の間は、掛川〜見附間警備道(ダイヤグラム上の「マリサン」は筆者の誤記)の中で最も勾配の急な部分でロープが渡してある(下段写真)。その急坂を乗り越してしまうと、二つの緩いピークを越えて往く。同時に、この区間は掛川〜見附間で警備道が最も平坦な部分に開鑿されている(中央・右写真は同区間の警備道景観)。因みに右写真は警備道がどう崩壊していくか?の一例。北側のピーク付近がバリサン警戒所跡地のはずなのだが、跡地と思しき平坦部が続々と現れ(左写真はその一例)跡地を特定出来ず。ところが、バリサン警戒所が設営された辺りの地形は外から見ると非常に特徴的だ。このパノラマ(藤枝林道18`地点から撮影)は藤枝から見附山まで連なる稜線の概念図である。(続く)
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2022年02月26日

六亀特別警備道−37:第26宿「掛川」

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【写真説明】出雲山林道脇から小さな登りとなる登山道はそのまま旧警備道なのか?という質問に対し、イエスと言える証拠は、直ぐに遭遇する短い所謂「浮築橋」(左写真:筆者の背中が掛川方面)である。その幅は2b50a程度もある。殆ど崩壊しているのだが、名残り(下段右写真)はある。未だにこの道路構造を日本語で何と言うのか判らない。「自然石に依る路肩擁壁」だろうか?台湾ではこのような石積みの壁は駁砍と通称しているが、筆者のブログでは今後も石塁とか石垣とかの単語を用いることにする。狭い尾根状の坂道を登り切るとそこはもう掛川分遣所(中央写真、右側が警備道、分遣所跡地は左側上方と推定)である。登山口から約300b、15分も掛かっていないはずだ。小さな分遣所だったらしく、駐在所を囲む石塁も見当たらず。右写真はその坂道を登り切る直前に露出していた当時日本人警吏・眷属が消費していたビン類、ハイカーが掘り起こしたものだ。分遣所跡地と思しき平坦地の中に、四周を精緻な石積で囲ってある用途の判らない掘り込みを見付けた(下段右写真)。尚、出雲山林道脇登山口から見附山までの警備道線はこのダイヤグラムを参照。(続く)
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2022年02月19日

六亀特別警備道−36:(島田、金谷、日坂)

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【写真説明】現在は六亀警備道路の全段を便宜上南北の二つに分け、各々北段、南段と称している。筆者の記憶に依ると以前は存在していなかった呼称である。その分岐点が見附山、見附分遣所だ。日本橋を起点とする北段を通しで歩くのは最早困難だが、大津を終点とする南段は元々稜線上の山々を目指す登山道として利用されて来たので、通しで歩ける。見附山から南真我山までと云う意味だが、この間通常は丸々二日間かかるが、一日で歩き通してしまう猛者もいる。見附山は単独でも良く登られているのを筆者が知ったのはつい最近のことだ。藤枝国家森林遊楽区を起点とする出雲山林道(筆者の手元の地図帳では「支線」。「旧線」と云う表現も有り)を南側に辿ること3.5`の地点に見附山への登山口があり、登り始めるとすぐに第26宿「掛川」分遣所遺構に出遭う。詰り、この3.5`の間に表題の三分遣所が存在していたことになるのだが、林道は、これら分遣所が設置されていたと思われる稜線西側に開鑿されている(ダイヤグラム参照)。この林道区間、見附山登山口に向かい緩やかな下り一方、往きは良い良い、帰りは怖いの典型で、帰りの登り返しは苦痛!左写真は林道上から仰ぐ藤枝分遣所跡地の森濤派出所である。林道東側を注意深く観察していたが、稜線への取り付きになりそうな場所は多かれど(中央写真)、布条等の物理的なサイン無し。台湾ネット上で唯一六亀警備道関連遺跡と思われる情報を含む山行記録は『高雄縣桃源郷天通北峰及天通山登山簡訊』である。天通北峰(標高1,647b)、天通山(同1,549b)の順に辿り、天通山山頂南側に住居跡地の記録あり(抜粋参照)。これが掛川分遣所との距離を考慮すると日坂分遣所跡地である可能性大だ。他方、藤枝森林遊楽区入口と天通山山頂間稜線上に島田、金谷の分遣所が設置されたはずだが、それら故地の位置情報は未だ見付けられていない。右写真は出雲山林道支線上の見附山登山口付近、実際の登山口は同写真の左側。(続く)
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2022年02月12日

六亀特別警備道−35:第22宿「藤枝」

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【写真説明】左写真は藤枝国家森林遊楽区がまだ八八水災復旧期間中、即ち閉園中だった2016年に撮影した、遊楽区入口とその奥に写る『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』に依る「藤枝」分遣所跡地の森濤派出所(正式には「高雄市政府警察局六亀分局森濤派出所」)。「もりなみ」とは優雅な日本語だ。何時、誰に依る命名かと興味深い。そう言えば「六亀特別警備道−21(扇平林道)」で紹介した派出所名は「もりやま」だったが、前者の規模が格段に大きい。中央写真は昨年末、見附山+見附分遣所を目指した際に撮影、今や六亀警備道南段と云う呼称があり伝統的に登山対象として台湾人ハイカーを吸引して来た稜線を望む。特に目立つピラミダルな山容を持つ二座は手前が見附山(標高1,686b)、後方が楡油山(同1,891b)である。どちらの頂上にも警備道としての遺構が残る。
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2022年02月05日

六亀特別警備道−34:「日本橋」(3)

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【写真説明】その梅園の中は大小の自然石が散らばっており梅園に趣を添えている(上段左・中央写真)。自然石とは河岸段丘を構成する石塊である。最初はバラバラにそれらの石が散らばっているとばかりに見えたのだが、よく見ると明らかに人が積上げた石の集合体が三基あった。その中の一つは四辺を持つ台状になっているのに気付いた(上段右写真)。古そうだが駐在所遺構かどうか?確認する術は無し。先達研究者の特定に敬意を表するしかない。『六龜警備道踏調査01(日本橋段、小關山林道段、沼津段)』と題する元気の良い六亀警備道踏査記録がネット上で公開されている。元気の良いとは台湾人若者グループに依る踏査行だからだ。サブタイトルに「日本橋段」の文字が躍るが、何故かここ日本橋の踏査はスキップされている。理由は判らない。彼らにとり踏査の名に値しない、自明のしかも低地の遺構という意味なのか?いずれにしても、台湾ネット上で日本橋分遣所遺構に関するビジュアルエイド付き情報に遭遇したことがないのだ。
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2022年01月29日

六亀特別警備道−33:「日本橋」(2)

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【写真説明】高雄市桃源区区役所がある同区の行政中心地域は、玉山国家公園方面に向かう台27線沿いにあり、日本時代「ガニ社」と呼ばれたブヌン族集落である。荖濃渓右岸の河岸段丘上に集落は形成されている。集落の載る河岸段丘の標高は約615b、荖濃渓対岸の標高約560bの同じく河岸段丘上に日本橋分遣所は設置されたのだが、対岸の何処なのか?全く見当が付かなかったのは前稿で述べた通りだ。以前はこの集落から荖濃渓対岸へ渡るのに河床に道路が敷かれていた。グーグルマップで見ると以前は掛かっていなかった[口|戛][口|拉]鳳(カラブン)吊橋が掛かっている(左写真、荖濃渓左岸側から撮影)。2014年竣工、全長180b弱、吊橋名のカラブンと旧社名ガニとの関係は知見無し。筆者は、恐らく毎年ルートが変わる河床道路は昔のまま通行が可能で、新吊橋は観光用の徒歩でしか渡れないものだと想像していたのだが、どちらも裏切られた。前者は、多分昨年夏の台風襲来時の洪水の為に両岸が断裂されたまま、後者は実際歩いている際は気付かなかったのだが、小型車なら通行が可能なことだ。筆者の当初の希望は車で対岸に渡り、あわよくば、嘗ての踏査行時(前稿右写真撮影時)に徒歩で辿った農道―台湾総督府殖産局山林課埋定の森林三角点のある留佐屯山西峰へ至る登山道、頂上付近に第1宿「品川」分遣所遺構があるハズ―に普通車で乗り入れ可能か?を調べたかったからだ。

吊橋を渡り切りそこを走るセメント舗装の道路(ガニ農路主線)を右側、即ち南側に折れる。直ぐに留佐屯山西峰方面への三叉路に行き合う。最初からいきなりの登りで筆者の運転技術では疑問の急坂が見て取れる。そのまま農道主線の緩い坂を登り切ると再び三叉路に出会い、右手は荖濃渓左岸川岸方向へ下る道が付いている。その先の平坦地に農園が拡がっている(中央写真)。『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』から拝借したGPS座標にどんどん近付くので、日本橋分遣所跡地はその農園内にあることは容易に想像が付いた。この二つ目の三叉路の出会いは少々意外な気がした。藪の中に切り込まねばならぬことを覚悟し鉈を携えて来たからだ。加えて、譬え嘗て駐在所遺構が残っていたにしても、農園が拓かれた時点で一掃されてしまったことも想像出来る。農園への下り坂を降り切ると作業小屋がありその脇を通る小径を行くと、農園と川岸の突端の間にこじんまりとした梅園があり、満開を過ぎてはいるが白い花を咲かせていた(右写真)。(続く)
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2022年01月22日

六亀特別警備道−32:「日本橋」(1)

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【【写真説明】当時の地形図(例:左写真『臺灣全圖』昭和14年台湾総督府警務局第五版、30万分の1)にも表記があるので「日本橋」分遣所が存在したのは明らかだ。但し、その位置については、現在の高雄市桃源区区役所(行政区画上は、桃源区桃源里)の荖濃渓を隔て対岸にあることまでは地形図でも判読出来るのだが、対岸の何処なのか?とにかく対岸に渡りそれらしい遺構に当たるかどうか試してみようと云うのが2006年2月と5月の踏査行だった。結局それらしき遺物には当たったのだが、「日本橋」跡かどうかを確認する手立ては無く、それから長らく踏査は放り出していた。同地形図上表記のある「ガニ渓頭社」住居遺構だったのかもしれない。そこで画期的だったのが、前稿出の『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』に収録されているGPS座標である。この論文に日本橋が収録されているのをご教示くださったのはM氏である。筆者が踏査した区域よりかなり南側、且つ荖濃渓縁(へり)である(中央写真)。同論文のコメントは「荖濃渓畔」だ。右写真(2006年2月撮影)に写る集落対岸の畑地と思しき二つの出っ張りの内の手前の方だ。前回は、目標地よりかなり上流側、しかも標高の高い場所を徘徊していたということになる。「大津」分遣所跡地の駐車場の写真を撮りに出掛けた翌日、「日本橋」分遣所遺構を確認しに出掛けた。前者までは筆者のアパートから1時間強のドライブになるが、後者までは優にその倍の時間が掛かる。(続く)
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